第二章 一之二

 真木まきはナイフには手をつけないまま、体を横にして路地に戻って来た。

「この事件、やはり危険な事件ですね」

 地面に散らばった木片を見ながら、真木が悲し気に言った。澤小木さわおぎが不安そうに聞き返す。

「どういう意味です?」

「いえ、俺は霊視で見たことを部分的にしか話せませんが……」

 真木が腕を組み、やるせない表情で言葉を続けた。

「この事件、実は、あの学校の関係者が関わっていると、俺は睨にらんでいるんです。なぜだか自分でもわかりませんが、そんな勘がはたらいて。それに、そう言うときの勘は必ず外れません。だからこそ、俺は、今回の事件の霊視を引き受けています。あの学校の卒業生が事件の一部、または全体に関わっている——。烏堂もそのことに勘づいたからこそ、『言葉では解決できない』という一言を澤小木さんに伝えたのでしょう。その後、俺を紹介して事件の解決を進めようとした」

 

 澤小木はしばらくの間、じっと真木を見ていた。だが、真木が霊視した内容が今更気になったのか、ふいに口を開いた。

「もしかして、霊視で犯人の顔を見たとか、そう言うことはできませんでしたか」

 真木は首を左右に振る。

「——いいえ、残念ながら。犯人が濃い化粧に長い髪のウィッグをかぶっているし、もとの顔が全然わからない。ウィッグの前髪も長くて、目つきが良くわからないほどですし」

 真木の言葉に、澤小木は視線を下げた。事件の手掛かりのなさに落胆したのだろう。このままでは、記事になりようもないほど、事件の情報は少なかった。

 真木が突然、思いいたったように口を開いた。

「ただ、犯人の顔をどこかで見たような——はっきりとは、わからないのですが、確かにどこかで」

 

 そのとき、近くの路地裏から年を取った女性が顔を出し、二人を見つめる。忍び足で近寄ってきて、二人の近くに寄って言った。

「あんたたち、一体、ここで何しているんだい。まさか、去年の夏に起こった殺人事件の『探偵ごっこ』をしているんじゃないだろうね」

「いいえ、別に……」

 自然な様子を装って言う澤小木だったが、老婦は彼をじろりと一瞥いちべつする。

 フンと鼻を鳴らし、老婦は言った。

「この前も探偵を自称する人間がやって来て、そこら中、調査をしていたよ。首元に何か引っ掛けているから、それは何だって聞いたら、幽霊を避けるための御札を入れた守り袋だって言っていてね。爽やかな感じのイイ男だと思っていたら、意外と迷信深い人で、ちょっと驚いたけどねぇ」

 真木がはっとしたように老婦を見る。

 彼女に向かって質問を投げかけた。

「その人、他に何かしていませんでしたか」

「ああ。ここら辺のことを、しつこく色々聞かれてね。あたしは、そこでスナックを経営しているんだけど、昼間だから暇だし、長話につきあってもらったよ。ここら辺はね——ああ、そう言えば、不審者の情報についても色々聞かれたっけ」

 老婦は思いだすように空を見上げた。

「不審者、という人じゃないんだけれどね。ここら辺では、女装して人形を持ち歩いた人が度々出るんだ。長い黒髪をして、化粧もちゃんとしていてね。綺麗なレースがついた長袖の服を着ていて、手作りみたいな昔ながらの人形を——そうそう、フェルト生地に毛糸の髪をつけた、ああいう人形だよ——持ち歩いている人なんだけど、ここら辺は飲み屋も多いし、どこの客か知らないけど、この辺りの住人にとっては変わった趣味だと思っていたんだよ」

「その人、事件後も姿を見ませんでしたか」

 真木が息せき切って話す。だが、老婦は首を左右に振った。

「そこの路地奥で殺人事件が起きてからは、その人も、ぱったりと来なくなっちゃってね。他の人から聞いた話じゃ、事件が起こる一週間前くらいに飲みに誘ったのがまずかったかな、って言っていたけどね。まあ、なんでも女装はしたいけれども、あまり詮索されたくない人だったらしくて、飲み屋の客が話しかけると、さっと、いなくなってしまうっていう話だよ。飲みに誘った人は、そのことを知らなくてさ、何だか傷つけるようなことをしてすまなかった、って言っていたけどね」

 澤小木は真木の顔をじっと見る。その視線に、真木は一瞬、戸惑ったような、困ったような顔をした。

「いや、俺が『見た』のは女装した人ではなく、本当に女性で……」

「ん? 何の話だい」

 老婦が二人に向けて言う。

「いや、こちらの話です。お構いなく。もう帰りますので」

 ライターらしく、澤小木は話の終わらせ方がうまかった。立ち去ろうとする澤小木と真木に、老婦は顔をしかめる。

「なんだい、やっぱり『探偵ごっこ』を良い年して、しているんじゃないか。人の話にさ、不用意にいちいち首突っ込むんじゃないよ」

 苛立たし気に言い、老婦はそのまま顔をひっこめて、路地から立ち去ってしまった。

 

 真木は考え込むように、口元に手を当てた。

 路地裏の殺人者。異常者の心理。

 霊視によってすら、事件の手掛かりは少ない。自分の能力によって、事件の進展が進むとも思えない。だが、事件だけは、このまま早く解決してほしい。

 そう思いながら、ちらっと澤小木の方を見ると、彼は携帯を片手にどこかへ電話しようとしている。

「あの——」

「ああ、真木さんは帰って良いですよ。ここで起きたことは知り合いの刑事さんに連絡しておきますので」

「いや、でも——」

 あわてるように真木は言った。自分の証言を、澤小木がどんな風に伝えるかわからない。息せき切って、真木は言った。

「証人として、俺もこの場にいます。さっき、凶器とみられるものも発見しましたし」

 そう言って、真木は木片が飛び散った付近へと足を向ける。排気ダクトの這った壁に手をかけ、身をかがめて、凶器のある方へ視線を向けた。

 

 だが、真木の意識があったのはそこまでだった。

 一瞬後。

 真木は後頭部に強い衝撃を受けた。視界は暗闇の中へ落ちていき、覚醒することなく意識は闇の底へ、ゆっくりと沈んでいった——。



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