第二章 一之一
犯行現場までは、駅から徒歩になる。少しだけ時間がかかるようだった。
そもそも、この辺りは大きな駅が集まっており、電車からの乗り合わせも、当然ながら多い。
駅を離れても、依然として外を出歩く人は多く、真木は澤小木の後ろを離れないよう、ついて行かなくてはならなかった。
路地を何度か折れ、ようやく
真木は相手の横に立つと、話を切り出した。
「この事件についてですが、犯人が見つからず未解決になっているのは、証拠や証言が出てこない、と言うことなんでしょうか」
「ああ、それはですね」
澤小木は思い出すように言った。
桜が散って、季節の移り変わりの頃だからか、寒暖差の多い日も最近は続いている。天候を反映してか、今日の澤小木は紺色でオーバーサイズのフード付きパーカー、明るいベージュのジーンズを履はいていた。
一方の真木は、白のニットに黒のジーンズを着て、ロング丈、ベージュの薄いチェスターコートを羽織っていた。
「調べてみたんですが、どうも、少し違うようです。事件を担当する刑事さんに異変があった、とか」
「異変?」
真木が聞き返した。うなずいた後に、澤小木が言った。
「くわしいことは、わかりません。ただ、髪の長い女の幽霊を見た。誰かに見られている気がする。そんなところですかね」
「はあ……」
わかったような、わからないような具体性に欠けた情報だと真木は思った。だが、ライターとは言え、澤小木がツテをたどって探っても、それ以上の情報は出てこないのだろう。良く考えれば、それは当然のことだった。
「僕でしたら、そう言うことは、すぐ記事にするんですが。ライターならともかく、普通の人であれば説明のできない事態は、言葉にするのも避けるでしょう」
「まあ、確かに」
納得した表情で真木は言った。澤小木が、ふいに立ち止まり、ある一点を指で指し示した。
「ああ、犯行現場は、この先です——」
澤小木が、立ち止まった先。そこは、一つの細い路地の奥だった。
夜間に営業する飲食店や、飲み屋の裏にできた小道。
路地は狭く、大人二人が手を振って歩くには少し幅が足りないほどだった。
灯りもなく、昼間なのに鬱蒼とした森の奥に足を踏み入れたような、じめっとした雰囲気と暗さがあった。
この奥が犯行現場かと、真木の表情に一瞬で緊張感が漂ただよった。
率先して路地の奥へと進んで行ったのは、真木だった。合図をすることもなく、自然と真木の方から路地の奥に進んでいた。しばらく進むと、何もないどん詰まりの開けた空間が路地の奥に見えてくる。
空間の周囲はすべて建物で囲われ、小窓があっても人気は全くない。別の小窓は、背の高い家具で窓自体が閉め切られている。この環境下では目撃者も少なく、犯行や物音を聞いた人物がいるようには感じられなかった。
澤小木が何枚か写真を撮る中、真木は犯行現場の片隅に向かう。その場所には何の異変も見て取れないが、真木だけには感覚的な『異変』を感じる場所だった。
「真木さん——?」
声をかけるが、真木は返事をしなかった。地面にしゃがみこみ、一点を見つめている。
澤小木が眉を寄せる。だが、真木は、彼の表情すら視界に入れることはなかった。
しばらく時間が経ち、ようやく真木は立ち上がると、澤小木に向き直る。澤小木は安心したように、表情を緩めた。
「どうでしたか、霊視の方は。何か事件と関係することが『見え』ましたか」
真木は何も言わない。澤小木を、じっと見つめている。
「あの——」
「申し訳ないですが、被害者の様子は口にすることはできません。そのことを口にするのは被害者側の遺族を傷つけることにもなる。それに、犯人を刺激することにも——俺には、そんなことはできません」
真木の言葉に、意表をつかれたような、はっとした顔を澤小木がした。真木が言葉を続ける。
「ただ、被害者の方が言っていたメッセージがあります。これはどうしても伝えなくてはならないと思います。犯人を見つける手掛かりになる気がして——」
「被害者が言ったメッセージ……?」
澤小木は一瞬、わけがわからず聞き返した。直後に、合点が言った様子で真木に向けて言う。
「ああ、真木さんの霊視によって見えた被害者が、言っていた。つまり、幽霊がメッセージを発していた、と。そういうことですか?」
「ええ、そうです」
真木は悲し気な表情をした。被害者の思いに、感じるところがあったのかもしれない。
「被害者の方は、こう言っていました。『493049、493049、493049……』。ずっと同じ数字を言っていたのですが、突然、『414321』と言い出していて。その後、また『493049』を言い続けるんです。これは、被害者のダイイングメッセージになるのではないでしょうか」
「それって——被害者が必死の思いで現場に残した証拠と言うことですか」
少し早口になりかけながらも、澤小木は言った。真木は首を縦に振った。
「その通りです。声にならない最後の力で、被害者は残留思念を何とか残した。つまり、被害者は犯人に高い霊感があり、それを何らかの方法で知っていたのではないでしょうか。被害者は何とか、最期に証拠を残す必要があった。そのために犯人がわからない方法でメッセージを残したのではないか。俺が、そのメッセージを読み解ければ良いのですが——いや、俺じゃなく、烏堂であれば、きっと」
片手を口元に当て、真木は考え込むように黙り込む。
澤小木は目が離せないのか、真木の顔から視線を離すことがなかった。真木は黙り込んだまま、言葉を発することはなかった。
その後、真木は何も言わずに、踵を返し、犯行現場を立ち去った。細い路地を入り口に向けて、戻っていく。
澤小木が、あわてて後ろを追った。
真木は路地を戻る中で、携帯に何事か打ち込んだ。その後、途中にあった室外機の前で足を止める。地面に膝を突き、辺りを見渡しながら何かを探していた。
室外機に手を触れると裏側に目をやり、探し物を見つける。そこには、室外機と台座の間にひっかかっているゴミがあった。
真木はハンカチを出し、そのゴミを取る。
「何ですか、それは」
澤小木の疑問に、真木が答える。
「小さな靴のようですね。人形が履いているような」
良く見ると、確かにそれはゴミではなく、茶色いフェルトでできた人形の靴のようだった。形状としてはショートブーツが近いが、フェルトの端を折り返して数回縫ったぐらいの簡素な人形の靴だった。
真木が考え込むような様子で言う。
「どうも、人形を室外機の上に置いた人物がいる。その後、人形を回収したのは良いものの、偶然、人形の靴が片方だけ落ちてしまったと」
事件に関係あるのかないのか、良くわからない独り言を真木が言った。澤小木が眼鏡のフレームの奥から、食い入るような視線で真木を見た。
真木が、ふいに視線を上げる。澤小木に聞こえるように唐突に言った。
「——犯人は女性です。長い髪で、フリルのついた服を着ている女性。それも人形を抱えた」
「えっ!」
澤小木が裏返ったような、驚きの声を上げる。手にしたカメラを取り落としそうになっていた。
真木は澤小木の驚きなどまるで気にせず、どこか遠くを見るような顔つきで、言葉を続けていく。
「犯人は路地奥に被害者を連れ込み、その前に睡眠薬を盛ったペットボトルを手渡し、被害者は昏睡状態になった。その後、被害者を殺害して、路地を引き返して逃走した。何度もこの路地を逃げて姿を見られていないか、犯人は確認しながら逃げていった」
真木が考え込むような仕草を見せる。
「それにしても、犯人にしては、やたら目立つ服装をしているような……。ここら辺には防犯カメラがないから、姿を見られても気にしていないのか。それとも——。ただ、周囲に人がいないか確認しながら逃げている様子が、やはり納得できない」
澤小木が目を丸くしながら真木を見つめる。一方、真木は、最早相手の姿を視界にとらえてはいなかった。
「それから……」
真木の視線が、路地の右方向をとらえる。
室外機を通り過ぎたその場所には、建物と建物の間に生じた、かなり細い隙間がある。
真木はそこに向かうと、体を横にして、
「ど、どうしたんです?」
彼の行動が理解できず、澤小木は戸惑っていた。
「そこで、待っていてください」
真木が隙間の片側の壁に手をのばす。そこには壁上を走る、いくつものダクトがあった。飲食店の煙や臭いなどを外へ排出するために、壁に密集した排気ダクトだった。ダクトは、少しカーブした後は真っすぐに建物上部へと伸びている。
真木はハンカチを取り出すと、その一つの裏に手を差し込む。一つのダクト裏に、うっすらとではあるが、細いテグスのような糸がかかっているのを澤小木は目にした。
真木が、そろそろと慎重にテグスを引っ張り、手繰り寄せる内にコン、とダクトに何かがぶつかった音が聞こえた。テグスの先を目でたどると、そこには、革ケースに包まれたナイフが引っかかっている。いや、結ばれていた。
澤小木が驚きに目を見張る。
手繰り寄せられたナイフを真木は見つめ、手に取らずにいた。
ナイフは丈夫そうな革ケースに包まれ、それでいて、通常の使い方ではありえないほどの汚れと染みが点々とついている。
ナイフをもっと良く見てみたい。ライターの性なのか、澤小木が壁と壁の隙間に足を踏み入れようと、近づいてくる。
「危ない、離れてください!」
突然、真木が制止の声を上げた。
すぐさま、上空から物が落ちてくる気配がある。
澤小木は後方に飛びのき、一瞬後に路地の中に鋭い音が響いた。破片が、さっと澤小木の手前に散らばる。良く見れば、飛び散ったのは小さなガラスの破片だった。
澤小木は周囲を見渡す。どうやらテグスに吊るされた小瓶が割れ、中身もろとも散らばったようだった。恐る恐る足元を見つめ、澤小木は息を飲んだ。
そこには、どす黒い液体にまみれた、顔のない人型の木片が割れた状態で落ちている。
何らかの呪術が仕掛けられた片鱗すら感じる。
澤小木の喉が、ごくりと鳴った。
——呪術の、跡。
木片を見ていると、人の憎悪がありありと感じられる気がしてきた。澤小木は強い嫌悪を感じ、さっと目をそらす。
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