第一章 三

「まだ、ついてきているか」

 烏堂渡うどうわたるは路地の一つに隠れ、塀の影から、ちらっと後ろをふり返った。

 細い路地でもあり、そこには誰の姿もなかったが、しばらくすると、やせた、短髪の男性が姿を現す。目が落ちくぼんでいて、表情はない。ジャンパーとジーンズを着ていて、どんな職種についているかも、よくわからなかった。

「ええ。ずっと、ついて来ていますね」

 隣で佐竹千賀さたけちかが目を細め、男性の姿を確認した。長い黒髪をポニーフックで、かんざしのように一つにまとめている。花の刺繍でいろどられているのが印象的だった。切れ長の目のおっとりとした口調の女性ではあるが、感情的なところを見せず、冷静沈着な雰囲気があった。薄手のダークグリーンのニットに、明るいベージュの長いスカートを着ている。

 対して、烏堂は黒のジーンズに白いTシャツ、その上に黒のオーバーサイズのシャツを着ていた。羽織ったシャツは袖丈が短く、肘の辺りから腕が見えている。

 顔立ちは、意志の強そうな目と整った鼻梁びりょう。髪は少し長めの黒髪。横顔からは性格的な厳しさが、わずかではあるが見て取れた。

 

 二人はうなずくと、足音をひそめ、他の路地に入り込み、何度か曲がること数回。やっとのことで、大通りへと抜けだした。

 烏堂は周囲を見渡して追手のないことを確認すると、安堵した表情で佐竹の方を見た。

「すまないな、大学の帰りとは言え、こういうことにつきあわせてしまって」

「かまいませんよ。面倒ごとには慣れています。ただ、いつまで、こうして逃げ続けるつもりです?」

 佐竹の言葉に烏堂が天を仰ぐ。

「いつまで……まあ、相手がいつまで俺を追ってくるか、という話だな。駅から大学まで追いかけてきて、大学内まで入って来るんだから、本当に困ってしまう。言いたいことがあれば言えば良いのに、よっぽど俺に調査してほしくない件があるんだろうな」

「調査してほしくない件?」

 佐竹が、烏堂に聞き返す。烏堂がうなずいて、言った。

「そう。昨年夏に起きた未解決事件」

「あの事件絡みで? でしたら、警察にそう、報告すれば良いじゃないですか」

「それが、そうもいかないんだよ——」

「まさか、『マギ ルミネア』に関係しているのですか」

「そう」

 またもうなずく烏堂に、佐竹が突拍子もない発言をする。

「それって——烏堂さんが、ぶっ壊したと言う、あの学校ですか?」

「ぶっ壊した……!? いや、誰がそんなこと、言ったんだよ」

 おっとりとした佐竹の言い方に、烏堂はあわてて言い返した。だが、一方の佐竹は澄ました顔で無言のまま。烏堂は言葉のぶつけようもなく、事情を了解したと言う風に質問を飲み込んだ。

「——まあ、それはどうでも良いか。だけど、俺は学校をぶっ壊すことなんてしていない。絶対に。ああ、でも、一部の教員からは嫌われていたし、それは本当。俺もガキだったし、上手く立ち回れなかった。それに、『マギ ルミネア』自体が正体を巧妙に隠した変な場所で——」

「そこら辺の情報は、わたしも当時テレビで見ていました」

 佐竹が冷静に口を挟む。一歳年下とは言え、無駄な感情を排除した物言いに、烏堂は油断ならないものを相手に感じた。霊感を鍛えるため、それなりの修行を受けてきた成果かもしれないが、佐竹と話していると二回りも上の大人と話しているような感覚すら覚えるときがある。

「つまり、あの男は『マギ ルミネア』の残党と言うことなのですか。昨年夏に起きた事件は、『マギ ルミネア』と接点があると?」

 佐竹が烏堂をじっと見ながら言った。烏堂の考えを探るような、鋭い指摘だった。

「どうなのかな……。実は、俺もそれについて調べたいんだが、最近になって、あの男が出没してね」

 現時点では確定的なことも言えず、烏堂は曖昧な返答をした。ごまかすように真木のことへ話題を変える。

「真木のためにも、集められる証拠は集めておきたいんだが——」

「では、次の目的地は、どこになりますか」

「それは——」

 烏堂は突然、佐竹の進行を邪魔するように向き直った。

 表情に、若干の焦りが垣間見える。

「佐竹、ここで引き返しても良いんだぞ。これ以上先に進むのは、お前のためにならない」

「『マギ ルミネア』で上手く立ち回れなかった烏堂さんが、それを言いますか」

 佐竹の言い様に烏堂が鼻白む。

 ごまかすように苦笑し、烏堂は頬を指で掻かいた。佐竹が自身の胸に片手を置き、言った。

「この事件。どうも、おかしなことが立て続けに起こるそうですし、解決するまでお手伝いします。はらい師として協力しますよ」

「——それ、依頼料は、ふんだくりますよってことじゃないよな。そこまでの余裕は俺もないけど」

 烏堂の言葉に佐竹は常つねにない微笑みをたたえた。烏堂に対して首を少し傾けて言うところが、可愛らしくもあり、人形のような少し恐ろしさを感じもする。烏堂の口元が、微かすかにひくついた。

「お支払いできる分だけで十分ですよ。お支払いできる分だけで、ね」

 佐竹は笑顔で、そう言った。



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