第7話 胸の大きな女

ヒロは生まれて初めてオーミ国を出て、ミノ国を訪れた。

 オーミは琵琶湖と呼ばれる巨大な湖の周辺の土地からなる国で、日ノ本の国の中心地・京に近隣する5つの国のうちの一つだった。

 一方、ミノはオーミの東にある豊かな国で、東国への玄関口と呼ばれる。木曽川、長良川、揖斐川の3つの河川を利用した交易と、河川が育む肥沃な土壌を利用した農業で栄えてきた国である。

 二つの国の境には、不破の関と呼ばれる堅牢な関所があったが、難なく通過することができた。100年続いた戦乱の世が終わりを継げたのが15年前、歴史的にみて今ほど平和な時期はない。街道は行商人や荷馬を率いた対象で溢れかえっていた。もっとも、ヒロたちに限っては入るのは容易くとも、出ることは容易ではない。


 ヒロ一行は不破の関を抜けると、西ミノ地方最大の都市、大垣オオガキに停泊していた。ミノの中心地はギフ地方であり、国主・斎藤道三はギフ地方の稲葉山城にいるはずだ。

 ただ、いきなりそこに殴りこむのは無謀に過ぎる。ジブの切り札である3人の戦力の集結と、情報収集のためしばらく、ここ大垣を拠点とすることになったのだ。


この日、ヒロは朝から茶屋で焼き団子を食べていた。

二人は情報取集とやらで出払っており、ヒロは一人自由行動ということらしい。

敵地にあって何を無防備なと考えるかもしれないが、敵もヒロの能力を知ったわけで、民草を巻き込んでまで無理を押して襲ってくることはないだろうという目論見であった。

 もちろん、ヒロ自身はもう二度と竜の炎ドラゴン・ブレスを使うつもりはないが、牽制になっているならそれはよしだ。

 今日中にはジブが片腕と呼ぶ凄腕の武者と合流する予定だった。天下無双の豪傑で、斎藤家家中に敵う者はいないはずだと太鼓判を押していた。

 ヒロもせめて自分の身は自分で守れる程度には剣術を学びたいと思い始めていて、その豪傑との邂逅を楽しみにしていた。


 ヒロは5皿目の団子を平らげた。贅沢だとは思ったけれど、飯も食わずに長居をするのは茶屋に迷惑だろう。

 茶屋を訪れる様々な人々を眺めるだけで、ヒロは満足していた。村にはなかった豊かさをいうものを目の当たりにしていたのだった。


「ねぇ、お兄さん。隣、いいかしら」


 声をかけたのは旅姿の大人の女性だった。唇を染める真っ赤な紅が印象的だった。

 この女性がよもや敵だとか、そんな考えは浮かばなかった。ヒロはただ突然のことに驚いていたのだ。


「私は怪しいものではないよ。お浜って言うんだ。エチゼンからミノまで人を訪ねて一人旅の途中なんだけどさ、ちょっと私の話を聞いてくれないかい」


 ヒロは黙ってうなずいた。勢いよく話すお浜のペースにすっかり乗せられている。


「オーミの国は酷いもんだったよねぇ。ああ、黒死病の大流行さ。なんで自分が西から来たと知ってるのかって? だって、私たち不破の関所で一度会ってるじゃないさ。どこぞの姫様みたいなド派手な女の子の家来だろ、お兄さん」


 やっぱ茶々は目立つんだな。最近気付き始めたヒロである。護衛のお侍さんは頼りない感じだったわね。でも、三人とも気が良さそうなのが気に入ったのよ。ねぇ、お兄さん、ミノを出るまでの間でいいからさ。私も同行させてくれないかい。私こう見えても生まれてこの方、エチゼンの片田舎の村から一歩だって出たことがなかったんだよ。毎日、不安で、不安で。太平の世になったとはいえ、女の一人旅ってのは無謀だったのかも」


 目を潤ませて懇願されるものだから、ヒロもお浜が可哀そうに思えてきた。


「私の尋ね人かい?ギフに居れば話は早いんだけどねぇ。年の半分は他所にいるらしいから、行ってみないと分からないんだよ」


 ギフまでなら向かうところは同じ、いやさ、でも危険はむしろヒロにある。無関係なお浜を巻き込むリスクは負えない。


「悪いけど、無理なんだ。僕に決定権はないし、同行できるような感じじゃない」


「感じじゃないって、どんな感じさ。私が後の二人も説得するからさ、とりあえずお兄さんは同意してくれるんだね!」


「えーいや、そういうわけじゃないよ。」とシドロモドロになるヒロ。


「ねぇ、あっちを見て」


とお浜は袖を引く。

向かいの茶屋で、休憩する侍の姿が見えた。


「あの侍、エロい。エッチな目でずっと私を見ているよ」


 そんなのは気のせいかと思いきや、確かに侍はこちらをチラチラ見ているようにも見える。お浜の胸は大きい。胸が大きな女性は魔性を持つとヒロを教わっていた。


「女の一人旅は危険がいっぱいなんだよ!お願い、お兄さん」


 お浜は二人分の茶と団子を注文する。


「ぷはー。美味しいわねぇ。これは私の奢りだから食べて、食べて」


 いや、焼団子などでは買収されないぞと身構える。


「お代わりしてもいーよ」


そうはいっても、彼女が一人旅に不安を感じているのは嘘ではなさそうだ。彼女の豊満な胸に引き寄せられる男たちがいないでもない。さっきのお侍もやはり彼女の胸が気になっているようだった。


「すいません。理由は言えませんが僕たちも危険な旅をしているのです。貴方を連れていけば貴方を危険に巻き込むことになる。なので、姫様に頼んで、誰か護衛を付けてもらいましょう」


「私はお兄さんを気にいったんだけどねぇ。そこまで正直に言わせちゃあ、私も申し訳ありませんね。お兄さんの旅が順調に行くことを祈っていますわ」


 そういいながら女給の運ぶ2杯目のお茶と焼団子を受け取った。

 ヒロもまた、お浜が無事尋ね人に巡り合えるように願った。

 一息ついたとき、視界の隅に黒い影をみる。


「しまった」


 次の瞬間、ヒロの頭脳は高速回転し始める。影は武装した兵士だ。

 裏口を押せられたのだ。

 ヒロが慌てて立ち上がったときには、茶屋の表には兵士たちが列をなして包囲していた。

 兵士たちの先頭、青毛の馬に乗る一人の騎馬武者があった。

 黒い長髪を後ろで一つに束ね。右目には眼帯を付けている。

 それは端正な顔立ちをした女性だった。


「大垣城主、氏家卜全の名において検分いたす。この店に狼藉者が潜り込んでいることが判明したものである」


女は燐とした声で、そう告げるのだった。







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