第2話 ヒロ、旅立たない

「で、なんでふんどし一丁で私の前に座ってるわけ、馬鹿なの?」


「お前が、俺の一帳羅を焼いちまったからだろうに」


「ただのボロ切れだったじゃない」


 井戸水で体を洗った後、一行はヒロの家へと移った。

 ヒロの着ていた服は、茶々が他の遺体たちと一緒に焼いてしまった。

 そんそえいで、ヒロはしばらく裸で過ごす羽目になった。


 あばら家でさえ控えめな表現で、人がかろうじて住める廃墟といった体で、屋根・壁すべて隙間だらけの小屋だった。

 立派な着替えをジブがちゃんと用意していたが、ヒロは頑なにそれを着ようとはしない。


「お前たちから何かを貰う筋合いはない。受け取る理由のないものは受け取れないぜ」


「でも、ずっと裸で過ごすわけにもいかないでしょう。これはお詫びと品ということでどうですか」


「外の服を着れば、外の世界に色気も出てくる。俺は生まれのことは忘れることにしたし、この村を出ていくつもりはない。」


 貧しい家だ。客人に出す菓子もなければ茶もなかった。お椀さえない。

 だから、会話に詰まっても互いの顔を見つめるしかない。実に気まずい。


「困りましたねぇ。ボクとしても公務でここまで来ているのです。ハイ、そうですかと帰るわけにはいかないのですよ。そこはご理解いただきたい。あと、失礼承知で申しますけど、ここ虫とかいませんですか。噛まれたら嫌だな、ボク肌が弱くて」


 廃墟のような家にあっても姿勢よく正座するジブ。

 嫌味で言ったのでないのだろう。ノミもシラミもここにはいる。だから、とっとと帰ればいいのだとヒロは思う。

 

「ジブが虫に刺されるのはいい気味だけど、ここにこれ以上居たくないってのは同感よ」


 一方、茶々姫は作法などは無視して胡坐をかいてフトモモも露わにして、退屈そうに両手を床についていた。


「なら、京にでも安土にでも帰ってくれ。もう二度とここには来ないで欲しい」


 ほぼ全裸だが、その表情は真剣だ。

 この村を訪れてみてヒロが見せた態度は、茶々にとってもジブにとっても意外なものだった。

 この家のどこにも、この村のどこにも、彼を繋ぎ止めておくようなものは見当たらない。


「田畑もない。雑用して小遣い恵んでもらうだけの人生が楽しいのかしら、まったく理解できないわ。こういうのは慎ましいっていうんじゃない、向上心を放棄しているだけよ」


 露骨な挑発、だからヒロはそれに応じない。


「理解してもらおうとは思わない」


 ヒロは欲のない頑固者。

 茶々姫は押しだけめっぽう強く、回りくどい交渉は苦手だ。

 だから話は平行線が続くと見えていた。


「まぁまぁ。まずはともかく信長公の遺言に従いまして、ここにおわす茶々姫の所有権はヒロ様にございます。これはもう絶対です。大君の命には誰しも背くことはできません故」


 そういってジブは今はもういない王に深々と頭を下げた。


「茶々さんが俺のものだというなら、今この場でそのまま解放してやるよ。狩りの獲物の同じだ。後は茶々さんが好きにすればいい。どこに行ってもいいし、何をしても良い。それならいいだろ」


 理屈は通っているはずだとヒロは自信げだった

 しかし、刹那、普段は頼りなさげな男が不似合いな鋭い殺気のようなものを発した、かのように感じられた。


「いえいえ、我が君。今のは聞かなかったことにします。間違っても、二度とそれと同じことを口にしませんように忠告させていただきます」


 ジブは深々と頭を下げた。ゆえにその表情は見えない。

 頭を上げるとすっかりいつもの調子に戻っている。


「そのあたりの事情は、もちろんボクが一から十まで丁寧に説明してもいいですけどね。でもね、ヒロ様と茶々姫、お若い者同士、お話し合いになって少しづつ互いを理解されるのが一番だと思うのですよ。出会ってまだ数刻じゃないですか。焦っては一番楽しい時期が台無しなのですよ」


「別にアタシとコイツはそういう関係でもないでしょ。何変態なこと想像してんだか。アタシはアタシで自分の運命は受け入れてるし、だからってコイツみたいに諦観するつもりもない。わざわざ話して聞かせるようなエピソードも隠しているような驚きの裏設定も何にもないわよ」


アタシのとは違う面白いものが詰まってそうね。そうはいっても気を遣ってくれてのことだと思うし、嬉しいけど、それに」


 茶々は少しばかり真剣な面持ちでヒロの顔を見据える。


「いい、ヒロ。血の宿命からは逃れられないの。それは特別なことじゃない、誰だってそうよ。とっとと運命を受け入れて、やるべきことをやりなさいな。こんなところにいて何になるっての。あと、ヒロの本名だって秘密のまま?随分と勿体ぶるのね」


「何を勝手なこと言ってるんだ。俺は俺だ」


 我慢の限界という訳でもなかった。だが、茶々の言葉に対して腹の底から熱い感情が沸き上がってきてヒロには珍しく感情的になって睨み返す。


「まぁまぁ今日はいったん退きましょう。今日は色々ありましたし、寝て起きれば気持ちの整理も作ってものですよ。ヒロ様は賢明な方だと信じています」


「はいはい。じゃあね、ヒロ。これは命令だけど服は着なさい。今日はアナタの命救ってあげたでしょう。だから、アタシのために服を着ること。それでチャラでいいじゃない。」


                 ◇


 騒々しい客人も去り、一人になったヒロは天井の隙間から見える月を眺めていた。

 とてもじゃないが今日は眠れそうにない。

 まずは自分の気持ちを確かめる。決意に一寸のほころびも無かった。

 自分は誰かと一緒にいたいとは思わない。その気持ちに偽りはない。

 茶々という娘、全く偉そうで口うるさいけれど嫌いではない。それに都の女性だけあって着飾った背徳的な美しさがあった。自分が関わらないどこかで、幸せになってくれればそれが一番だ。

 かの魔王の命令だとはいうけれど、いきなり俺の所有物とはあの子も可哀想だ。どんな強大な存在だとしても、既にこの世にない。すべては終わったことだ。

 明日もあの二人組は来るのだろうか、問答は疲れるし、村人に知れるのも面倒だ。

 これからも何も変わらないと信じていたヒロだが、その全身に回ったある猛毒の存在には気づいていなかった。初めて屍人ゾンビを目の当たりにしたあのとき、心に芽生えた感情、いや衝動。

 自分の常識がただの無知だと理解した瞬間に生まれる焦燥感。

 人はそれを好奇心という。

猫をも殺すと言われる猛毒である。

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