【ブラナガ】新本格戦国絵巻 Bloodline of Naga ~ノブナガの血脈(ムスコたち)~

影咲シオリ

第1話 拾いし者

 春の日というには灰色すぎた空だった。 

 琵琶湖からそう遠くない里の小さな村でのこと。

 村の男は小屋の中の様子を一瞥すると、慌てて飛び出してきた。

 口を覆っていたぼろ布をしまい口を開く。


「神様は加減を知らんのかのう。おい、ヒロ。またぁお前の仕事だ」


 心身共に疲れ切ったといいたげにため息をつくと、男は木陰に座りこみ陰鬱な空をぼんやりと見上げた。

 ヒロと呼ばれた少年は、言葉を交わすことなく男と入れ替わりに小屋の中へと入っていく。

 母親と子供の痩せこけた果ての遺体がそこにあった。皮膚は醜く変色していて死の原因が尋常でないことが見て分かる。

 ヒロは少し悩んだ挙句、母親を背負い、子供を抱きかかえた。

 やせこけた病人のそれといえ遺体を運ぶというのは決して楽な仕事ではない。

 全身の筋肉に力を入れ、一歩一歩足を進める。


「何ぞ急ぎの用事でもあるのかいや。ここにきて無理はよしといたほうがいいぞ」


 村の男は同時に二人の遺体を抱え出てきたヒロを見て驚きの表情を見せた。


「用などない。どちらを先に運ぼうか考えたら、残されたものが寂しがらないか心配になった」


「いやいや、死人だぞ。奇抜なことを考えるもんだな。死人は感謝なぞしてくれんぞ」


村の男はヒロの正気を疑ってみたが、いつものことだったかもしれぬと納得した。

ヒロは不平不満を言わんところがいいが、頑固者でどこか浮世離れしたところがある。


「ま、ええか。ワシは帰る。今日はしまいじゃ」


 男と別れるとヒロは村はずれの広場に向かった。かつて小さな寺があった場所で、森との境界であり、日の光を遮る木々に囲まれた薄暗い不気味な場所だ。

 そこに8体の遺体が重なり合うように並べられていた。そのどれもヒロが運んできたものだから驚きはない。今ソレは10体に増えた。

 手を合わせたのは大人たちの見様見真似だ。たまに村に坊主が来た際も遠巻きに眺めるだけで話を聞いたことは無かった。明日には遺体は焼かれ、魂は天に昇るらしい。そういうモノらしい。

 同じ村に住むというだけで言葉も交わした事のない者たちだったが、こうして動かなくなった姿を見れば、心地の良いものではない。ヒロが生まれて15年、流行り病というものを知らなかった。

 豊かさとは縁遠い寂れた村はますます陰鬱になった。

 村全体を包む重苦しい空気が晴れる日が来るのだろうか。答えが見つかるはずもなく、ヒロは独り帰路へ着いた。


 ガサリ。

 布が擦れるような音がした。

 慌てて振り返ると黒い影が跳ねるのが見えた。

 次の瞬間、激しい衝撃と共に全身を地面に叩きつけられる。

 どす黒い肌をした人型が、ヒロに覆いかぶさっていた。

 穴という穴から腐汁を垂らしながら、顎を大きく開き喉元にかぶりつこうとしてくる。

 ヒロは左の腕を生贄にして、口に捻じ込む。

 すごい力だ。力仕事には慣れているヒロだったが、何とか抵抗するので精いっぱい。押しのけるどころか、わずかな隙さえ作りだせない。

 人型に見覚えがあった。今朝、最初に運んだ男だ。

 死体は焼かねば人を襲う、大人たちはしきりにそう口にしていたが、ヒロは信じていなかった。森にはあまた獣の死体があるが、それが動く様子など見たことがない。

 こうなってしまったことに恨みも後悔もない。

 ただ驚きと、もう一つの得も知れない感情があった。


「いや、アンタ。登場シーンから屍人ゾンビに襲われて、死にかけとか馬鹿なの?」


 甲高い女の声が聞こえる。村では聞いたことのないような溌溂とした若い女の、それもとびっきり活きのいい声だ。

 白い閃光と共に屍人ゾンビの頭部が砕けた。ヒロを掴んでいた腕からすうと力が抜ける。

ヒロは何も無かったかのように平然とした表情で立ち上がり、周囲を見渡して自分を助けた命の恩人の姿を確認する。

 桃色の絢爛なる花柄の戦振袖の身を包む少女。その両手には二丁の短筒が握られている。オーミの辺境、小村から一度と出たことのないヒロにとって、その姿はあまりに奇妙で非常識だった。長い頭髪を左右の高い位置で結った奇天烈な髪型、派手な化粧をしているが、歳はヒロとそう変わらないように見える。


「お前が助けてくれたんだな。礼を言うぞ」


「見ず知らずの恩人に、いきなりお礼とか一体何を考えているんだか。まずはアナタが名乗りなさいよ」


 偉そうな話し方をする女だ。きっと偉いんだろうとヒロは思った。


「俺はヒロだ」


「知ってるわよ」


「俺のこと知ってるのか。俺はお前のことなんか知らないぞ」


 ヒロにとって知り合いと呼べる人間は両手の指で足りる。

 武装したよそ者という時点で、もう絶対に関わってはいけない「厄介ごと」なのだが、どうやらこいつは避けて通れる奴ではなさそうである。


「私たちは貴方を探してここまで来たってわけ。細かい事情はなんとなく察しなさいよ。というわけでさぁ、行きましょう」


「行くって、どこにさ」


「とりあえず風呂?」


そう言われてヒロはあらたまって五体を見回すと、全身屍人ゾンビが垂らした腐汁にまみれだった。これはまずいと思ったが、風呂なんて立派なものはヒロの小屋にはない。

 ついでに屍人ゾンビ嚙まれた腕からは血が流れている。まあ、放っておいてもそのうち止まるだろうと、これはそのままにする。


「あのさあ、これはまずいヤツだ。アンタも気を付けろよ、黒死の病は感染うつるらしい」


「誰がアンタよ!アタシと話をしたかったら、まず先にちゃんと名乗らせなさいよ」


 本当に偉そうな話し方をする変な女だと思う。話す内容の方も無茶苦茶だけれど、何よりこの奇妙ないで立ちだ。話が通じないのも無理はないと納得する。


「あのねアタシ、病気の方は別に大丈夫だから心配ご無用。馬鹿じゃないから、ちゃんと考えてからここにいるわけよ。でも不潔なのはダメね。お話にならない。レディを前にするのだから、まず身なりは整えないとね」


 そこで女はぱちんと指を鳴らした。


「そろそろ出てきなさいよ。ツッコミ役がいないから会話が進まないじゃないの」


 呼ばれて飛び出て、木陰から立派な身なりの侍が現れた。腰に差した大小二本の刀がその身分を表していた。ひょろりとした瘦身で、整った顔立ちだが威厳はない。理屈大好き自分大好き、ようは村人が嫌うタイプの男、そんな顔をしていた。侍はへらへら笑いながら女の脇に歩み出てくる。ヒロよりは年上だが、20歳前後、まだまだ若造と呼ばれる年代だ。

 颯爽と現れるでなく、心底嫌そうな表情をみせた。


「ねぇねぇねぇ、知ってますか。黒死病は伝染するのですよ。ボクは嫌ですよ、そんなので死ぬのは」


「いっそ馬鹿になれば風邪も黒死病もひかないわよ。それより私が誰だか、コイツに説明して頂戴」


「自己紹介もできないポンコツですか?」


「アタシみたいな高貴な身分は、自分で名乗っていけないって決まっているでしょう」


「はいはい。都でもあるまいし、そんな堅苦しいこといいじゃないですか。まぁ、よろしい。まずボクの方から自己紹介を……」


「こいつはジブ。それ以上でもそれ以下でもない。男の自己紹介なんて短い方がいいのよ。アイ・アム・ジーブー・イヤァーハッ、でいいのよ。」


 やれやれという顔をするが、それもこれも慣れた様子で


「あ、はい。じゃあ、とっととコレの説明をしますか。このピンク色のうるさい奴は茶々姫です。亡き我らが大君。織田信長様が貴方様のために残した唯一のご遺産でございます。どうぞ、お受け取りを…ヒロ様。今はそうお呼びした方がよろしいでしょうかね」


 ヒロは無表情を崩さない。


「コレって何よコレって!ジブちゃん、いくらなんでもそれは非道いんじゃないの」


「いえね、よく考えたらボクの役目は貴方をヒロ様の下に届けることでした。別に茶々姫の家臣でも何でもないんですよね。だから、貴方との関係は今日でおしまいなのですよ、さようなら」


「ムキーッ! ジブ。でも、アンタは今日からコイツの家臣なのでしょう。だったら今宵にでもコイツを篭絡して、私の接待係にしてもらうからね。逆らえば釜茹での刑に処すからね。それでもいーの?こってりジブ出汁よ?」


「よちよち、茶々姫はいつもカワイイでちゅねぇ。では殿。このものを一体どのようにいたしますか?お好きにしちゃって構いません 最初が肝心。一度尻に敷かれたらそれっきりですぞ」


 じゃれあう二人を見ながら、ヒロは心底、迷惑そうにする。


「ははぁ、アナタ方はそっち関係の人でしたか……」


今からちょうど3か月前。

1000年の長きにわたってこの日の下の国を支配してきた大君・織田信長が死んだ。

だから、遠からずいつかこんな日が来ることをヒロは知っていた。

なぜなら、彼もまた第六天魔王と恐れられた暗黒竜ノブナガの血を引いていたのだから……

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