いつか思い出になる

「あ、消えた」

 凄まじい光と音がほぼ同時に来たと思ったら、真逆にプツンという静かな遺言を残してテレビは沈黙した。パソコンとスマホのコンセントを抜いておいた自分の英断を褒めた瞬間、数秒前の雷に負けない大声と共にトイレの扉が開いた。

「え、なに⁉ 何なの⁉」

「いや、フツーに停電しただけじゃん」

 スマホのライトを点けて飛び出してきた影を照らすと、ズボンのチャック全開の弟が壁に頭をぶつけた状態で転がっていた。頭は守らなかったくせにスマホは両手で握りしめている。これが現代っ子の闇か。

「エ、ムリ、クライ、ムリ」

「帰ってこい」

「いやアニキはなんでそんなに冷静なんだ! 暗いってことはなぁ! オバケが出るってことなんだぞ!」

「小学生か」

 大真面目な顔でオバケとか言う十八歳にどう対応していいのか。それこそ小学生の頃は「怖いね」と一緒に怯えた顔をしてもよかったが、大学生二人が一緒にオバケを怖がっていても気色悪いだけだ。

「いつまで廊下に転がってんだよ。さっさとファスナーあげて立てっての。お前のピンクのパンツなんぞ見たくねぇわ」

「見るなよ変態」

「見せんなよ変態」

 公然猥褻で通報してやろうかコイツ。

 しかしこの嵐で警察を呼ぶなんて迷惑は出来ないため、俺は大人らしく目の前に投げ出されていた足を蹴る程度で済ませておく。それにすら小声で文句を言いながら立ち上がった弟は、リビングに戻ろうとする俺の背中を掴んだ。

「服が伸びる」

「大丈夫だよ。ダッセェから伸びても問題ないって」

 そりゃあ、弟にしか見せない部屋着だからな。高校の時の団Tという、ダサいことは否定できない代物なため、溜息をこぼして体温の高い手を放置することを決めた。

 リビングへの扉を開いた瞬間、窓の外が白く光る。二秒ほど遅れた雷鳴を聞くと「秒速三四〇メートルだっけ……?」と文系にはもう一切関係ないだろう知識が思い出された。

「なあ、お前って理科とく……何やってんの?」

 振り返ると、俺のTシャツを変形させていた男は壁に両手と頭頂部をついて俯いていた。

「いや、アニキの背中じゃ暗闇には勝てても雷相手には頼りなくて」

「ぶっとばすぞ」

 雷に撃たれたら壁とか関係なく死ぬだろ。そもそも二階だから俺たちより先に上の住人が死ぬし。まあ、すぐ上の奴は週四でタップダンスを踊りだす迷惑ヤロウなので、俺としてはガッツポーズものだが。

 変なポーズで動かなくなった弟を放置してソファに歩いていこうとすると、水をかけられた猫のように飛び上がって腕にしがみついてきた。

「スマホの電源切れたんだから優しくして!」

「アホ、バカ、現代っ子」

「うるせぇ! 二個しか変わんねぇじゃん!」

「いや、現代っ子なら電源切らさないか」

「そういう問題じゃねぇ!」

 ライトに照らされた顔が半泣きになっていることに思わず笑い声をもらすと、脇腹を軽く殴られた。別に痛くもないそれに「いてぇ」と文句を言いながらソファに腰を下ろすと、まるで幼子のように俺の手を掴んだまま隣に弟も座った。

「……アニキ、彼女さんから何か来てる」

「あ、ほんとだ」

 懐中電灯代わりにしていたスマホの画面に映った通知を目敏く見つけた今時の若者は、少し呆れた目で俺を見る。いつもは少し下にある顔が、今はほとんど同じ高さにあった。

「この嵐で彼女さんも心細いんじゃない?」

「そんなことあるか。お前じゃあるまいし」

「どういう意味⁉」

「はいはい可愛い可愛い」

 キャンキャンと文句を言う声を右から左に受け流しながらアプリを起動すると『弟くん、また怖がってない?』という揶揄い混じりの文章が飛び出してくる。通話で今までのやり取りを聞かせてやれなかったのが悔やまれるな……。

「大体アニキはな……!」

 行儀悪く隣のチビがひとを指さすと、また轟音と共に緑みを帯びた自然の光が部屋を満たした。

「ヒッ」

「近いな……」

 立ち上がって窓の外を見に行こうとした俺の手を、汗ばんだ両手が力一杯引き戻す。先ほどまで彼女への対応に関して俺に怒鳴っていた勢いはどこへやら、今にも泣きだすんじゃないかという情けない顔は、子供の時から変わらない。

「……」

 ぱしゃり。

 無言でスマホを向けて有音タイプのアプリで写真を撮ると、一瞬遅れてスマホ越しに見える目が見開かれた。

「アイツがお前の様子を気にしてるから」

「消せ!」

 飛びかかってきた体を避けて片手で押さえつけると、手早く送信ボタンを押す。途端についた既読マークと『可愛い!』という一言。トドメとばかりに表示される、ご満悦という顔のクマのスタンプを暴れる男に見せると、薄暗くても分かるくらい顔を真っ赤に染め上げた。

「コロシテ……」

「やだね。お前なんか殺して、人生棒に振ってたまるか」

「カップルして最低。もうお前らの為にデートの日に予定入れてやらねぇから。家に居座ってやる」

「オモチャにされたきゃどうぞ」

 俺の言葉に「くそぉ」とソファを殴る背中が、雷で鮮明に浮かび上がった。

 さて、今夜は寝かせてもらえるのだろうか。そんな不満を、無音カメラで撮った赤面写真と共に送ってみれば『今夜は寝かさないぜ』と言うウサギのスタンプが返ってきた。

 勘弁してくれ。

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