短編集

卯月

終わりが始まり

 六月の梅雨真っ盛りだというのに、まばらに浮かんだ雲は一切太陽の邪魔をしていない。主役を祝福するかのようなその明るい空が憎たらしい気持ちが七割、都合がいいという思いは二割、蒸し暑いから不快なのが一割だ。

 綺麗すぎるほど人工的に整えられた庭では、顔見知りや主役二人の血縁がそれぞれに輪を作っている。今日という日を彩るように、それぞれの輪では話に花が咲いているようだ。つい先ほどまで、同じような笑顔で幼い頃から知る顔に定型文の祝いを述べていたのだから、他人のことを言えた身ではないのだが……。

 片手に持っていたノンアルコールワインを一息に飲み干すと、鼻に苦みをまとった葡萄の香りが抜けていった。アルコールは入っていないと分かっているのに、喉が熱くなるようだった。

 不快感に眉をひそめながら、近くを通りがかったスタッフにグラスを預ける。するとバッチリのタイミングで式場の出入り口付近が騒がしくなった。ここは猿山かと思うほどよく通る甲高い女性の声と、それに負けじと張り上げられる男の低い声。元野球部のアイツの友達だろう。

「相変わらずうるさいわね」

 誰にも聞かれないように毒をひとつ吐いて、私もヒールを鳴らしながら猿山の末席に身を寄せた。出入り口から見て左斜め、ハート形に刈り込まれた植え込みから三歩前。

 少し遠くに見える白い服に身を包んだ一組の男女は、どちらも幸せそうに緩んだ顔で、これ見よがしに指を絡めている。笑顔など見飽きたはずの幼馴染の薬指で、太陽の光を浴びた小さな石が控えめに存在を主張する。その輝きを見た瞬間、私は自分の右手の薬指に嵌めた指輪を弄っていた。

「よし、じゃあいっきまーす!」

 会社で運動部に所属しているという新婦の声は、離れている私の耳にもよく届いた。何部かは忘れた。

 そういえば前の女は予告もなく突然投げてきたな……と目の前の新婦とは違う顔を思い出しながら、覚悟を決めて新婦の白い背中を睨みつけた。

 少し溜めるような間をおいて、勢いよく投げられたブーケ。今度は耳を刺すような黄色の声しか聞こえなかった。その喧しくも女らしい声とは裏腹に目が笑っていないのが非常に愉快だが、と口元に手を当ててひとつ笑い声を漏らした。

白と桃色を基調とした花束が、太陽の光を浴びながら緩やかな放物線を描いてこちらに飛んでくる。それを視認すると、躊躇いなく両手を突き出した。光が両手の影と視界で大きくなっていくブーケに遮られていく。しかし、不意に僅かな風が吹いた。ブーケに混じっていた白い薔薇の蕾が揺れる。それに目を細めながら、指先に触れた柔らかな感触を握りしめようとすると、色硝子のはまった玩具の指輪が主役たちのそれより強い閃光をはなつ。

「さようなら」




 次の瞬間、ベッドから落ちていた。

「何度やっても痛いのよ!」

 頭を押さえながら目覚ましを止めると、ホーム画面にはついさっきより十五年も前の日付が表示されていた。部屋の壁にかけられたセーラー服に手を伸ばして大きな溜息を吐く。

 また、掴めなかった。

 あれを掴めたら私は、あいつの手を取ることが出来る気がするのに。


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