49.コーヒーとミルクティー

 ブランシュ伯爵家は子爵へと爵位を落としたそうだ。

 財産の一部を没収して、それがわたしへと渡される事になっていると聞いた。


 養育放棄に近い事をしていたからというには処分が重すぎる気がする。それをヴィクトル様に零すと、それ以外にもわたしの婚約を勝手に決めていた事も問題視されたとか。


 わたしは研究職に就いているから、この国の魔法環境については詳しい方だと思う。

 そんなわたしを他国へ嫁がせる事を決めた事がいけなかったらしい。研究員だから他国に嫁げないわけではないのだけど、まぁこれは……処分の口実なのだろう。


 実際、わたしは古代文字の第一人者であると認められたわけだ。そんなわたしを他国に出す事が出来ないとスティーグ殿下は仰って下さった。わたしが学院で学んできた事や研究内容を伯爵家の人達が聞いていたら、こういう結末にはならなかったかもしれない。


 でもそれを考えても、もうどうしようもない。


 エドラは屋敷に引きこもっているそうだ。

 ヴィクトル様に美しくないと言われた事と、わたしに拒まれた事、それから周囲に冷ややかな目で見られた事が余程ショックだったらしい。

 貴族学園も退学したと聞いた。別に不幸になって欲しいわけではないから、彼女がこれから前を向ける事を祈っている。

 わたしにそんな事を祈られても、彼女は喜ばないだろうけど。


 元両親とエドラはわたしへの接近を禁止された。

 これから関わる事もないだろう。


 執事もブランシュ子爵家から離れたそうだ。

 ヴィクトル様にお願いして、執事に手紙を渡して貰った。わたしを助けてくれていた事への感謝を綴った手紙。

 

 それを受け取った執事は涙を零して、わたしの幸せを願っていると言ってくれたと聞いた。


 ***


 色々な事の決着がつき、落ち着いたのは祝宴から二週間が経っていた。

 わたしは相変らず、ヴィクトル様のお屋敷で暮らしている。

 でも今日は、二人でお出掛け。


 気になっているカフェがあると言ったら、ヴィクトル様が連れてきて下さったのだ。

 明るい店内はお客さんで賑わっていて、天気も良いからテラス席にも座る人達もいた。


 わたし達は店の奥の席を選んで座った。

 おすすめだというミルフィーユとコーヒーのセットを注文する。ヴィクトル様はチーズタルトとミルクティー。いつもはコーヒーなのに珍しいなと思ったけれど、そういう気分だったのかもしれない。


「そういえばレダ姉様が遊びに来たいそうです。ドレスの試作を持ってきて下さるって」

「俺も聞いたよ。君の都合のいい時に来て貰ったらいいけど……連れて帰られないでね」

「ふふ、大丈夫ですよ」


 レダ姉様は結婚するまでデルベルク侯爵家で暮らしたらいいと誘ってくれているのだ。

 それも楽しいと思うのだけど、やっぱりヴィクトル様と一緒に過ごすお屋敷から離れられないでいる。


「でも今度、お泊まりをしてきてもいいですか?」

「俺も行く」


 間髪入れずに返ってきた言葉に思わず吹き出してしまった。

 笑いが堪えられずに肩が揺れてしまう。そんなわたしの様子に拗ねたようにヴィクトル様は口を尖らせた。


「ふふっ……レダ姉様が言ってました。「俺も行くって言うわよ」って」

「……読まれてるのは腹立たしいな」


 頬杖をついたヴィクトル様が不貞腐れると、いつもよりも幼く見える。そんな姿を見られるのはきっとわたしの特権だろう。


「お待たせしました」


 店員さんがティーワゴンを押してやってくる。

 わたしの前にミルフィーユとコーヒーを置き、ヴィクトル様の前にはチーズタルトとミルクティーを用意する。ごゆっくりどうぞという明るい声を残して、店員さんはまた別のお客さんの方へと向かっていった。


 コーヒーの銘柄も選べたけれど、馴染みのないもので、何というものだったか忘れてしまった。ダークチョコレートのような風味というからそれにしたのだけど、なんだか思ったよりも苦そうだ。


「飲めそう?」


 わたしがコーヒーと見つめ合っている事に気付いたヴィクトル様が、優しい声で問いかけてくる。


 コーヒーはコーヒーだ。

 ミルクやお砂糖を入れる事が多いけれど、ヴィクトル様が淹れてくれるコーヒーはそのままでも飲めるようになってきた。苦いけれど、それでも美味しいと思えるくらいに慣れてきたと思う。だから大丈夫。


「大丈夫です」


 そう答えて湯気の立つコーヒーカップを手に取った。

 少し吹き冷ましてから、一口飲む。


「……っ!」


 苦い。

 思っていたよりもずっと苦い。ダークチョコレートなんて書いてあったから、少しは甘みを感じるのかと思ったのに。いつも飲んでいるものよりずっと苦い。

 きっと美味しいのだろうけど、わたしにはまだ早かったみたい。


「苦かった?」

「……はい」


 少ししょんぼりしながら答えると、ヴィクトル様が笑ったのが分かった。

 お砂糖を入れるだけでは足りないから、ミルクを追加で貰えるだろうか。でも半分くらいは減らさないとミルクを入れても溢れてしまう。

 これを半分飲むの? それは中々難しいかもしれない。まずはお砂糖で……なんて考えていると、ヴィクトル様がソーサーに戻したばかりのコーヒーカップを自分の前に持っていった。


 代わりとばかりにわたしの前には、ヴィクトル様の注文したミルクティーが置かれている。


「交換」

「えっ、でも……」

「飲めないかなって思ってたから」


 それは……こうなる事を見越して、ミルクティーを頼んでくれていたという事だろうか。

 わたしを気遣う優しさに、胸の奥がぎゅっと締め付けられてしまう。そんなの、ずるい。


「ありがとうございます……」

「いいよ。俺もそれを飲んでみたかったし」


 そう言うとヴィクトル様はカップを手にして口に運んだ。少し目を瞬いたけれど、平気な顔をしている。


「確かに苦いな」

「飲めます?」

「平気。残業中はスティーグ殿下に付き合って、濃い目のコーヒーも飲むからね。これも美味いよ」


 わたしもカップを手にして口をつけた。

 ミルクの甘い香りと、爽やかな紅茶の香りが混ざり合って鼻を擽る。少しお砂糖を入れてあるみたいで、ほんのり甘くて飲みやすい。美味しい。


「すみません、自分の飲めるものを選ぶべきでした」

「アンジェリカの好きなものを一緒に見つけようって、前にも言っただろ。気になるものは何だって試してみていいよ。苦手だったら俺がどうにかするから」

「でも……」

「それに俺の好きなものも見つかるかもしれない。この苦いコーヒーだって俺は好きだしね」


 ヴィクトル様はそう言ってまたコーヒーを一口飲んだ。それは無理をしているようには見えなくて、苦さも楽しんでいるように見える。

 だからわたしは、また甘えてしまうだろう。


「甘やかされすぎて、どうにかなってしまいそうです」

「そうしたくて甘やかしてる。俺がいないとダメなくらいに、どうにかなってくれたらいいよ」


 そんな睦言を口にするヴィクトル様の声も、瞳も蕩けてしまいそう。

 今なら苦いコーヒーも飲めるかもしれない。そう思うくらいに甘やかだった。

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