48.妹にさよならを
「私、どうしたらいいか……っ!」
そんな事を言いながらエドラがヴィクトル様に抱き着いている。わたしの腰からヴィクトル様の腕が離れたかと思ったら、ヴィクトル様はエドラの両肩を掴んで勢いよく距離を取った。
そのまま一歩下がってわたしの後ろに立つと、わたしを背中の方からぎゅっと抱き締めてくれる。
人前でするのは恥ずかしい姿勢に、わたしの顔が一気に赤くなってしまった。
「ちょっと、アンジェリカを盾にするのは卑怯じゃない?」
「盾じゃない、消毒。浄化して貰ってる。本当に無理なんだけど。何なの、あの人」
呆れたようなレダ姉様の声がする。それに言葉を返すヴィクトル様の声は聞いた事がないくらいに引き攣っていた。
ぎゅうぎゅうにきつく抱き締められ、本当に嫌だったんだなというのが伝わってくる。わたしに回る腕に両手を添えて、大丈夫だと伝わるようにそっと撫でた。
「エドラ、あなたはもう屋敷に帰った方がいいわ。伯爵と夫人が今日戻れるかは分からないけれど、それでも……ここに居るのは大変だろうから」
「ひどいわ、お姉様! これから私、どうしたらいいの!」
両手で顔を覆いながら、エドラが泣き出してしまうけれど……それは、もうわたしには関係のない事だって、彼女はきっと気付いていない。
とりあえず屋敷に帰った方がいいと思う。
周りの冷ややかな目線に気付いていないわけはないだろう。いや、気付いているからこそ、このまま帰る事が出来ないのか。
そう考えたところで、エドラが顔を上げた。涙に濡れた赤い瞳で、わたしではなく──ヴィクトル様を見つめている。
「……ヴィクトル様、私と婚約して下さい」
「断る。俺が好きなのはアンジェリカだけで、彼女以外と結婚をするつもりはないんだ。大体、君に名前呼びを許してもいない」
「だって! お姉様のせいで家族がばらばらになっちゃったのに! それなのにお姉様だけが幸せになるなんてずるいじゃない!」
エドラの声に、広がっていたざわめきが消える。静まり返った広間で、エドラはぽろぽろと涙を流すばかりだった。
彼女に寄り添う人はいない。家族である両親は連行され、婚約もとうに破棄している。学園で仲良くしている人も多かったはずだけど、でも……今のエドラの側には誰もいない。
だからきっと、わたしに……ヴィクトル様に縋る以外にないのだろう。
「家族がばらばらになったのはわたしのせいじゃないわ。元々、わたしは家族じゃなかったんだもの」
「うるさい! 誰からも愛されたなかったくせに! ちょっと立場が変わったからって偉そうにしないでよ!」
わたしの周りを囲む人達の機嫌が更に悪くなるのが伝わってくる。
レダ姉様も、デルベルクの父と母も、オスヴァルト様も不愉快そうに眉を寄せている。ヴィクトル様はわたしをぎゅっと抱き締め直し、「俺が愛してる」と耳元で囁いてくれた。
「ヴィクトル様! 私を連れていってください! 美しい私の方がお役に立てますから!」
「美しい? 冗談もいい加減にしてくれ。美しさだけでアンジェリカに惚れたわけじゃないのは前提として……どう見たって君よりアンジェリカの方が美しいだろ」
「……は?」
「君は美しくない。性根の悪さが顔に出ている。顔も仕草も姿勢も、アンジェリカには到底及ばないよ」
きっぱりと拒むヴィクトル様の言葉に、エドラは茫然としている。縋るような視線がわたしに向けられた。
悲しみに揺れる赤い瞳を見ると、幼い時の気持ちが蘇ってしまう。
でも、もうそれに引き摺られたりしない。
「エドラ、わたしはもうあなたの姉じゃないの。あなたの為に何も出来ないわ」
「そんな……お姉様。私は、お姉様の可愛い妹でしょう……?」
「あなたが生まれた時、本当に嬉しかった。わたしはお姉さんだから、あなたの事を守ろうってそう思っていたのよ」
「そうよね、私はお姉様の妹なんだから……守ってよ!」
悲痛なほどの叫びに、胸の奥が軋むような音がする。
守りたかった。お互いを思いやれていたら、きっと違った。
「姉妹らしい関係を作る事が出来なかったのは、わたしやあなただけのせいじゃない。両親のわたしに対する扱いに、あなたが追随しただけなのも分かってる。でも、だからってそこに、あなたの意思がないわけではないでしょう。わたし達は血が繋がっているけれど、思い合うような関係を作る事が出来なかった」
さよなら、エドラ。
そんな思いを込めながら言葉を紡いだ。
「わたし達は姉妹になれなかったのよ。あなたを可愛いとはもう思えない。ブランシュ伯爵家を出たわたしは、もうあなたの姉ではないわ」
エドラは顔を真っ青にして、ふらりとその場に座り込んだ。床を見つめたままでぶつぶつと何かを呟いている。
「……ブランシュ伯爵令嬢も、家族と共に居た方がいいだろうな。連れていけ」
スティーグ殿下の声が響く。
それに応えるよう、騎士達がエドラを立ち上がらせる。すっかり脱力してしまっているのか、引き摺られている形に近い。
エドラは抵抗しなかった。
きっともう会う事はないだろうと思う。
広間の扉が閉まり、奇妙な緊張感だけが残っている。
その雰囲気を払拭したのは、手を叩く大きな音だった。そちらに目を向けると、手を叩いたのは国王陛下だったらしい。
「さて、今日は祝宴だ。乾杯には王家秘蔵のワインを用意してある」
先程までとは打って変わり、明るくよく通る声だった。
準備されていたのか、銀トレイにワイングラスを乗せた給仕達が広間へと入ってくる。手際よく全員の手にワイングラスが配られていった。
わたしに抱き着いたままだったヴィクトル様も、漸く落ち着いたのかわたしの隣の立ち位置に戻っている。まだ腰に手を回したままで、離れる様子はないけれど。
でもそれが嬉しいと思う。わたしも離れないで寄り添っていたいと思うから。
ワイングラスを両手で持ちつつ、わたしはヴィクトル様そっと体を寄せた。
「乾杯」
国王陛下がグラスを掲げる。
わたし達も同じようにグラスを掲げた。歓声があがり、広間が熱気に包まれていく。
そう、今日は祝宴なのだ。
精霊王様の目覚めを祝い、女神様が降臨なさった事を祝う会。
ワインを一口飲んだわたしは、ふぅと息を吐いた。少し酒精が強いのか、お腹までぽかぽかと熱くなってくる。
「お嬢さん、俺と踊ってくれますか?」
わたしの顔を覗き込むようにしながら、ヴィクトル様がそんな事を口にする。
深い青の瞳はわたしの事を想っていると雄弁な程に伝えてくれる。
お砂糖よりもどろりとした、蜜のように甘い眼差し。
その視線に囚われると、胸の奥がぎゅっと切なくなってしまう。
「わたしとだけ、踊ってくれるなら」
「踊りたいのはアンジェリカだけだよ。俺の可愛い婚約者」
楽団が演奏を始めて、それを合図としたように広間の中央には人が集まり始める。
わたしと自分のグラスを給仕に渡したヴィクトル様は、わたしに向かって手を差し出した。
「お手をどうぞ」
もうその手を取る事に、躊躇いなんてない。
わたしが手を乗せると、ぎゅっと強く握られる。機嫌よさげに笑うヴィクトル様につられるように、わたしも笑みを零していた。
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