44.その言葉だけを

 転移した先はお屋敷のサロンだった。

 ソファーに座ったヴィクトル様の膝の上で、わたしは子どものように泣いてしまった。


 しっかりと抱き締めてくれるヴィクトル様に、自分からも抱き着いて、感情が溢れるままに涙を零した。

 もう割り切れていたと思ったのに。もう傷付かないと思ったのに。

 何を言われたって流していけると、そう思っていたのに。


 愛されていないのは分かっていた。愛される事がないのも分かっていた。

 でも……生んだ事を後悔されていたとは思わなかった。


 わたしが何かしてしまったのか。

 そんなに嫌われる程に、わたしは醜かったのか。

 最後に思いをぶつけた事がそんなにも悪いことだったのか。


 いろんな考えが頭をよぎっては、負の感情を生んでいく。ぐるぐると心をかき乱すそれがひどく気持ち悪くて、飲み込む事なんて出来なくて。

 背を撫でてくれる優しい手に促されて、わたしは全てを吐き出すように泣き続けた。



 どれだけの時間が経ったのか。

 時折しゃくりあげてしまうけれど、だいぶ涙も落ち着いた頃にヴィクトル様の指先がわたしの目元にそっと触れた。


「……落ち着いたか?」


 指先に温かな光が宿る。ひりひりと痛んでいた目元に治癒の光が吸い込まれていく。腫れているだろう瞼も治っているのだろう。


「……すみません、ずっと泣いてしまって」

「俺の前以外で、どこで泣くつもりだ? いくらでも泣いていいんだよ。……泣かずにいられないだろ、あんなの」


 苛立ちを含んだ声に顔を上げると、ヴィクトル様の眉間に深い皺が刻まれている。

 イヤーカフで通信を繋いでいたから、ヴィクトル様はわたし達の話を全て聞いていた。彼らがわたしにぶつけた言葉も、全部知っているのだ。


 それに対して怒ってくれている。

 なんだかその事にほっとしてしまって、震える吐息を漏らした。


「でも、これで……全部吹っ切れました」

「俺は後悔してる。君をあんな風に傷付けさせる為に、話し合いに同意したわけじゃない。やっぱり行かせなければよかった」

「必要な事だったんですよ、全部」


 わたしが傷付く事に、この人は心を痛めてくれているのだ。

 そこにはわたしへの想いが溢れているようで、また泣きたくなってしまう。それを堪えながら、わたしは笑って見せた。


「どうしてここまで言われなくちゃいけないのか。そう思いましたけど……でも、これで未練なんて何もなくなりました。ここまで強く拒絶されたら、いっそ清々しいというか……清々しくはないか。でもわたしとあの人達は相容れなかったんだって、そう自分で納得できる結果になりましたから」

「でも、俺は……」

「分かっていますよ。ヴィクトル様がわたしを守ろうとしてくれている事も、わたしの事を考えてくれている事も」


 きっと何度も乱入しようとしたのだろう。

 でもそれを堪えてくれたのだ。わたしが自分の言葉を伝えているうちは、見守ろうと。


 部屋に入って黙らせる方が、いくらでも楽な方法だったのに。

 わたしの事を尊重してくれたのが、堪らなく嬉しいのだ。


 わたしの言葉に眉を下げたヴィクトル様は、深い息を吐いた。優しい手がわたしの頬を包み込んでくれる。


「……もう、傷付けさせない」


 誓いにも似たその言葉に、わたしは頷く以外に出来なかった。

 ヴィクトル様はきっとそれを守ってくれる。わたしが彼らに傷付けられる事は、もう二度とないのだと確信できるような響きを持っていた。


「君が生まれてきてくれて良かった。生きていてくれて良かった。俺は心からそう思っているよ」


 紡がれる声は優しくて、お砂糖みたいにとても甘い。

 それは先程の母の言葉を塗り替えていくように、わたしの心に響いてくる。


「ねぇアンジェリカ、俺の言葉だけを信じていて。君が可愛くて仕方なくて、好きな気持ちで堪らなくなっている俺の言葉だけを」


 熱の籠った眼差しから目を離す事も出来ない。

 真っ直ぐな気持ちを伝えられて、顔も耳も体中が熱くなっていくのが分かる。


「……ヴィクトル様がそう言ってくれるから、わたしはもう大丈夫です。ヴィクトル様の事を信じていますし、その……好きっていう気持ちが溢れているのはわたしも一緒ですから」


 好きなのだ、ヴィクトル様の事が。

 誰よりも大切で、わたしの全てで幸せにしたい人。わたしの世界を色付かせたこの人がいなくなってしまったら、きっと生きていけないくらい。

 それくらいに、大切な人。


 紡いだ言葉に嬉しそうに笑ったヴィクトル様は、わたしの額に頬を擦り寄せてくる。猫のようなその仕草がいつもより幼く見えて、わたしは笑みを零していた。


「二人で幸せになろうな」

「はい」


 辛い思いをするのは、これで終わり。

 わたしの未来に、あの人達は含まれない。


 これからはヴィクトル様と一緒に歩んでいくのだ。


 ヴィクトル様がわたしの顎に指をかけ、顔を上げさせる。深い青色の瞳は熱を孕んでいて、きっと今のわたしも同じような瞳をしているのだろうと思った。


 ヴィクトル様は顔を寄せて──触れるようなキスを唇にくれた。

 触れられた唇が熱い。

 胸がドキドキして、どうしていいか分からなくなってしまう。


 ふ、と笑みを零したヴィクトル様が、また唇を重ねてくる。

 先程よりも長く、何度も繰り返して。羞恥でいっぱいになって、目を閉じた。


 何かに縋りついていないと崩れてしまいそうで、ヴィクトル様の首に絡めたままの両腕に力を込めた。

 応えるようにぐっと強く抱き寄せられて、ヴィクトル様のコロンが深く香った。


 抱き締めてくれる体から伝わる熱に溺れる以外出来なかった。


***


いつも応援ありがとうございます!

まだもう少し続きますので、お付き合いください。

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