42.頼られていた理由
そして迎えた、父との話し合い当日。
会う場所が研究所だという事に父は相当ごねていたらしいけれど、ヴィクトル様がうまくやってくれたらしい。
きっと大変だったと思うから、改めてお礼をしなくては。
約束の時間までは少し時間がある。
研究所内を堂々と歩き回るのは憚られるけれど、研究室から持ち出しておきたい資料があった。この機会に取りに行ったわたしを見た同僚たちは、何か物言いたげにこちらを見てくる。
それに対して曖昧な笑みを浮かべていると、色々察してくれたらしく話しかけてくる事はしなかった。
わたしを慮ってくれる同僚達に感謝をしつつ、わたしは足早に応接室までの廊下を歩いていた。
その足が止まったのは、わたしの名前が聞こえたからだ。
呼ばれたわけではない。交わされる会話の話題がわたしを中心としたものらしい。
廊下の角向こうから聞こえてくる賑やかな声に、思わずわたしは身を隠した。
手近な部屋に入り込み、ここが倉庫だと気付いて頭を抱えたくなった。
あの人達の目的地はここかもしれない。違う事を祈るしかなかった。
見つかりたくないと思ったわたしは、荷物でいっぱいになっている棚の後ろに隠れる事にした。この棚は不要になったものを一応保管しておくような場所だ。保管期限が過ぎて廃棄されるのを待つばかりの物しかないから、ここに用事はないだろう。
わたしが棚の後ろに座り込み、ばくばくと落ち着かない心臓を落ち着かせようと、細い息を吐き出した時だった。
彼らが、倉庫に入ってきたのは。
「アンジェリカがなんかすごい事をしたって噂だろ?」
「秘書官と色々やってたって話だもんな。あーあ、こんな事なら引っ掛けておけばよかった。ラウリスはうまくやったよな」
やっぱりわたしの話をしている。
棚の隙間からそっと様子を窺うと、そこにいたのはラウリス先輩と彼の友人二人だった。
その友人とは研究室も違うし、全く話した事もないから名前も知らない。ラウリス先輩とよく一緒に居るのは見ていたけれど。
「まぁね。アンジェリカは頼めば何でもやってくれるし、頼りになるって言えばいいだけだから使えるんだよな。今回の件もさ、俺と一緒にやったって言ってくんねぇかな」
ラウリス先輩が笑いながらそんな事を口にする。冗談めかしているけれど、きっとあれは本音なのだろう。
悪意を含んだその心に触れてしまったような気がして、わたしは指先から血の気が引くのを感じていた。
「実家ともうまくいってないんだっけ」
「エドラちゃんはあんなに素直で可愛いのに。今日も来てくれるかな」
「馬鹿、あの妹も中々の食わせ者だぞ。でも実家から邪険にされてるのは本当らしいし、ちょっと優しくすれば尽くしてくれそうじゃねぇ? だから結婚してやってもいいかなって思ってさ」
「うわ、ラウリスもひどい男だ」
「才能を有効活用してやってんの」
彼らは楽しそうに笑い声を響かせながら、用事が済んだのか倉庫を後にする。
足音が遠ざかっていって、わたしはようやく深い息を吐き出せた。
「……気持ち悪い」
ラウリス先輩はいつもそんな事を思っていたのか。
わたしがお手伝いする事を、うまく使っていると……そう思っていたんだ。
それなのに、頼られていると嬉しくなっていた自分がひどく惨めに感じた。
「結婚の話、ラウリス先輩の中では決まった事になっていたのかしら」
これから父と会うのに、よけいに気分が下がってしまった。
わたしは立ち上がり、制服についた埃を払ってから倉庫を出た。
ラウリス先輩がそう思っていたというのは、やっぱりショックな事だけど……でも、本心を知る事が出来たのは良かったのかもしれない。
これからは出来るだけ距離を取ろう。わたしは自分でも自分の心を守らなければならないのだから。
そう心に決めながら廊下を歩く。
まだ父との約束の時間には余裕があるから、一度ヴィクトル様の執務室に戻らせて貰おう。
そう思っていたのに、わたしの前に現れたのは──先程まで友人達と一緒にいたラウリス先輩だった。
「よう、アンジェリカ」
「……どうも」
「なんだよ、機嫌が悪そうだな。前回の事を気にしてる?」
「いえ。すみません、忙しいので……」
「ちょっと待てよ。少し話がしたいんだ」
わたしには話す事なんてない。そう返事をする前に、わたしは腕を掴まれて会議室へと連れ込まれてしまった。
ドアの前にはラウリス先輩が立ち塞がって、避けてくれる様子はない。
とりあえず話を聞こう。そして早くここから立ち去りたい。
「お話って何ですか?」
「まぁ、なんだ。アンジェリカって何かすごい事をいたんだろ? 研究所の中でも噂になってるぜ。今度開かれる祝宴も、お前が関わってるって」
「わたしの口からお話出来る事はないんです」
「アンジェリカは真面目だな。まぁそういうところも好きなんだけど」
にこにこと笑うラウリス先輩の真意が読めない。
この好きというのは、友人関係のものだって分かる。だってラウリス先輩の瞳は凪いでいるもの。わたしを想っているような、そんな熱も甘さも感じられない。
「なぁアンジェリカ、俺と結婚しよう。俺はお前が好きな研究をしていても文句なんて言わない。俺の研究にはお前が必要で、お前以外に頼れないんだ」
ラウリス先輩の言葉に、心がすうっと冷えていくのが分かった。
以前のわたしなら、結婚はともかく……頼られたら喜んで手を貸していただろう。自分の何を犠牲にしても、喜んでもらえる為に頑張っていただろう。
でもそれは、自分を大切にしていないのと同じだって知ったから。だからもう、わたしはそれに縋らない。
わたしは耳元の髪を直す振りをして、イヤーカフに手をやった。魔力を流すと魔石は点滅するけれど、わたしの手でそれは見えないだろう。
「結婚しません。もう過度なお手伝いもやめます」
「は? なんで、急にそんな……」
「優しくすれば尽くしてくれるから、わたしと結婚しようと思ったんですよね。家族に邪険にされているから、結婚しようなんて言えばそれに飛びつくと思いました?」
「なんでそれを……」
「すみません、倉庫で話しているのが聞こえてしまったんです。わたしはそんな事を言う人は嫌いですし、嫌いな人に嫁ぐつもりもありません」
聞かれていたと知って、ラウリス先輩の顔は真っ青になっている。
何かぶつぶつ呟いているのを何とか耳で拾うと、「あれは違う」とか言い訳を連ねているようだった。
「もうお話は済みましたね。頼られるのが好きだったのは本当ですが、それを利用されていたのは悲しいですし……正直、怒りも覚えます。こんな風に会議室に連れ込まれるのも不快です」
「……優しくしてやれば、つけあがりやがって!」
盛大な舌打ちをしたラウリス先輩がわたしの肩を掴む。逆の手を大きく振りかぶって、それは真っ直ぐわたしの顔へと振り下ろされようとしていた。
殴られる!
恐怖に息を飲んだ瞬間──光が溢れた。その光は強い風を巻き起こし、ラウリス先輩を吹き飛ばす。
「……ったく、無駄に煽るな」
わたしの腰をしっかりと抱くヴィクトル様が、盛大な溜息をつく。咎めるような言葉なのに、その声はひどく優しい。
「……ヴィクトル様が助けに来てくれるって、分かっていたので」
そう言いながら、わたしはイヤーカフに流していた魔力を切った。これはヴィクトル様と繋がっているから、今の会話は全てヴィクトル様に聞いて貰っている。
会議室という場所も伝えられたので、こうして転移してきて下さったのだ。
「さて、オルソン研究員。君には職務規定違反の疑いがある」
壁に叩きつけられ、茫然としていたラウリス先輩が顔を強張らせた。
先程の比ではないほどに、その顔色は悪い。思い当たる事があると、そう言っているのと同じだった。
「失礼します」
ノックもなく、扉が開いた。入ってきたのは事務局長とシィラだ。その後ろには騎士達が数人並んでいる。
「オルソン研究員、あなたは同僚の研究データを盗みましたね。その他にも横領の疑いがあります。勤務態度も宜しくないですし、それに……ブランシュ研究員への暴力未遂も追加されました」
「いや、俺は……!」
事務局長の固い声にラウリス先輩は口ごもる。騎士が二人進み出て、ラウリス先輩を無理矢理立たせた。
「離してくれ! 俺は何もしていない!」
「アーネル事務官が証拠を揃えている。詳しい事は懲罰委員会で話して貰おうか。連れていけ」
シィラが証拠を……。
思えば、シィラはラウリス先輩の事を良く思っていないようだった。わたしを心配してくれているだけかと思っていたけれど、きっと……その時には既にラウリス先輩がしている事に気付いていたんだ。
騎士が魔封じの首枷をラウリス先輩へと嵌める。
逃れようとしているけれど屈強な騎士達に力で敵うわけもなかった。
焦ったように周囲を見回すラウリス先輩が、最後に見たのはわたしだった。
不安や焦燥、色んなものが綯い交ぜになった眼差しを向けられても、わたしに出来る事はない。
「アンジェリカ……頼む、助けてくれ」
それに返事はしなかった。
助ける気もないし、出来る事もない。
絶望に塗れた表情をしたラウリス先輩が、騎士達に連れられて会議室を出ていった。
その背中を見送りながら、きっともう会う事はないのだろうと……そう思った。
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