41.これからの未来を見つめて
ヴィクトル様と結婚する事、ブランシュ伯爵家から籍を抜く事。
やる事が決まってからというもの、わたしはばたばたと慌ただしい日々を過ごしていた。
といっても、わたしよりもヴィクトル様の方が、ずっとずっと忙しそうだったのだけど。
まず、わたしを養子にして下さる家が決まった。
エーヴァルト公爵家の分家であるデルベルク侯爵家。オスヴァルト様とデルベルク侯爵家のご当主とヴィクトル様が話し合って決まったらしい。
デルベルク侯爵家はわたしの事を快く受け入れてくれたという。
それにほっとした気持ちと、やっぱり不安な気持ちとが綯い交ぜになってしまったけれど……実際にデルベルク侯爵家で皆様と顔を合わせた時に不安は消えてしまった。
ご当主夫妻は、にこやかにわたしを迎え入れてくれた。そしてもう一人──侯爵家には令嬢がいたのだけど、それがレダさんだったのだ。
レダさん──レティルダ様はわたしが義妹になる事をとても喜んでくれた。
わたしと家族になるというのが嬉しいのだと、レティルダ様もご当主夫妻もそう言ってくれる。
それが嬉しくて泣いてしまったわたしを、レティルダ様は優しく抱き締めて下さった。
養子に入る諸々の手続きはヴィクトル様とスティーグ殿下がして下さるそうなので、有難くお願いした。
殿下が仰るには、わたしのこれからの事を思うと一刻も早く伯爵家から離れた方がいいらしい。精霊王の目覚めの儀式までには全て終わらせないと、娘であるわたしをいいように利用しようとするだろうとの事だった。
わたしも同じ事を考えてしまっていたけれど、周囲からもそう思われるだけの父親なのだと苦笑いが漏れてしまった。
***
ヴィクトル様と結婚するという事は、エーヴァルト公爵家とデルベルク侯爵家、それから王家の皆様だけが知っている。でもわたしは……ヴィクトル様に許可をいただいて、大切な友人であるシィラだけには伝えさせて貰った。
ヴィクトル様に研究所に連れていって貰って、ヴィクトル様の執務室で少しだけシィラと話す事が出来た。
彼女はとても驚いていたけれど、自分の事のように喜んでくれた。
落ち着いたら改めてお祝いをしてくれるという彼女は、いまとても忙しいらしい。
所内でトラブルがあったのだろうか。そう思って問いかけると、「大丈夫」と力強い声が返ってくる。
ヴィクトル様はシィラが忙しい理由も分かっているらしい。
でもそれをわたしに教えてくれないという事は、聞かない方がいい事なのだろう。
***
そして今、わたしを悩ませているものが自室の机に積み上がっている。
「……凄い量ですね」
どれも同じ封筒で、ブランシュ伯爵家の家紋が封蝋に刻まれている。
宛名はどれも【アンジェリカ・ブランシュ】で、筆跡はどれも同じものだった。
「君を養子に迎える準備も出来たし、そろそろこちらの問題も片付けようかと思ってね」
「この手紙は毎日届けられているんですか?」
「そう。君の妹が毎日届けに来ているそうだ」
「……それは皆さんにご迷惑をお掛けしていますね。きっと大人しく手紙を置いて帰るなんて事、していないでしょうから」
抑えきれない、深い溜息が漏れてしまう。そんなわたしの様子に苦笑いを漏らしたヴィクトル様は、わたしの隣に腰を下ろした。二人で座っても余裕のあるソファーなのに、わたし達の間に距離はない。
ヴィクトル様がわたしの腰に手を回して抱き寄せる。そんな仕草にもあっという間に慣れてしまった。
わたしはテーブルに手を伸ばし、一番上の手紙を取った。
いつもならペーパーナイフで丁寧に開けるけれど、それを取りに行くのも面倒になってしまって。適当に封筒を破いて開けると、ヴィクトル様が吹き出したのが分かった。
少しよれてしまった便箋を引っ張り出すと、中に書かれていたのは予想通りの言葉達だった。
わたしを傷付ける目的で選ばれた言葉達。でもそれはもう、わたしの心に響かない。
「今月の仕送りを止めた事ですごく怒っていますね。呼び出しに応えない事も、隣国に嫁がない事にも怒ってます。国の為の仕事をしたなら、それを報告しないのもダメな娘だ。籍を抜くぞなんて書いてますけど、抜いたらわたしのお金が受け取れないって気付いていないんでしょうか」
「アンジェリカが強くなって俺は嬉しい」
「ふふ、ヴィクトル様のおかげですよ。レダ姉様達も良くしてくれますし、今ではもう……早くブランシュ家から抜けたいと思うくらいです」
手紙をぽいっとテーブルの上に投げ捨てる。あとでまた燃やしておこう。
「まぁ本気でアンジェリカを手放そうと思っていないだろうね。君が功績をあげたという事は、もう噂になっているから」
「それって漏れてしまって大丈夫なんです?」
「大々的な祝宴が近日中に開かれるというのは、貴族は皆知っているからね。王家主催の祝宴となれば、大きな功績があげられたという事は簡単に想像できる。アンジェリカが別任務にあたっているのは研究所内では公表されていたし、もしかして……なんて噂話が広がっていったって感じ」
「わたしがお休みをいただいている理由を改めて実感しています」
研究所で仕事をしていたら、きっと好奇の目に晒されていただろう。
研究所に勤める人達は基本的に自分の研究以外に興味がないけれど、貴族の身分を持つ研究員はまた別だ。そういった事を読み取る術に長けている。
「父の耳にもそれが届いているから、エドラに手紙を届けさせているんですね」
妹が悲しみに暮れながら手紙を届けたら、それを突き返す事など難しいだろう。
だからこそ、わたしの机の上にこんな手紙が溜まっていくわけで。
「ヴィクトル様、わたし……父と一度話をしようと思います。もちろんヴィクトル様と結婚する事や、デルベルク家に養子に入る話はしませんから」
「それは心配していないけど……君が傷付くだけになりそうで心配なんだ」
「傷つかない事はないでしょうけど、でも……きっと必要な事なんです。わたしがあの人達の事を、わたしの中から切り離す為に」
深い息を吐いたヴィクトル様はわたしの事を両腕で抱きしめた。
ぎゅうぎゅうにきつく抱き締められ、苦しいのに嬉しいだなんてどうかしている。
でも離れたくなくて、わたしもヴィクトル様の背に両腕を回して抱き着いた。
「……研究所の応接室で会うのなら。隣室に俺を待機させてほしいし、イヤーカフもつけて通信を繋いでおいて」
「それなら心強いです」
「君が傷付いてると思ったら乱入するからな」
「お願いします」
「……話し合いが終わったら、ご褒美は何がいい?」
ご褒美。
予想外の言葉だったから、すぐに返事は出来なかった。抱き着く腕から少し力を抜き、視線を上げてヴィクトル様の様子を窺ってみる。
「ご褒美をもらえるんですか?」
「嫌な事を頑張ったら、ご褒美もらわないとでしょ」
「じゃあ……甘いミルクティーを淹れてください。とびきり甘いミルクティーを」
「欲がないな」
わたしを見つめる瞳はやっぱり蕩けるように甘い。
自分で言っておきながら、父との話し合いを想像して少し息が苦しくなっていたはずなのに。
その瞳に見つめられたら、大丈夫だって思えるのだから不思議なものだ。
大丈夫。
わたしにはヴィクトル様が居てくれるから。心から、そう思えた。
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