37.家族
スティーグ殿下に報告も終わり、その日の夕食はわたしとヴィクトル様の好きなものが並べられた。
ローストビーフ、焼き野菜のサラダ、かぼちゃのポタージュ、バゲットにはエビとアンチョビのペーストが塗られている。デザートはアップルパイ。
美味しいものが食べたいというわたしの願いを、今日もヴィクトル様は叶えてくれている。
「乾杯」
女神様へのお祈りを捧げてから、二人揃って掲げたグラスを口に運ぶ。今日は赤ワインで、これはヴィクトル様のお気に入りのものらしい。「今日は特別」なんてご機嫌に言いながら、ワインセラーから出していた姿に、わたしは笑みを浮かべてしまった。
飲みやすいとは聞いていたけれど、本当にその通りだった。
宝石みたいに綺麗な赤色はグラスを揺らす度に煌めいて、とても綺麗。ベリーみたいな爽やかな香りがするのに、飲んでみると酸味は少ない。舌に残るような濃厚さがあるのに、くどくないのが不思議で美味しい。
「このワイン、とても美味しいです」
「気に入った? 同じ産地でまた違うワインもあるんだ。今度はそれを試してみようか」
「ヴィクトル様のとっておきなんじゃないですか?」
「そうだよ。だから、アンジェリカと飲むんでしょ」
どういう意味でそんな事を口にしているのか、それを聞く事なんて出来なかった。だからただ、笑っておくしか出来ない。
わたしはナイフとフォークを手にして、ローストビーフをいただく事にした。
このお屋敷にお世話になった最初の夜も、ローストビーフだった。あの時と同じく綺麗なピンク色のお肉を小さく切ってから口に運ぶ。
やっぱり美味しい。
「そういえば儀式が無事に成功すれば、祝宴が開かれる。エスコートは俺で構わないな?」
「え? あ、はい……わたしも参加できます?」
そうか、祝宴があるのか。
そういった事を考えていなかったわたしの問いに、ヴィクトル様は呆れたような視線を向けてくる。
「功労者が参加しなくてどうするんだ。それに褒賞をいただくのはその祝宴中になると思う」
「えっ、そうなんですか? それは……ちょっと目立ってしまうというか……」
「目立つ事については、もう諦めて貰った方がいいな」
くつくつとヴィクトル様が低く笑う。緊張が限界突破して粗相をしないといいのだけど。
少し、いやかなり……不安になってしまうのは仕方のない事だろう。
そういえばヴィクトル様はわたしが功労者だって言ってくれたけど、でもそれってわたしだけじゃないはずだ。
ヴィクトル様がサポートして下さらなかったら、きっとこの結果は出せなかった。
わたしは持っていたカトラリーを一度置き、ワイングラスに手を伸ばす。
「あの、今回の仕事はわたしだけの力ではないじゃないですか」
そう言葉を口にすると、わたしの言いたい事が分かったのかヴィクトル様がまた笑った。
「俺も別に褒賞をいただけるから大丈夫。気にしてくれてたんだろ?」
「わたしが魔法を完成させる事が出来たのも、ヴィクトル様のおかげですから」
「サポートはしたけど、今回の件は君じゃないと出来なかった事だ。だからアンジェリカは堂々と、自分は凄いって胸を張っていてくれ」
「……ふふ、ヴィクトル様が凄いって言ってくれるのが、嬉しいです」
思えばいつだってヴィクトル様は褒めてくれた。
その言葉が胸を照らしてくれていたのだ。だから自分を認めてあげられて、褒めてあげる事が出来たのだ。
「俺は本当の事を言っているだけ」
そうやって、またお砂糖みたいに笑うから。
だからこの恋が育ってしまうのだ。
わたしは熱の籠る吐息が漏れないように、ワインを飲んだ。
「そういえば、さっき決まった事があって。儀式が始まるまではまだ時間があるんだけど、その間、君は休暇扱いになるんだ」
「休暇ですか」
「そう。好きなことをして過ごして欲しいけど……何がしたい?」
好きなこと。
以前のわたしなら、きっと戸惑ってしまっただろう。
「そうですね……まずは積んでいる本を全部読みたいです。それから、今回の件でいくつか試したい魔法式を思い付いたので、その研究も。古代文字についても新しく纏めたいですね」
「それってもう仕事をしているようなもんだろ」
「でも、これが好きなんです」
「分かった。でもちゃんと休む事だけは忘れずにな」
「はい」
頷いたわたしはまたフォークを手に取った。焼き目のついたトマトを口に運ぶと、甘みが増していてとても美味しい。そのまま、ナスとキノコも口にする。酸味のあるソースがよく合っている。
美味しいもので満たされるのは、お腹だけじゃなくて心もだ。
でもそれは一人で食べているからじゃないって、わたしは知ってしまった。ヴィクトル様と一緒に食べるから、もっと美味しくて、楽しいのだ。
「ヴィクトル様、わたしの実家の件なんですが……」
遠ざけていたその話題を口にする事が出来たのは、心も満たされていたからかもしれない。
「一度、父と話そうと思うんです。わたしはもう家族ではないと、そう伝えたいと思って」
「……無理をしていないか?」
「実際に対面したら恐ろしくなってしまうかもしれないんですが、でも……このままにしておくわけにはいかないのも分かっているので。あの人達の中で、わたしは居ないのと同然ですし、わたしもそう思うと……改めて、はっきりさせたいと思って」
ヴィクトル様は口元に拳を寄せ、何かを考えるように目を伏せている。
わたしも気が大きくなっているのかもしれない。でも、いつまでも曖昧なままにしておけない。
「家族はもう、いりません。わたしはあの人達の輪の中に入れなかったけど、でも……それだけでわたしの価値がなくなるわけじゃないって。わたしはちゃんと自分を認めてあげられるって、ヴィクトル様が教えて下さったから」
ヴィクトル様がわたしを見つめた。
真っ直ぐな青い瞳は深くて綺麗な色をしている。
「アンジェリカ」
「はい」
「俺と家族になろう」
紡がれた声は、ひどく甘い。お砂糖よりも甘くて、どろりと蕩ける蜜みたい。
こんな声、初めて聴いた。
「は?」
「は?」
戸惑う声は二つ。
わたしと──ヴィクトル様のもの。
「……俺は今、何を言った?」
口元を手で覆ったヴィクトル様の顔が一気に赤くなっていく。
そんな顔、初めて見た。
でもきっと、わたしの顔も同じ色に染まっているんだろう。
だって、燃えるように頬が熱い。
わたし達は暫くの間、言葉を交わす事も出来ずに見つめ合っていた。
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