26.綺麗は楽しい

 お化粧をして貰ってからというもの、わたしは自分でも身なりを整えるようになった。

 休日にはシィラに付き合って貰って、わたしにも使えるようなお化粧品を揃えてみたり、新しいワンピースを買ってみたり。


 好きなものを選んでいくのは楽しい。

 それが自分に似合うものだった時には、もっと嬉しくなってしまう。


 お化粧は練習しつつ自分でやるようになったのだけど、髪は……時間があればヴィクトル様がやってくれている。時間があればというか、ほぼ毎日なのだけど。

 ご自分で言う通りに器用なヴィクトル様は、色んな髪型を試してくれる。髪に触れられる事が少し恥ずかしかったのも最初だけで、今ではすっかり慣れてしまった。


 そんな日々を過ごしていたら……あっという間に日は過ぎて──



 ──わたしは公爵家からやってきてくれた侍女達に囲まれていた。

 

 香りのよいお風呂に入り、マッサージを受け、頭から足のつま先まで綺麗に磨かれた。

 手足の爪には美しいピンクの色が塗られている。色付く指先が嬉しくて、何度も両手を目の前に掲げて見ていたら、ドレスの調整に来てくれていたレダさんに笑われてしまった。


「ご機嫌ね」

「綺麗なのが嬉しくて……子どもみたいですけど」

「ううん、いいと思う。綺麗なものを身に纏うと気持ちが上がるでしょ。それは爪でも一緒よ」


 わたしが着ているのは薄いピンク色をしているドレスだ。裾に向かって濃い色に変わっていくのがとても綺麗。

 銀糸で刺繍がされていて、裾に縫い付けられた小さな宝石が光を受けて煌めいている。


「よし……完成。とても綺麗よ」

「ありがとうございます」


 レダさんが合図をすると侍女が椅子を持ってきてくれる。ドレスの形を崩さないように座ると、裾をレダさんが直してくれた。

 サイドテーブルには一口で摘めるようなお菓子が用意されている。これはヴィクトル様からの差し入れなのだけど、夜会準備で忙しい中でも作ってくれたらしい。有難くクッキーを一つ口に入れると、ほろほろと口の中で優しく崩れていった。


「ヴィクトル様はアンジェリカさんの髪を自分でやりたかったらしいわよ」


 侍女に髪を結われるわたしを見ながら、レダさんは笑った。わたしも実は……そう思っていた。ヴィクトル様がいつものように髪をやってくれるものだと思っていたのだ。

 でも髪が崩れるような事があってはならないからと、今回は髪結いが得意だという侍女にお任せする事になったのだという。

 それでもどんな髪型にするかというのは、ヴィクトル様がしっかりと侍女に伝えてくれたらしい。


「器用で凝り性なのは昔からだけど、髪結いも出来るなんてね」


 レダさんは大きな水色の瞳を細めながら、用意されたお茶を飲んだ。洗練されたその仕草がとても綺麗。


「レダさんとヴィクトル様は昔からのお知り合いなんですか?」

「あたしは侯爵家の出身なんだけどね、ヴィクトル様とは従兄妹になるの」


 その振る舞いから、平民ではないと思っていたけれど……貴族だったのか。

 髪は短く整えられ、スラックスにシャツを着ているその姿は美しいけれど令嬢としての姿ではなかったから分からなかった。


「家族もあたしに令嬢としての役割は期待してないわ。好きな事をさせて貰ってる」

「レダさんの作るドレスはとても素敵です」

「ありがとう。アンジェリカさんも好きな事をしてる?」

「好きな事……そう、ですね。古代文字に触れるのも、研究をするのも好きなんだと思います」


 古代文字も研究も、楽しいと思っていた。

 楽しいから好きなんだと、そう思えるようになったのは最近の事。今までもずっと好きだったのに、それに気付けないでいた。


 それしか出来ないから、それをやるしかないのだと。そう思っていた過去のわたし。

 でも違う。楽しいからやっているのだ。いまなら胸を張ってそう言える。


「いい顔をしているわ。ドレスを作った時よりも、ずっとね」

「好きなものが分かるように選ばせて下さった、レダさんとヴィクトル様のおかげですね」

「ふふ、お手伝いが出来たなら良かったわ」


 お喋りをしているうちに髪型も出来上がったようだ。

 顔横の髪は一筋だけ下ろして、あとはうなじが露わになるように結い上げられている。後ろが見えるように鏡を合わせてくれるからそれで確認をするけれど、複雑で可愛いとしか言えないくらいに難しい髪型になっている。散らされるように飾られた真珠が綺麗だと思った。


 そのまま化粧もしてもらう。

 わたしが最近揃えたものよりもずっと多くの色が揃っているパレットだった。


 筆やブラシも沢山あるけれど、用途はどれも違うのだろう。見ているだけで楽しくなってくる。


 ソファーを離れたレダさんもわたしの側にやってきて、侍女と色々話してどんな化粧をするのか決めてくれるようだ。

 まだお化粧初心者のわたしはお任せするしかないけれど、期待で胸が弾んでしまった。


 目を閉じたわたしの肌に、ブラシや指が滑っていく。

 優しい手つきだけど、どうしてかヴィクトル様の指を思い出してしまう。そんな自分がなんだか少し恥ずかしかった。



 お化粧も終わり、アクセサリーを着ける。今日だけはイヤーカフも外している。

 首元がレースで覆われている事もあって、つけるのは真珠とダイヤモンドで出来たイヤリングだけ。これもヴィクトル様からの贈り物なのだけど……こんなに綺麗なイヤリングを見たのは初めてだった。


 似合うかどうか不安になったのも、鏡を見るまでだけだった。

 華やかだけど主張しすぎない小ぶりのイヤリングは、わたしにもドレスにもよく似合っていると思う。そう思えるようになったのは……ヴィクトル様のおかげだ。


 ヴィクトル様が選ぶものが、わたしに似合わないわけがない。そう思える。


 支度が終わったのを知らされたのか、部屋にノックの音が響いた。

 こちらを伺う侍女に頷くとドアを開けてくれて、入ってきたのは盛装姿のヴィクトル様だった。


 黒を基調に銀糸の刺繍が入った衣装は、ヴィクトル様によく似合っていた。美しい銀髪は高い場所で一つに結んで背中に垂らされている。

 タイの色はわたしのドレスと合わせてか薄いピンク色。真珠のピンもわたしと合わせているのが分かる。


「アンジェリカ、とても綺麗だ。よく似合っているよ」

「ありがとうございます。ヴィクトル様もとっても素敵です」

「ありがとう」


 いつものラフな格好も、制服姿もかっこいいのだけど、こうした装いはまた雰囲気が違う。

 なんだかドキドキしてしまうのは見慣れないからだろうか。


「あたしが作ったドレスだもの、似合うに決まっているでしょう」

「そうだな。君は今日、出席するのか?」

「いいえ。皆のドレスを見たい気持ちと、自分の支度の面倒さを天秤にかけたんだけどね」

「面倒さが勝ったわけか」

「出席するならウィッグもつけなくちゃいけないのよ。ああ、でもアンジェリカさんをエスコートさせてくれるなら、次の夜会は出席するわ」


 エスコートというからには、ドレス姿ではないという事なのだろうか。今の装いも似合っているから、きっと盛装も素敵なのだろうと少し想像してしまった。


「残念、次のエスコートも俺なんだ」

「えっ、次ですか?」


 予想外の言葉に、思わず口を挟んでしまった。夜会の出席は今回限りだと思ったのだけど。

 首を傾げるとヴィクトル様が肩を揺らす。わたしの耳に手を伸ばして、真珠から垂れるダイヤモンドを指で揺らした。


「そう、次。でもまずは……今日の夜を楽しもうか」


 そう言って微笑むヴィクトル様が、いつもよりも甘やかな顔をしている気がして、また胸の奥がちりちりと疼いた。

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