22.希望の光は淡く
「……うぅん、違う」
わたしは途中まで書き進めた魔法式に大きなバツ印をつけてからペンを置いた。
ここ数日ずっと、魔法式の構築で行き詰まっている。
古文書の解読は終わった。
精霊王を目覚めさせる為に必要な魔法も分かった。ただそれは神話の世界という遥か昔に作られた女神様の魔法だから、いまのわたし達にも使えるような魔法に構築し直さなければならないのだ。
再構築が必要だというのは分かっていた。でも……それは、わたしが思うよりもずっと大変なものだった。
まず力の根源が違うのだ。
古文書に記されているのは、女神様のお力を借りる魔法である。しかしいま女神様は顕現なさっていないから、わたし達は魔法を使うのに精霊の力を借りなければならない。
精霊の力と女神様の力は性質が異なるから、まずはそこで躓いた。
魔法式自体を組み直すと、まったく違う魔法になってしまう。女神様の残して下さったこの魔法でなければならないのだ。
しかしそれは無理な話で……。
堂々巡りする思考に溜息が漏れる。机に突っ伏して、壁に掛かった時計をぼんやりと眺めていた。
古文書の解読も歴史を紐解く上で、とても重要だったというのは分かっている。解読した内容を読んだ国王陛下も、教皇猊下も大変お喜びになっていたと聞いて、畏れ多いと同じくらいに誇らしく思ったものだ。
しかしそれよりも求められているのは、魔法の構築。
精霊王が目覚めるという重要な魔法を構築しないと意味がない。
そう、意味がないのだ。わたしがこのお仕事をしている意味もなくなって、皆の期待を裏切ってしまう。
落胆されるのが怖い。折角わたしを選んでくれたのに、やっぱりわたしはだめなんだと……自分で思い知るのも怖い。
また深い溜息が漏れた。
「落ち込むのもいい加減にしないと」
自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと体を起こす。
深呼吸を繰り返して、古文書を手元に引き寄せる。これは古代文字で書かれている、女神光教から借りた写しの方だ。
解読が終わってからは、ヴィクトル様が製本して下さった新訳本を使っていたのだけど、今日は古文書を最初から読んでみることにした。
もうすでに訳したものだから、古代文字のままでもすらすらと頭に入ってくる。
独特な言い回しにも慣れたものだ。
女神の嘆きから始まったこの文書は、最後は希望で結ばれる。
精霊への祈り、新しい時代への期待、人々への愛で溢れた手記だった。
神に戦いを挑んだ愚かな人類を、多くの神は見限った。この世界を捨て、新しい世界へと旅立つ神と離れ──女神はこの世界に残る事を選んだ。
人に希望を見出していたから。人の可能性を信じていたから。
そんな女神様が、人に使えない魔法を残すわけがないのだ。
だからこの魔法は精霊の力を借りて使う事ができるはず。出来ないのはわたしの構築が間違っているか……理解が足りないか。
そう考えつつ古文書の写しを閉じたわたしは、資料がまとめられている棚へと近付いた。精霊魔法や、精霊の性質について書かれた本を選んで腕に抱える。
棚の側にはティーワゴンが用意されていて、紅茶の入った保温ポットとカップが綺麗に並べられていた。これはヴィクトル様が出勤する前に必ず用意してくれているものだ。
カップの横にはお菓子が置いてあるのもいつもの事。今日のお菓子はチョコレートのクッキーらしい。
美味しそうだと思ったら、なんだか小腹が空いてきてしまった。口寂しいし、少し休憩をするのもいいかもしれない。
そう思ったわたしは机ではなくローテーブルへと資料を置き、紅茶とお菓子を準備してからソファーへと腰を押し付けた。
今から読む資料の本はわたしの私物だから、お茶を飲みながら読んでも大丈夫。さすがに借りている本に触れる時、飲食はしないように気を付けている。
紅茶にお砂糖やミルクを落とさずにテーブルに来てしまった。ワゴンまで少しの距離だけど、戻るのも面倒になってそのままで一口飲む。少し苦く感じるけれど、美味しい。柑橘系のいい香りがする。
四角い形のクッキーを一つ口に放り込んでから、厚めの本を膝で開いた。
精霊は女神様が人々に与えた存在である。
彼らは人を好み、人を信じ、人に力を貸してくれる。人が善き心で精霊に向き合う程に、精霊はその力を増していく。
女神様だけでなく、精霊も愛に満ちた存在だと思う。
精霊はこの世界の様々なものに宿っている。季節にも、風にも炎にも、水にも。光や闇、この世界を構築するものの属性を持ち、わたし達を助けてくれているのだ。
その姿を視認して、精霊と直接の対話が出来るのは精霊との相性が良い魔法使いが多いけれど、魔力が高いと時折その姿を見る事は出来る。
わたしも時々、遊ぶように飛んでいる精霊を見るし、そういう時は何だかいい事があったりするから不思議なものだ。
本を読みながらそんな事を考えて……ふと気付いた事がある。
女神様と精霊の力の根源は違う。
わたしはそう思っていた。それがこの世界の共通認識であったから。神話時代の古魔法が研究された結果だ。
でもそれって、本当に違うのかしら?
精霊は女神様が与えて下さったもの。
元々この世界にいた精霊達は、人と神の戦争の時に姿を消したからだ。戦争が終わって神々がこの世界を見捨てた時に、精霊達もその神々に付き従ったといわれている。
でもいま、この世界に精霊はいる。
それは……戦争前の精霊とは異なり、女神様が生み出したものだろう。
だから女神様のように愛に溢れ、人を好み、人を信じる。
力の根源は一緒だ。わたし達は精霊を通して、女神様のお力を借りていたのではないだろうか。
気分が高揚していくのが分かる。
ドキドキが止まらなくて、手が震える。落ち着かない気持ちを抑えるよう、少し温くなった紅茶を一気に飲み干した。
机に戻し、魔法式を書いていく。
精霊王を目覚めさせる魔法を完成させるには、根源の理解だけでは足りないけれど。でも……少しはそれに触れる事が出来る。
今までの解読や解析がわたしの自信になっている。
そう思いながら書き綴った魔法式に魔力を流すと、今までとは違う光を放ち始めた。
躓いていた場所を乗り越えられる。そんな期待を抱かせる光を放っていた。
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