14.エドラ・ブランシュ
研究所からお屋敷に戻る前に、わたしは事務官から寮に届いたという一通の手紙を受け取っていた。その手紙の封を、わたしは自室の机で切った。
差出人は──母だ。前回の手紙から一か月半……わたしは、この手紙に何が書いてあるか読まずとももう分かっている。
便箋一枚の手紙は、いつもと同じ素っ気ない文章だけが綴られている。
季節の挨拶も、体を気遣う言葉もない。どれだけ探しても、わたしを思いやる言葉はないのだ。
【入用だからお金を送るように】
また妹のドレスを作るのだろうか。それともアクセサリーだろうか。
今月もお給料から伯爵家にお金を送っているけれど、それだけだと足りないみたいだ。
宛名を指でなぞる。アンジェリカ・ブランシュ。
この名前だけが、わたしがブランシュ伯爵家の者だと……家族なのだと繋がりを感じさせてくれる。
母も妹も、きっと父も。
わたしが働いていて喜んでくれているだろう。妹を美しく着飾る為に、お金はいくらあってもいい。家のお金を散財するよりいいのかもしれない。
そう考えて、苦笑が漏れた。
いいわけ、ないのに。
わたしはいつまでたっても、家族にはなれないのだ。必要とされているのはわたしのお金だけ。そんなの、とっくの昔に分かっていた。
家族だからと、皆の力になりたかった。
そうすれば認めてくれると思っていた。いつも助かっているよって、そう言ってくれると思っていた。
でもそれは叶う事のない夢なのだ。
わたしはあの人達と同じ枠の中に入れない。家族の枠は、あの三人で完成している。
分かっているのに、諦められない自分が情けなくて……少し目の奥が熱くなった。
***
翌日、わたしはヴィクトル様に許可を貰って外出をしていた。何かあればすぐ連絡するようにと言われているから、イヤーカフは着けたままだ。
いまの任務を受けている間、わたしはそれなりに重要人物であるらしく、少し離れた位置で私服姿の女性騎士も護衛についてきてくれている。
わたしの為に労力を使わせるのも申し訳なくて、わたしは早く用事を済ませてしまう事にした。
まずは研究所に向かい、事務室で実家への送金手続きを済ませた。
これが良くない事だとは分かっているのだけど、断ることも出来ない。お金を送れば、わたしはまだ家族なのだと……それに縋っていられるから。
見知った研究員に声を掛けられるのも今は避けたい。
だから人目につかないよう気をつけたし、送金手続きを済ませたらさっさと研究所を後にした。
次に向かったのは文具店だ。
レターセットが少なくなっていたから、買い足そうと思ってのことだ。手紙を書く相手も少ないのだけど、無いと不安になってしまう。
目当ての文具店にやってくると、そこでわたしは……思いもよらない人と会ってしまった。
文具店の前で馬車から下りたのは、わたしの妹──エドラ・ブランシュだった。
貴族学園の制服姿で、少し年上にも見える男性にエスコートをされている。
久し振りに見る妹の姿に立ち止まってしまうと、もう動く事が出来なかった。
「あら? お姉さま?」
気付かないで欲しいと思うのに、この距離で気付かれないわけもなく。
にこやかに笑ったエドラは優雅な足取りで近付いてくる。美しい顔に、微笑を浮かべながら。
「お姉さま、お金は送ってくれた?」
「……さっき手続きをしてきたわ」
「ふふ、これで新しいアクセサリーが買えるわ」
エドラは嬉しそうに笑みを深め、陽光を受けて輝く金の髪を肩から背に払った。腰まであるストレートの金髪は、よく手入れをされているのが分かる。結い上げずに下ろしている髪には、宝石があしらわれた髪飾りが載っていた。
大きな赤い瞳は長い睫毛に縁取られて、瞬きする度に頬に影を落としている。
花のようだと喩えられるその美貌は、わたしが家を出た時よりも磨かれていた。
エドラの隣に立つ男性が、わたしの事を見下ろしてから鼻で笑った。
わたしに対してそういう態度をとるのは、この人が初めてではない。美しいエドラの姉だというのが信じられないのだろう。
「エドラ、彼女が君の姉?」
「そうよ。似ていないけれど」
「確かにまったく似ていないな。姉だというのも恥ずかしいだろう」
「そんな事言わないで。あれでも私の姉なのよ」
そう言いながらエドラはおかしそうに笑った。少し意地悪な笑顔だった。
「私達は家族だもの、いつだって助け合っているのよ。ねぇ、お姉さま?」
助け合っている?
それは違う。そう言いたいのに、口が開かない。エドラが紡いだ【家族】という言葉だけが、わたしの胸に響いている。
自分が情けなくて、惨めな気持ちになる。
馬鹿にされていると分かっているのに、家族を諦められない自分がひどく惨めだ。
エドラは分かっているのだ。
わたしが家族に強い思いを持っている事を。でもエドラがその輪の中にわたしを入れてくれる事はない。
そう、わたしも分かっている。それでも縋らずにいられない自分が惨めだ。
「これからもよろしくね、お姉さま。私、まだまだ欲しいものが沢山あるの。お姉さまが助けてくれるかぎり、私達は家族でいられるわ」
胸が苦しい。
乾いた口から言葉が紡がれる事はない。ただ、頷く以外に出来なかった。
そんなわたしを嘲笑って、二人は文具店に入っていく。
目的地が同じだったらしい。でもわたしは、お店に入る事は出来なかった。
踵を返して、お屋敷までの道を急ぐ。護衛についてくれている騎士が心配そうに声を掛けてくれるけれど、わたしはちゃんと笑えていただろうか。
大丈夫だと伝える声が震えなかったから、きっと平気。
***
お屋敷に戻ったわたしは、まだ陽も高いというのに自室のベッドに潜り込んだ。
先程の妹の姿が目に焼き付いて離れない。
美しくて、可憐で、自信に溢れているようだった。
愛されてきたのだろう。父と母、友人、他にもたくさんの人に認められてきたのだろう。
自分との差を見せつけられているようで、胸が苦しい。痛い。悲しい。
こんな事を思ってしまう自分の卑屈さが、みっともないのだって分かっている。
だからわたしは愛されないのだ。
溢れた涙がシーツに染みを作っていく。
妹に会わなければ、こんな気持ちにならなかった。
そんな風に思ってしまうわたしだから、家族の輪に入る事が出来ないのだ。
矛盾する思いに引き裂かれそうで、気持ちが悪かった。
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