11.初めてのお手伝い
【──困った事があったら、いつでも相談して。私があなたを大事に思っている事を、忘れないでね】
丁寧な文字で書かれた手紙を読み終わり、わたしは小さく息を吐いた。
差出人は友人であり、研究所で事務官をしているシィラだ。彼女にも今の仕事内容や居場所は秘密にしているのだけど、シィラはヴィクトル様に手紙を預けてくれたそうだ。
彼女の近況、研究所の様子、それからわたしを思いやる言葉が紡がれた手紙を読むと、胸の奥が温かくなってくる。
元気そうでよかった。彼女も研究所も、変わりがないようで安心する。まぁ研究所を離れて一週間と少しだから、何かが大きく変わる事も早々ないのだけど。
「返事を出すなら俺が届けるから預けてくれ」
「ありがとうございます」
わたしが手紙を読み終えたのを見計らってか、ヴィクトル様がそんな言葉を掛けてくれる。手紙を書いたらヴィクトル様にお願いしよう。
持ってきた荷物の中にレターセットはあったはず。もう残りも少ないから、近い内に買いに行けるといいのだけど。
そんな事を思いながら、わたしは椅子から立ち上がってヴィクトル様の元へと歩み寄った。
ここはキッチン。
ヴィクトル様から手紙を受け取ったわたしは、そのままヴィクトル様が夕食を作るキッチンにお邪魔していたのだ。
料理をする様子を見ていたいというわたしのお願いを快く聞いて下さったヴィクトル様は、お鍋の中を木ベラで掻き混ぜている。
バターのいい香りがする。
ヴィクトル様の隣でお鍋を覗くと、火の通って柔らかくなった玉ねぎに小麦粉をふりかけられている。そこに牛乳を少しずつ注いでいく様子は手際がよく、見ているだけなのに何だか楽しい。
「今日はシチューですか?」
「そう。サーモンとほうれん草のシチューにしようと思って。好きかな?」
好きか嫌いか、やっぱりまだ分からない。
でも──
「たぶん。今日は少し肌寒かったので、温かいシチューは嬉しいです」
「それなら良かった。でも寒かったら、その時にちゃんと言うように」
いつもよりも柔らかく笑ったヴィクトル様は、落ちてきてしまった顔横の髪を耳に掛ける。料理をする時は高い場所で銀髪を緩く纏めている事が多い。その髪も自分でやっているようだから、やっぱり器用な人なんだと思う。
ヴィクトル様はお鍋の中に焼き色のついたサーモンを入れた。白かったお鍋の中にピンク色が映えてとても綺麗。
「もう春だというのに、こんなに寒くなると思いませんでした」
「天気が悪いのも理由だけど、冬の精霊が眠る前に遊んでいるのかもしれないな」
「精霊王の目覚めが近い事も関係しているのかもしれませんね」
「確かに。何千年も待っていたんだ、浮かれる気持ちも分かる」
そう、精霊達も心待ちにしていたのだろう。
それを思うと寒が戻った事くらい、寛大な気持ちで受け入れるべきかもしれない。それを知っているのは、本当に数少ない人達ばかりなのだけど。
改めて、解読に力を注がなければと思った。
わたし達、いまを生きる人達の為にも。女神様と精霊達の為にも。
そう決意していると、ヴィクトル様はあっという間にシチューを完成させてしまったようだ。
迷う事もなく、滑らかな手付きを見ていると自分にも料理が出来るのではないかと思ってしまう。
だって凄く楽しそうに料理をするんだもの。微笑みながら、時折鼻歌を響かせながら。
それを見ていると料理に興味を持ってしまうのも当然な気がする。
「ヴィクトル様、わたしにもお手伝いさせて下さい」
「え?」
「わたしでも出来る事があれば、やってみたいんです。……ご迷惑じゃなければ、なんですが」
「迷惑なんてとんでもない。でも……君は伯爵令嬢だし、料理をするような身分じゃないだろう?」
「それを言うならヴィクトル様もなんですが」
「ふは、確かに。じゃあ手伝ってもらおうかな」
そっと表情を覗き見ると、嫌がってはいないようだ。それに安堵の息をつきながらワンピースの袖を肘まで捲った。
ヴィクトル様はパントリーに消えたかと思うと、エプロンを片手にすぐ戻ってきた。
濃い青色のエプロンを貸してくれるから、有難くそれをお借りして着けてみるけれど……大きい。
胸当ての部分はだいぶ下に落ちているし、丈も長すぎる。
ヴィクトル様の背が高いのは重々分かっていたつもりだけど、ここまでサイズに違いがあると思わなかった。
唖然としているわたしを見て、ヴィクトル様がおかしそうに笑う。
わたしの背後に回ると、「ちょっとごめんね」と声を掛けて、紐を調節してくれているようだ。
首に回る紐を短くしてくれたら胸当ての部分もちょうど良い位置に来た。長かった裾も腰で何回か折ってから紐で結んでくれて、邪魔にならないくらいになっている。
「これでどう?」
「ぴったりです。ヴィクトル様は何でも出来るんですね」
「間に合わせだけどね。じゃあ……ブロッコリーとタコでマリネを作るから、ブロッコリーを切ってみようか」
「わかりました」
きっとヴィクトル様が自分でやった方が早いのに。それでもわたしに手伝わせてくれるのは、彼の優しさだ。
まずは手を綺麗に洗ってから、ナイフを握った。
「ナイフの持ち方は……うん、いい感じ。じゃあしっかり握ったままで、こっちの手はナイフの前には出さないようにね」
「はい」
大きなナイフはずっしりと重くて、何だか緊張してしまう。
言われた通りにナイフを握り締め、逆の手でブロッコリーをしっかり掴んだ。
示された場所にナイフを当てて、ゆっくりと茎を切り落とす。それから小房に分ける為に、言われた場所に切り込みを入れていった。
「うん、上手。落ち着いてるね」
「緊張してます……」
「はは、その緊張感も大事。でも息はしような」
「はい……」
息を止めていたのがばれていたらしい。苦笑いをしながら頷いたわたしは、ゆっくり深呼吸を繰り返した。
「あとはナイフを置いていいよ。切込みを入れたところから、指を入れたら小さく分けられるから……こんな感じ」
「やってみます」
実際にひとつやって見せてくれるから分かりやすい。
言われた通りにやってみると、案外難しいものではなかった。丁寧に教えて貰えたおかげだろう。
わたしが小房に分けている間に、ヴィクトル様は茎部分の皮を剥いて薄く切っている。それが終わると今度はタコも薄切りにし始めて、見惚れるほどの手際の良さだ。
「どう? 楽しいって思ってくれる?」
「はい、楽しいです。ヴィクトル様が教えてくれるからなんですけれど」
「飲み込みがいいから教え甲斐もあるよ。料理以外でもやりたい事があったら、何でも言って。俺で教えられる事なら教えるし、俺も分からないなら一緒にやってみよう」
その声があまりにも優しいから、わたしは思わず手を止めてヴィクトル様の事を見つめていた。
わたしの視線に気付いたヴィクトル様が顔を上げる。声のように優しい笑みが浮かんでいた。
「色々やってみたら、好きなものが見つかるかもしれないし。アンジェリカも、俺もね」
「……ありがとうございます」
なんだか、胸の奥がチリチリする。
ブロッコリーを持つ手が、擽ったいようなふわふわするような、不思議な感じ。
落ち着かない気持ちをどうにかしようと、とりあえず深呼吸を繰り返した。
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