2.アンジェリカ・ブランシュ
わたしはアンジェリカ・ブランシュ。
ブランシュ伯爵家の長女として生まれた。薄茶の髪にピンクの瞳は父方の祖母と同じ色彩で、幼い頃はそれなりに可愛がられていたと思う。
それが一変したのは、妹が生まれてから。わたしが四歳の時だった。
金の髪に赤い瞳。父が溺愛する母と同じ色彩を持つ妹は、生まれた瞬間から両親を夢中にさせた。
成長するにつれて妹は母によく似てどんどん美しくなっていく。両親の意識は妹にのみ向けられていった。
いま思えば、妹に比べてわたしは可愛くなかった。
顔立ちも妹の方がはっきりとした美人だし、なにより愛嬌があった。天真爛漫で、居るだけでその場が明るくなるような華もあった。
わたしには無い、妹の魅力だった。
両親はわたしをいないものとして扱い、妹もそれに倣った。
食事の席でも、誰もわたしを見てくれない。話しかけたら、食卓の空気が凍ってしまうのだ。誰も言葉を返してくれない。
それが辛くて、寂しくて、わたしは自室で食事をとるようになった。
子どもの我儘だったと思う。「どうしたの」と気にかけてほしい気持ちもあったのだろう。
でも、誰も……わたしの部屋を訪れる事はなかった。
わたしがいなくても、両親や妹は気にしない。彼らの日常にわたしはいない。そう突き付けられた気がして、自分がした事なのに傷付いて……その日はベッドから出られなかった。涙が止まらなかったから。
それから自室で食事を取り続けたのは、意地になっていたのかもしれない。
ううん……わたしがいない事で完成している家族の食卓を見るのが恐かったのだ。
両親に大事にされていない様子を見て、妹はわたしを下に見るようになった。
わたしが両親からの愛を求めている事を知っていて、見せつけるように二人に抱き着いて……違う、それはわたしの見方が穿っているのだろう。
わたしのこういう卑屈なところが、両親に愛されない原因なのだ。
気付けば誕生日のお祝いもなくなっていた。
十三歳で行われる適性検査で高い魔力を認められ、魔法学院に入学する事になった時も、両親は興味がなさそうだった。
学費だけは出してくれたけど、きっとそれもわたしに同情的だった執事が口添えしてくれたのだろう。
わたしは十三歳で寮暮らしとなった。あの家を離れられてほっとしたのと同じくらい……寂しかった。あのまま家に居たら、家族として一緒に食卓を囲める時も訪れたかもしれないから。
学費と寮費は払ってくれた。でもわたしが自由に使えるようなお金はなかった。何かと入用な時もあったから困ってしまった時には、わたしのおかれている状況を知った先生がアルバイトと称して研究の手伝いをさせてくれた。
そのおかげで必要なものを買いそろえる事が出来た。
そして先生が古代文字を教えてくれた。
家を離れて二年が経ち、十五歳で迎えるデビュタントはさすがに支度をしてくれた。でもそれは伯爵家の娘として恥ずかしくない程度の最低限の支度だった。
わたしが十五歳になった事を知っていてくれたのかと嬉しく思ったのに、それも執事に言われて気付いたのだと知った時には笑ってしまった。
十八歳で卒業した時も、両親がわたしを気に掛ける事はなかった。卒業式も来なかった。
卒業後は王立魔導研究所に進むと伝えた手紙に──初めて返事が来た。
手紙を受け取ったわたしは、胸が打ち震える事を感じていた。
誉れとされる魔導研究所に勤めるのだから、きっと褒めて貰えるだろう。
一度屋敷に戻るように言われるだろうか。お祝いもしてくれるかもしれない。その時にはきっと一緒に食卓を囲んで、わたしの話を聞いてくれるだろう。
寮に入る事にしているけれど、屋敷から通うように言われたりして。
今までの時間が埋まるかもしれない。
期待に胸を膨らませながら開けた手紙には、短い言葉しか綴られていなかった。
【給料は伯爵家に入れるように】
卒業祝いも入所祝いの言葉もなかった。
でも、わたしは……父の言う通りにするしかなかった。
それを拒んだら、家族で居られなくなってしまうもの。
お給料を入れて、伯爵家の為になる事をしていたら、きっといつか迎え入れてくれる。
そう思いながら、この二年間を過ごしてきたのだ。
研究所の寮費を払い、最低限の生活費を手元に置いて、あとは全てを伯爵家に送るように手配した。
有難い事に研究所は制服があるから、日々の衣装に困る事はない。休日用に少しだけ服を用意しておけばいい。
寮で出る食事は朝と夜。それも寮費に含まれているから、必要なのは昼食代だけ。あとは急に何かがあった時用に、少しだけお金を残しておく。
お化粧もしないし、必要な場所に出る事もないから、着飾る為の費用はとらない。
だって、伯爵家ではわたしの仕送りを必要としてくれているのだから。
それはわたしを必要にしてくれているのと、きっと一緒。
そう思いながら仕事に励む毎日だった。
わたしは母からの手紙を丁寧に封筒にしまうと、アンジェリカ・ブランシュという宛名を指でなぞった。
立ち上がって書き物机に近付くと、手紙を引き出しの中に入れた。
「ドレスか……きっと綺麗なんでしょうね」
妹の美しさなら、どんなドレスも似合うだろう。
いまは貴族学園に通っている彼女は、学園の中でも友人が多く、人気者なのだという。それも弟や妹がいる同僚から教えて貰ったことなのだけど。
机の上にある小さな鏡に映るのは、やせっぽちで魅力のない女だった。うなじでひとつに束ねた薄茶の髪に華やかさはなく、ピンクの瞳はおどおどと自信なく翳っている。
自分でも情けないけれど……こんなわたしがあの美しい家族の中に入ろうとするなんて烏滸がましかったのかもしれない。
でも、諦められないのだ。
わたしに出来る事をしていたら、きっといつか認めてくれる。
わたしの話を聞いて、わたしに微笑みかけてくれる。
「明日からまた頑張ろう」
自分に言い聞かせるようにそう言葉を口にして、わたしは束ねていた髪を解いた。
寝る支度をして、明日からまた研究に励まなければ。
引き出しを開けて、先程しまったばかりの手紙の宛名をまた指でなぞる。その下にある手紙にも、そのまた下の手紙にもわたしの名前が書いてある。この引き出しには母からの手紙が何通もしまってあるのだ。内容はいつも、同じものだけど。
アンジェリカ・ブランシュ。
宛先に書かれたこの名前は、わたしが伯爵家の一員だと証明してくれている。それに安堵の息をつき、ゆっくりと引き出しを閉めた。
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