第四章

1話 市街戦





 生暖かく、柔らかい壁でできた部屋。

 床も素材は同じのようで、踏みしめれば「血」が滲んだ。その度にうねうねと壁が波打ち、ルビーのように澄んだ赤色を纏う「肉の壁」が脈動する。

 それは蛇の腹の中だった。

 体の中に光源は無いはずなのに、壁の内包するマシーナウイルスが光を放っているようだ。

 そこに居合わせているのは、穏やかな関係とは思えない三名。

 一人は、サングラスに黒いマントを羽織る男。金色にやや黒が混じった頭髪と、蛇の頭蓋骨を形成する結晶体を載せたステッキを握っている。

 明らかに普通ではない空間に居ながら、住み慣れた環境であるかのように振る舞っていた。

 一人は、便宜上「奇術師」とまとめられる容姿をした男。貴族の好みそうな紺色の礼服。少し高めのシルクハット。泣き顔と笑顔を正中線で繋ぎ合わせたような白磁の仮面。

 最後の一人は、全身の衣服を乱暴に切り裂かれた――と言うより、「自らの意思で破いた」とも取れる異形の男。

 異形というのは見たままの結果である。身体中から蔦を生やし、胸部に咲くツツジを思わせる花。しなやかさを称えた、およそ成人男性の顔ほどまで肥大化した、透き通る赤紫色の花弁。見た目とは裏腹に、金属製の頑強さを持っているようだった。


「そ、ふぃあ」


 全身がツタまみれた男が名前を呼ぶ。そこにいるはずのない女性の名を。

 彼の周りには、美しかった『青』がねぶりつくされた後のように萎れ、枯れてしまった月ノ花が並べられている。

 マシーナ変異に精通していないであろう機械技師でさえも、この植物化した男の状態は一目でわかるはずだ。

 機人の成れの果て。レイヤー伍だと。


「マシーナによる幻覚症状が出ています。ほぼ完成したと言って良いかと」

「そうか。よくやった」


 ヴォルタスは答えない。

 主人に褒められたからなのか、返す言葉を探しているようにも見える。

 情緒が二分された仮面の裏では、口元が綻ぶのを我慢しているのかも知れなかった。

 ヴォルタスは「しかし」と誤魔化すように話を変える。


「ベレッタがしくじったようです」


 水着パーカーの賞金稼ぎ。彼女の兵舎襲撃を指して報告する。

 その場に居合わせていなかった筈だが、しかし的確に遠隔地の情報を仕入れているようだった。


「剣鬼か?」

「いえ。隠密部隊の夜狐と異分子が一名。膨大なマシーナ反応を一瞬放出しましたが、すぐに消失したようです」


 アルニスタの持つ、マーキングした相手を覗き見る悪趣味なデバイス機能――〈縁接続えにしせつぞく〉に酷似した方法で観察していたのだろう。その報告は起こった現象そのままだった。


「夜狐は」

「死体は確認できていません。恐らく生存しているかと。が、仮面デバイスの電源を落としたらしく、行方をくらませています」


 アルニスタは顎に手を添えると、更に問う。


「異分子というのは?」

「ベレッタと交戦していました。しかしどの部隊にも所属していません。ファナリス隊でも、レイヴン隊でもないようです」

「……どこにでも現れるな」


 アルニスタが呟く。

 ――リーレニカだな。と。


「その異分子も死んではいないのだろう」

「地下武器庫は崩落させましたが、恐らくは。別の夜狐が仮面を起動させたようで、それが予備デバイスであれば本日分の部隊登録はされていないかと」

「部隊は日毎ひごとに更新すると言っていたな」


 アルニスタが意味深長なことを言う。

 ヴォルタスも同意した。


「ええ。『夜狐から提供されたデータ』が正しければ、炙り出しは可能です」

「恐らくそいつは『生体型デバイス』の使い手だ。ヴォルタスに任せる。必ず仕留めろ」

「お任せください」


 ちら、とヴォルタスはスタクの方を見やる。ただ虚空を見つめ、「そふぃあ」とうわ言のように繰り返している。

 廃人のようにすら見える。

 これが本当に使えるのか、とでも言いたげに見ていた。


「それで、ベレッタはどうしている」

「〈ピエロ〉を使いマシーナ・コアを塞ぎました。燃焼器官が自生されていないようなので、理性はあるようです。まだ使えるでしょう」

「充分だ。あとは〈花〉の開花だな」

「そこも抜かりなく。『養分』は確保できました」

「ほう? 子供達を集め終えたのか?」

「残念ながらファナリス隊の動きが早く、十全では。ですがもっと有用です」


 ヴォルタスは枯れた月ノ花を一輪拾い上げる。


「膨大な善性マシーナを分泌する人間――月ノ花の元となる人間が居ました」


 それを聞いたアルニスタは笑みを零す。

 獲物を見つけた蛇のように。



     ****



 黒鉄くろがねで構成された狐の面がの光に晒される。

 全身に纏う漆黒の蜃気楼は陽光を一切通すことはない。

 その影は騒々しい剣戟けんげきの集まる方へ向かっていた。

 ふと、彼女の耳元から聞き慣れたオペレーターの声が届く。


『リーレニカ。昨日定時連絡が無かったぞ。どうした?』

「別に。何もありません」

『何もないわけないだろ。昨日から大量の』


 ソンツォが『機人が』と言いかけたところ、遠くで情けない悲鳴が聞こえてきた。

 大きな鞄を背負った男児が、アルマジロのように小さな体を丸めている。

 絹のように揺れる紺の髪。中性的な顔を覆うように切り揃えられた子供。シヴィ社長だった。

 そこに〈マネキン〉と思わしき機人が一体。大きな爪を振り下ろしたのか、大事な商売鞄に一筋の裂け目ができている。

 かろうじて鞄で身を守ったのか。

 ――世話の焼ける社長だ。


「ソンツォ。機人が出たので切ります」

『おい』


 Amaryllisアマリリスを介したオペレーターとの通信を切る。

 切るや否や、土煙が巻き上がった。影が加速する。

 コウモリが超低空飛行を成しているような、奇妙な構図が出来上がる。

 影は数回地を蹴ると、瞬く間にシヴィの元へ到達した。

 悲鳴をあげていた男児が、助けが来たのかと顔を上げる。狐面と目が合った。


「うおおお! 誰⁉︎」


 狼狽えるシヴィに取り合わず、磨かれた陶器のような顔に蹴りを入れる。

 まともに受けた機人は大きくのけ反り、胸部の核――透き通る鉱石の中、液状で火を踊らせる燃焼器官――マシーナ・コアが露出した。

 胴体に馬乗りの要領で脚を巻き付けると、機人の顎に手を押し当て、そのままコアへナイフをあてがう。


「崩せ」


 スペツナズナイフが激しく震える。ブレード部が高周波を纏い、コアとの接触面から保護層――マシーナウイルスの結合体が乖離。自然、頑強さを実現していた宝石はガラスの様に脆くなり、亀裂を生んだ。

 頑強な見た目にそぐわず、抵抗なく刃が通る。

 瞬く間に宝石が砕け、機人の胴体は乾いた砂のように崩壊し、風に攫われていった。

 うずくまっていたシヴィ社長が狐面を見上げて怯えている。

 一般市民ならこの部隊はそうそう見ないだろうから当然だ。マシーナを纏う得体の知れない武装兵なのだから。

 だが待っている暇はない。


「な、な」

「ここは危険です。騎士学園にファナリス隊が数名いるので避難を。三つの尖屋根とがりやねで分かるはず」

「あ、え……?」

「死にたくないなら走れ!」


 リーレニカの怒鳴り声で正気になったのか、シヴィ社長は一度頭を下げると、リーレニカの来た方向へ走っていった。

 鞄の裂け目からいくつか商売道具がこぼれ落ちているが、この緊急時に拾ってやる余裕はない。


 リーレニカは虚空で手を広げる。

 狐面の視界に投影された国の地図が青白く展開された。

 生体反応とマシーナ反応が異様に集中しているエリアがある。意識を向けると建物名が浮かんだ。

 サーカスの本場――オーロレイツ劇場。

 Amaryllisアマリリスのマーキングと合致していることを確認する。

 マーキング――フランジェリエッタのマシーナ反応だ。

 休んでいる暇はない。

 中央区のオーロレイツ劇場を目指し、走り出した。

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