18話 非合理的な感情





「楽はさせてくれないわね」


 機人化をコントロールする水着パーカーの女に、リーレニカ達は防戦一方を強いられていた。


「ディアブロ――くそ」


 変異のタイミングを見計らい、リーレニカが黒剣を薙ぐ。

 起動句を中断させ、止むなく爪で受け止められる。

 しかしそれ以上の攻め手を許してはくれなかった。


『ほれ、使えよ』


 断る。

 Amaryllisアマリリスの誘惑がさっきから五月蝿うるさい。

 今バタフライガーデンを使えば最期、目の前の悪魔と同じ変異を辿ることは明白だった。

 Amaryllisアマリリスは呆れたように問う。


『なぜそこまでして戦う? この狐に任せればよかろう』


 相棒の言うことは最もだ。

 夜狐が隠密部隊であることはわかっている。増援が無いのは街中の機人警報で手が回らないからだろう。

 だが大掛かりな爆撃による奇襲。じきに若い兵程度はこの兵舎に集うはずだ。

 しかし、その頃ベータは死んでいるだろう。

 ベレッタの目的はおそらく夜狐の抹殺ではなく、「ベータの殺害」だ。

 不審な点はいくつかあった。

 思考を邪魔するように、再度Amaryllisアマリリスが口を挟む。


『お主が戦おうが、全力で当たれんのなら共倒れだぞ』

「……五月蝿いッ」


 雑念を振り払うように黒剣を乱雑に振るう。

 感情任せに振った剣筋は、予想以上にリーレニカの態勢を崩した。

 ベレッタも見逃す筈はない。


「急にガキみてえに喚いたと思えば、チャンバラごっこかよ」


 集中力が途絶え、焦燥が顔に出てしまう。

 強烈な蹴りがリーレニカの側頭部を襲う。まともに受ければ首が飛ぶほどの勢い。

 間一髪、襟首を引っ張られ蹴りが鼻先を掠めた。

 抱き止めたベータが耳打ちする。


「もういい。どこかに失せろ」

「置いていけるわけないでしょう」

「これとは関係無いだろう。なぜそこまでする」


 ――どいつもこいつも。

 リーレニカは目を伏せる。

 大きく息を吐いた。

 まったく「なぜなぜ」と五月蝿い。

 誰もが人を助けることに理由を求める。

 下心がなければ行動してはいけないのか。

 本当に五月蝿いな。

 ――私は。


「こんなんで息切らしてんなら、お前らはベレッタの暇つぶしにもならねえってことだよな」


 ベレッタが飽きたように首を傾け、鈍く鳴らす。

 ――私が何故戦うかだと?


「まとめて首飛ばしてやる。下手に動くなよ」


 悪魔が膝を深く曲げる。

 次に伸びた時には、二人の首は体と分かたれるだろう。

 リーレニカは内側から湧き上がる「なにか」に体を震わせた。


「……言葉にする必要あるの?」

「あ?」

「私は――」

「うぜぇな。苦しんで死にてえなら好きに抵抗しろよ」


 悪魔が跳躍した。

 眼前に爪が迫る。

 ――私は。

 


バタフライガーデン


 極彩色の蝶が部屋を埋め尽くした。



     ****



 それは五秒の間のみ許された、蝶の煌めき。


「――まだ隠してやがったかッ」


 ベレッタの嬉しそうな声。視界悪の中、三者が三者とも姿を隠すほどの粒子の奔流。

 しかし、〝二人には〟見えている。

 夜狐とリーレニカはコンタクト無しにお互いの理想とする位置へ動いた。

 血中マシーナがAmaryllisアマリリス好みにけがされていくのを感じる。

 白銀の世界が泥で出来た闇のように濁る。

 リーレニカは鼻下を拭う。血が滴っていた。


「――わかった」


 確かに、ベータがそう言った。

 リーレニカの選択は、「感情の丈をぶつけるだけ」の蝶の奔流だった。何か明確な創造をする物質化でもなければ、肉体の傷を癒すものでも、対象を殺傷するものでもない。

 感情――即ちリーレニカの思考も含まれる。

 思いの丈と、「最後の指示」を蝶を介してベータへ伝えた。

 そしてベータは「わかった」と返す。


「んな目眩しで逃げられるとでも――」

「誰が逃げると言った?」


 水着パーカーの背後からベータの声。思わず悪魔の女は爪を大きく、背中まで薙いだ。

 空を切る。

 その声は、「蝶を介した音の塊」だった。

 蝶で埋め尽くされた空間は五秒経過し、さらに微小な粒子となって霧散。粉塵となって消滅する。


『バイタルチェック――血中マシーナ汚染中。推定レイヤー参』


 Amaryllisアマリリスの自動音声がリーレニカの状態を告げる。

 これは賭けだ。

 リーレニカは自身が機人――レイヤーよんになるギリギリのラインを曖昧に予想し、「バタフライガーデン」の起動方法を「無秩序」に設定した。

 指向性のない拡散起動式。

 起動範囲を指定しないため蝶は自由に空間を飛翔し、自然、武器庫の中を無限に漂う。

 その量すらも限定しなかった。

 生体型デバイス――Amaryllisアマリリスの操作を放棄することで、複雑なプログラム処理をしない分、体内の偽善性マシーナ消費を抑えたのだ。

 言ってしまえば、起動するだけ。

 そしてそれを五秒で強制停止シャットダウンする。

 これに意味を見出そうとするならば、結果が語ってくれるだろう。


「デバイス起動」


 ベータが起動句を発言する。

 短剣のブレード部分が紅く染まり――高熱を帯びる。

 紅い軌跡が蝶の間を潜り、悪魔へと迫る。

 二人の姿を隠していた蝶が消えたかと思えば、ベレッタの腰下に深く屈んだ夜狐の姿が現れた。

 素早くベレッタの胸に収められた黒い宝石――マシーナ・コアへと切先が吸い込まれていく。


「惜しかったな」


 ベレッタが右腕を引く。その爪でベータの首を飛ばせば、致命の一撃と共に無力化できる。それを選択することは間違いでは無かった。

 ――その「溜め」を妨害するように、コウモリスカートのしなやかな手が置かれる。


「あなたもね」


 爪は一拍遅れる。夜狐の短剣が速い。

 とうとう、短剣の凶刃を邪魔するものはなくなり――黒い宝石を貫いた。



     ****



 ベレッタの獣の如き咆哮が木霊する。

 大気を震わせ、上半身まで変異を遂げていた機人化は、その外殻を沸騰させるように泡立たせ、瓦解し始めた。

 胸中に嵌められた黒い宝石。ブレードに貫かれ、内包した液状マシーナが短剣を伝い気化していく。


「クソがッ」


 荒々しく叫ぶと、ベレッタは半壊した爪をベータの腹部へ沈めた。

 人間がゴムボールのように簡単に弾き飛ばされる。

 衝突した壁が崩れ、土煙をあげて視界を埋め尽くした。

 まさかマシーナ・コアを貫いてそんな馬鹿力を出せるとは思っておらず、白銀の世界からも切り離されたリーレニカは人間の視界でベレッタの姿を追おうと必死になる。

 ――どこにいる。


 すると、遠くで鈴の音がした。

 気配が一つ薄れ、さらに壁の破砕音が遠くで発生した。


「逃すか――」


 言葉とは裏腹に訪れる全身の弛緩。

 視界が一八〇度回転する。

 天井と床が入れ替わり、リーレニカは転倒する体を制御できず、したたかかに顔を打った。

 酸欠を起こしたような呼吸器系の異常。

 胸が上下させても治らない動悸。

 尋常ならざる発汗。

 早く――善性マシーナを。

 腰に手を回すが、もどかしい指が空を切るのみで目当てのものは掴めない。

 スペツナズナイフごと、善性マシーナポーションも没収されていたことを思い出す。

 床に爪を立て、さらに呼吸が浅く、早くなる。

 細かく揺れる瞳に構わず、周りに視線を這わせる。何も役に立ちそうなものがない。


『――!』


 Amaryllisアマリリスが何か言っている。

 もはや聞き取れる耳も、理解する頭も機能しない。

 ただ一つだけ悟った事がある。


 機人化が始まろうとしていた。

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