17話 どうせ無駄だけどな





「ディアブロ――兜」


 更に変異を進めようとしているのか、ベレッタの水着から露出した胸部のマシーナ・コアが、仄暗く発光する。

 無から物質を形成するマシーナウイルスの特性。それが彼女の頭部に発現した。

 炭の弾ける音が連続し、額から続々と白骨が出現。完全に鼻まで覆った。

 一言で言えば、それは『牛の頭蓋骨』だった。

 鋭い角が二本。

 不気味な闇を内包する眼窩がんかは、まるで死を見つめる空洞。

 下顎から後頭部にかけて綺麗に削ぎ落としたような、見ようによっては古来民族の被り物だ。

 彼女の鼻から頭頂部まで覆い隠すように現れたそれは、被っているのではなく、一体化しているのだとわかる。

 覗く口元だけは、相変わらずにいっと笑みを貼り付けている。それが唯一人間らしさを残しているが、リーレニカの目にはどこまで行っても異形として映っていた。

 まるで、悪魔の死体を着こなす狂人だ。


「あはっ、きひっ、ひっ」


 何が面白いのか。ベレッタはどこを見ているかわからないが、不出来なブリキ人形のように首をカクカク揺らしながら笑っている。

 マシーナの興奮作用でハイになってるのか。

 あの手の「変異するデバイス」と言うのは、元は戦争用に親しまれた「道連れ専用の兵器」だ。

 相手が口にする起動句はリーレニカも聞いたことがあった。

 ディアブロは、痛み無く強制的に機人化することで人格を失い、相手を道連れにする。追い詰められた時に使う自決用のデバイスだ。

 使用者が死に際で多幸感に包まれたまま、笑顔で敵を地獄に引き込む様から、〈ディアブロ〉――『悪魔を着る者』と忌避され製造を禁止された兵器。それを彼女用に改造したのだろう。

 リーレニカは黒曜色の刀剣を正中線で構える。マシーナ殺し――弾道スペツナズナイフが無い今、鋭利な爪を受け流せるのはレイヴン隊の長剣デバイスしかない。

 ふと、ベレッタの背後に目を向けてしまう。


「クセになるなぁ、これ」


 ベレッタの機嫌に〈影〉は取り合う気がないようだ。

 牛頭の背後で影が揺らぐ。

 ベータが奇襲を仕掛けようとしていた。


「馬鹿」


 リーレニカは思わず表情を強張らせる。

 愚策だ。

 信じられないが、あの水着パーカーが機人だと仮定すれば、『人の意識を保ち異形化できる稀有な個体』である証。

 その特例は過去に目撃したことがある。

 月の谷の機人――レイヤー伍だ。


「気遣わなくたっていいんだぜ」


 ベレッタのソレは、止めるか迷っていたリーレニカに対しての言葉だったのだろう。

 得体の知れない相手。ただの兵器型デバイスとは一線を画す異質な襲撃者。

 リーレニカが夜狐を制止すれば当然知らせることになり、奇襲の意味を失う。仮に止めなかったところで有効打になる確証もなかった。

 それはベレッタが一番よく理解しているらしい。

 ベレッタは振り向くことなく片手を上げる。

 易々と夜狐の短剣を受け止めた。


「なんだ――それ」


 夜狐が思わず呟く。

 目視なくして死角からの攻撃を正確無比に受けるなど、人間の芸等ではない。

 武の達人であれば、あるいは勘で。あるいは気配で察知するだろう。だが水着パーカーの動きは「視えている者」のそれだった。

 その所作に、リーレニカの推測は合致する。

 機人ならばできて当然だからだ。


「マシーナの感覚器か――!」


 鋭利な爪の間に挟まった短剣がビクともしない。思わず肩に乗り、慌ててデバイスを再起動し刃を押し込もうと試みるが、バッテリー切れを起こしたように反応しなかった。


「抹殺リストにいたからさあ。ちったあ期待してたんだけどよー……もういいよ」


 ベレッタはがっかりしたように肩を落とすと、 


「お前にはもう興味ねえんだわ」


 もう片方の爪が容赦なく軌跡を描いた。

 爪の触れた部分から、勢いに負けたように漆黒の蜃気楼が剥がれていく。

 夜狐の首に掛かる、悪魔の爪。

 突如、動きが止まった。


「マジかお前」


 ベレッタが嬉しそうに言う。

 声の先。

 リーレニカの黒剣が間違いなく大爪を受け止めていた。

 空中で受け止めている筈なのに、大理石を押しているかの如くその場から微動だにしない。圧縮した空気の足場を展開したリーレニカの動きは、共闘する夜狐ですら理解が及んでいないようだった。


 リーレニカはこの黒曜剣の性質を見誤っていない事に少しばかり安心する。

 両刃のロングソードは、超過重の打撃に対しては剣尖と柄を手で支え、剣腹で受ける。

 機人の膂力りょりょくであれば受け方によっては容易くへし折れる可能性があったが、この黒剣は「剛」を有しながら衝撃を宙へ逃がす「柔」も兼ね備えているらしい。

 相手の鋭利な爪を受けていながら尚、小さな火花を散らしたものの力に押される様子がない。

 空中で固定されたような、果ては羽でも生えているような軽さをこの黒剣から感じる。

 刃が抉り飛ばせない事象を目の当たりにしたベレッタが、手品を見ているようにはしゃぐ。


「お前人間だよな⁉︎ その態勢で受け止めるってどんな筋肉してんだ――よっ」


 ベレッタのブーツがリーレニカの腹部を襲う。が、白銀の世界ではその動きはコンマ数秒早く予測線として出力トレースされている。

 身を捻り回避する。真下を通った蹴りがそのまま後ろにいた夜狐を捉えるが、うまく後方に跳んで衝撃を流していた。


 追撃をしようと再度飛び出すベータに手を出して制する。

 彼女の焦る気持ちはわからないわけでは無かった。

 機人化を使いこなせるならば、今の状態は『なりかけ』だと断定できる。機人の本領は、人間という肉体の脆弱性を放棄することにあるからだ。

 ベレッタの装いを見るに、まだ変異の途中段階。全身を機人の体に作り変えられるのであれば、まだ全力を出していない証拠である。

 だが、だからこそ焦るべきではない。

 人間が機人に勝つ道理は無い。殺し方は人間に比べて多種多様ではないのだ。

 故に、綻びを見せればたちまち殺されてしまう。

 まずは基本を共有する。


「機人の処理方法はわかる?」

「マシーナ・コアの破壊」

「わかってるならいい」

「担当は?」

「手負でしょう? 連携は考えなくていいわ。今出せる全力で動いて。合わせます」


 リーレニカは黒剣を軽く振るう。

 手負と言われたベータは一瞬不服そうにしたが、すぐに短剣を片手に構えた。


「話し合いは済んだかよ」


 ベレッタがゆっくりと間合いを詰めながら言った。

 動線で障害となる瓦礫は蹴散らしながら近づいてくる。

 

「どうせ無駄だけどな」



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