3話 花屋の報復




 後日、早朝。

 月夜で冷やされた空気が体温を奪う。

 静まり返った商業区。人の気配も無い。

 アルニスタ・スカルデュラがまた「月ノ花」を求めて来店すると言うので、少し早めに店を開けることにした。

 木製の階段を軋ませる。生花店の戸に手をかけ――止めた。


「……?」


 店内ですすり泣く声が聞こえる。Amaryllisアマリリスの索敵機能を起動した。


『強大なマシーナ反応有り。……更新。一体の生命反応を検知』


 マシーナ値は月ノ花だろう。生命反応の方は――。

 コウモリスカートのナイフを握り、戸を開いた。


「……レニカ先輩」

「フランジェリエッタ。これは――」


 酷い有様だった。

 棚は蹴り折られたように砕け、床に散乱した鉢からは土が飛び散っている。

 花は、靴跡がはっきりと分かる程に踏み荒らされていた。

 フランジェリエッタは床に広がる土と花を手で掬い、割れた鉢に戻そうとしていたようだ。

 彼女の泥だらけの手を取る。涙を溜めた桃色の瞳と目が合った。


「誰がこんな事を」

「お得意さんがね、ミゲルおじさんが店から出ていくのを見たって。黒服の人を何人か連れて来て、それで――」

「もういいです」



 フランジェリエッタは、泣き腫らした目から更に感情を溢れさせる。

 彼女は涙を拭おうと手を引く。掴んでいた手を離せずに、そのまま彼女の頬に触れた。


「私……なにか悪いことしたかなあ」


 ――こんな事をされて良い道理などあるはずがない。

 確かにこの店は、ミゲルが空き家だと言って譲ってくれた場所だ。施設利用費も売上から払っている。

 ある程度、高濃度マシーナ値を持つ月ノ花を売り出していたが、違法値ではなかったはずだ。

 人払いがあったのは、マシーナ値を口実にしていたが憲兵と喧嘩をした酒酔いのミゲルに対して注意喚起しただけに過ぎない。

 口論はしようが、向こうの意に反しないよう大抵の事は譲歩してきたはずだ。


 ミゲルは、越えては行けないラインを踏み荒らした。


「少し――話してきます」

「だめ! ここの敷地ね、元々ミゲルおじさんが――」

「だから何だと言うのですか。私がこの店に来たのはつい最近です。人の義理を差し置いて店の義理が何だとのたまう気なら、私はこの店を辞めますよ」


 リーレニカは着ていた仕事用のエプロンを、破壊された商品棚の隣に置く。


「これはアルニスタさんから頂いたものです。前金だと仰っていましたが、どうするかは任せます」


 エプロンの上に厚く膨らんだ封筒を載せ、リーレニカは店を出た。


「待って――」


 店を辞める。

 そう言い残したリーレニカの言葉は、店長に重く響いた。


「︎一人にしないで……」




     ****




 ムーディーなジャズを流すレコーダーと、不愉快な笑い声が裏路地の一室から漏れる。

 そこは違法薬物を取り扱う、国の認可を受けていない非公式の酒場だった。


「あいつ、アレで懲りましたかね」

「さすがにあんだけボロボロにしてやりゃあ立ち直れないでしょう。あれでまた店やろうなんて奴はただのマヌケだ」


 屈強な男達の笑い声。

 黒スーツを破らんとする程に、筋骨隆々とした体を拵えた二人が銀グラスを煽り、武装した初老のバーテンダーが食器を磨いている。

 その席の中央で機嫌良く酒を煽っているのは、造花店の店長――ミゲル。


 彼らは先刻から、フランジェリエッタの店を荒らした話で盛り上がっていた。


 ミゲルは相当酔っているのか、幻想的な蒼に輝く月ノ花を一輪、乱暴に回している。


「この……月ノ花か? 改めて見るとマシーナ濃度が異常だな。こりゃあ機人きじんが寄ってくるぞ」


 盗み帰った一輪の月ノ花は、ミゲルが興味本位で持ち帰ったものだった。

 曰く、「スカルデュラ家のお気に入りはどんな細工をしているか」と黒服達と話していたとか。


「そんだけマシーナ値が高いんだ。この花買いたがるやつは、実は機人きじんだったりしてな」

「そりゃいいや。ならスカルデュラ家の坊ちゃんは、人間のフリしたぶっちぎりの『レイヤー伍』だ。お前もたまには面白ぇ冗談言うじゃねえか」


「笑えないジョークですね」


 男四人の空間に、凛とした女性の声が入る。

 腕を組み、入口に背中を預けていたコウモリスカートが静かに睨んでいた。


「リーレニカ、どうやってここ嗅ぎつけやがった」

「花を踏み荒らした不貞な輩がいまして。犯人の靴底に付着したマシーナウイルスの残滓ざんしを辿っただけです」

「俺はもう商業区から手を引いたんだ。どっかの誰かさんが客層減らすからな。……ま、中央区画の近くならアルニスタもまた顔出すだろう。小娘どもにゃ縁遠い話だな」


 大方、兵器型デバイスの製造ビジネスに一枚噛みたいのだろう。

 どんな思想や志を掲げようと関係ない。

 リーレニカは軽蔑の眼差しで返した。


「それは、フランジェリエッタの店を潰したからですか?」


 核心を突かれ、空気を読んだかのようにレコーダーが故障した。

 ジャズが止まる。

 室内は静寂に包まれた。

 居心地の悪い空気が張り詰める。


 やがてしらばっくれるように、ミゲルは口を開いた。


「……はっ。何言ってんのかわかんねえな」

「店だけじゃ飽き足らず、彼女が一生懸命育てた花を踏みにじっておきながら、よく平気な顔をしていられますね……。あなた、それでも技術屋なのですか?」


 珍しくリーレニカの声に感情が滲む。

 正直、彼女自身驚いていた。

 生態型デバイスから感情を剥ぎ取られる日々を重ねているのに、未だ怒りの感情が芽生え、朽ちずにいるのだから。

 普段感情の薄い、事務的な会話しかしなかったリーレニカの変化。普段見せない姿に、ミゲルも面食らっている。


「……へ、へ。人形みたいな面してたてめぇが説教か。偉くなったもんだな。だいたい、あの店じゃお前はただのスタッフだろ? つまり商売敵だ――邪魔するならつまみ出すが」


 屈強な黒服の男が二人、リーレニカを挟むように立っている。


「――クズが」

「何か言ったか?」

「あなたは自ら商人の矜恃を捨てた。力で捩じ伏せる事が正しいと誤解してるから、スカルデュラ家にも見透かされるのよ」

「……お前こそ、女だからって殴られないと勘違いしてないか?」


 ミゲルの意思と同調するように、黒服はリーレニカの肩を強く掴む。

 彼のやり口は想像がつく。大勢の屈強な暴力組織を束ね、気に入らない相手を黙らせて来たのだろう。

 だが、彼女は眉ひとつ動かさない。


「離しなさい」


 視線はミゲルから離さず、黒服へ向けて警告する。

 黒服は力を入れた手に違和感を感じたのか、隣の仲間へ顔を向ける。

 阿呆のように目を見開く男の顔は、こう言っているようだった。

 ――


「聞こえなかったのですか? 獲物を持てなくなる前にその手を退けろと言ったのです」


    

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