生前葬
「受かった……」
届いたばかりの封筒を破って一枚の紙を取り出す。たったそれだけの作業にここまで時間をかけるのは、これが最初で最後になるだろう。
震えながら取り出した厚紙の一番上には【合格】という文字がひときわ存在感を放って印刷されていた。それを見た私は十八年間育ててくれた親がひく程大きな声を玄関で出したらしいが、残念ながら私は覚えていない。望まない三文字を受け取ること三回。ようやく受け取った二文字の通知を喜ばずして一体何を喜べというのか。
その日の夕飯が私の嫌いなキムチ鍋から、好物である豚の角煮に変化したことはよく覚えている。一時間前に行ったスーパーへ、再び笑顔で足を運んだ母によって、私の大学合格は瞬く間に田舎の小さな町に知れ渡ったことだろう。実際、次の日コンビニに行ったら友達のお母さんから「良かったね」と言ってもらえたし。
閑話休題。大学に合格したという事実は通過点に過ぎない。合格したことにより、私は友人達とかねてより計画していた企画を実行する資格を手に入れたことになった。本題はそれだ。
◇
「はぁ⁉ 燃やせないかもしれない⁉」
これを聞いたら親の最高記録を更新するのではないかという声量で私は目の前の幼馴染に怒鳴った。怒鳴られた幼馴染――誠一はうるさいと言わんばかりに耳に手を当てて首を振る。私の隣にいた同じく幼馴染の文乃と綾香も耳を抑えているので、正直申し訳なかったと思う。
「仕方ねぇだろ。最近は近所がうるさくてさ……寺といえど、なんでも燃やして変な匂いさせてると苦情が来るんだよ」
「そこら中で野焼きしてるド田舎の住人が何け、今更」
「俺もそれは思う。まあ、主に苦情が来るのは最近できた集合住宅のあたりなんだけどさ」
「新参がデカい顔で伝統にケチつけて。嫌なら引っ越してくんな」
「なーん、美穂子。野焼きはともかく私達がやろうとしてることは別に伝統じゃないちゃ」
文乃の的確なツッコミに私は口を閉じた。ムッと眉間に皺を寄せていると、誠一は無遠慮に私の肩に手をおく。
「そんな気落ちすんなって。俺が親父に相談して最高の代替案を用意してやったからさ」
「代替案?」
自信満々で「ちょっと待ってろ」と言った誠一が持ってきたのは、バーベキューに使うコンロだった。ところどころ煤がついていたり、歪んでいる青色の金属の塊は年季を感じさせる風貌だ。
「もしかして……それで燃やすの?」
「おう。これなら最悪『焼き芋してまーす』とか言って誤魔化せるだろ?」
「うん、確かに」
「誤魔化せるかな?」
心配そうな綾香を文乃と誠一が間に挟んで「大丈夫よ」「平気だって」とそそのかしている様子は、さながら悪魔の囁きにしか見えない。流石に可哀想だったので、私は燃やすために持ってきた教科書を丸めて悪魔たちの頭を叩いた。
「綾香が怯えてんでしょ」
「ごめんごめん」
「それで、俺の超ナイスアイデアを超えるものを誰か提案できんのか?」
「……」
「……」
「……」
「よし、決定!」
沈黙する私達を前にして、誠一は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。せっかくの思い出に残る行事になると思ったのに、結果は焼き芋か。まぁ苦情のせいで親にバレたら怒られるから仕方ないけど、微妙に萎えるなぁ。
そんな私をよそに「倉庫から炭と着火剤も取ってくる」と言って誠一は立ち去った。彼を待つ間、私達は縁側に座りながら庭の梅の木を眺める。
「この梅も見納めやね」
「ねぇねぇ、焼き芋するなら芋買ってこないとだよね」
「なんなん、それは誤魔化すためのやつだから」
「ええ、もういっそ本当に芋も焼いたら一石二鳥じゃん」
渋い顔をする文乃の肩を揺らしながら綾香がそう言う。それを見ていると、急にあのホクホクする甘い黄色が頭を埋め尽くした。この時期はスーパーの入り口で焦げた匂いをさせているが、私は石焼より家の石油ストーブで焼いたものが一番おいしいと思う。
「……私も食べたい」
「じゃあ、買ってこられま。この近くに大阪屋あったやろ」
「よっしゃ! 誠一に自転車借りてくるね」
勝手知ってたる誠一の家の中を走って倉庫に向かうと、重そうな箱を出している背中を叩く。驚いて飛び上がった後ろ姿に「自転車借りるね」と言い残して走っていくと、何か後ろの方から怒鳴り声が聞こえた。無視だ、無視。
「借りていいって。綾香、行こう」
「え、でも一台しかないよね?」
「私が乗ってきたのあるから貸してあげっちゃ。その代わり、私のサツマイモも買ってきてな」
「結局欲しいんじゃん」
文乃が投げた自転車の鍵をキャッチして玄関に向かうと、丁度おばさんが箒で掃除をしているところだった。
「お邪魔してます」
「あらあら、二人とも帰るの?」
「なーん、ちょっと大阪屋に買い物に」
「あ、じゃあお醤油買ってきてもらっていいかしら。今日丁度安売りなのよ」
お金渡すからと言い残して、おばさんは家の中に引っ込んでいった。自転車のサドルを調整しながら待っていると、エコバックと財布を持ったおばさんが駆け足で出てくる。
「おつりで好きなもの買っていいからね」
そう言って野口さんを渡してくれたおばさんに揃ってお礼を言う。芋買って、二リットルのジュースくらいは行けるかな。ラッキー。
颯爽と綾香を先頭にして自転車をこぎ出すと、暦の上では春だと言っても未だ冷たい風が頬に刺さった。確か今日は一〇度も行かないはずだ。雪がところどころ道に脇に残っている様子は、見ているだけで体感温度が下がる。
「寒いね」
「このクソ寒い中をスカートで毎日登校してた自分達、超偉いよね」
「分かる。思わず親の通勤に便乗させてもらうのも仕方なしだよね」
「いや、綾香は『思わず』って頻度じゃなかったじゃん……」
綾香の着ているダッフルコートの裾と短い髪が風になびく。砂利道なので気をつけなければハンドルを取られるが、その光景から何故か目が離せなくなった。
「綾香さ」
「うん」
「髪切ったのってイメチェン?」
「まぁね……本当は染めたかったけど、自宅通学やし……」
暗に親がうるさいと込められたその言い方に私は苦笑しながら片手で自分の茶髪を撫でた。カラーとカットで一万円以上が飛ぶと知ってから、ドラッグストアの染料コーナーで大量の箱と睨めっこしたのはつい一昨日だ。
ブリーチをかけ終わって、金髪になった私を見た父親なんて、泡吹いて倒れるんじゃないかって様子だったしな……現実には十秒ほど硬直したあと怒鳴られたんだけど。
「文乃ちゃんはピアス開けたいって言ってたね」
「ああ、言ってた。私は怖いからピアスは嫌なんだよね……」
「そんなこと言って、夏休み帰ってきたら開いてるんでしょう」
こーんなところまで、と言いながら耳のてっぺんを指さす綾香に私は苦笑する。そんなのテレビの中の不良くらいしか見たことない。
話しているうちに野菜がたくさん描かれたお馴染みの看板が見えてきた。ここまでザ・スーパーマーケットと言わんばかりのロゴは古今東西探してもそうそう無いだろう。いや、ここ以外のスーパーなんかアルビスかサンショウくらいしか知らないんだけど。引っ越したらこれも見納めかと思うと、写真の一枚でも欲しくなる。
かじかむ手で自転車を停め、スーパーの中に入ると、ひやりと独特の感覚が体を包んだ。
「まずはサツマイモね」
「袋で四本入りだから丁度いいね」
「めっちゃ高いな……これお醤油買ったら四〇〇円くらいしか残らないかも」
「ジュースか……ポテチ大袋とか買う?」
「芋に芋を重ねていくスタイル、嫌いじゃない」
「そんなつもりは……」
籠に芋をいれると、一気に重みが増した。調味料コーナーに行くと【広告の品!】と銘打たれた醤油が山のように積まれていたので、それも入れる。更に重い。
「えっと、じゃあポテチね」
「それはもういいから! ジュース二種類くらい買おう!」
綾香が私のマフラーを掴んで強引に引きずっていく。地味に首が締まっているが、顔を赤らめている綾香が可愛いので良しとしよう。
「コーラと午後ティーにしておく?」
「炭酸好きな人いたっけ?」
「誠一くらいじゃないかな」
「じゃあ、クーのオレンジにしておこう」
「賛成」
日本は民主主義なので、多数派に寄らせてもらう。脳内で炭酸を一気飲みする楽しさを力説する誠一を追い出してからレジに向かった。あ、ポイントカード貰ってくるの忘れてた。今日三倍デーなのに。
私が心の中でおばさんに謝っていると、当たり前のような顔をして綾香が自分のカードを置いた。
「ちゃっかりしてるわ……」
「三倍デーは見逃せないわね」
誠一の家に戻ると、玄関先で掃除を再開していたおばさんにお醤油を渡した。笑顔で喜んでくれるのだから、おつかいのしがいもあるというものだ。私の親なんかお釣りの一円だって見逃してくれないのに。
庭先では既に火が起こされていた。パチパチと音をたてながら燃えている炭に手を翳している文乃と誠一は、こちらが来たのに気づいて一斉に手を挙げる。
「遅かったな」
「アンタ、自転車の空気入れてなかったでしょ」
「あ、一ヶ月くらい入れてねぇわ」
「馬鹿」
「アルミホイル借りてきたからさっさと焼こう」
「情緒ないな……」
文乃は呆れた顔をしながらも、綾香の手から芋とアルミホイルを受け取った。みんなで手分けして芋を炭の中に封印し終えると、何故だかその場に沈黙が流れる。
先ほどまでが空元気だったかのように黙りこくって火を見つめていると、誠一が頭を掻きながら口を開いた。
「じゃあ、始めるか……俺たちの葬式」
◇
生前葬とは、本人がまだ生存しているうちに本人の意思で行われるお葬式のことだ。本来なら「自分が元気なうちに友人達にお礼を言いたい」や「子供たちに迷惑をかけないように自分の死後のことを処理しておきたい」など、所謂〝終活〟の一種として扱われる。
しかし、私達は一八歳で、輝かしい未来が待っているはずの若者。残念ながら終活より就活の方が現実的だ。
だから、私達が行うのはただの儀式。学校を出ていくのに卒業式を行うように、この田舎を飛び出すための前準備。
そして新しい自分になる日。
◇
「じゃあ、まず各自持ってきたものを出して」
誠一に促されて、私達はそれぞれの鞄から今日のために選んできた自分の依り代になるものを取り出した。
私は教科書だ。中学から苦手だった歴史関連……高校の日本史の教科書及び資料集一式。高校生になってからは公民に逃げたかったのに、高校の方針で日本史はやらされた。無駄なまでにマーカーや付箋だらけのそれは、多分得意科目の現国よりも思い出深いものだ。そのマーカーすべて覚えていたら、四人の中で一番遅く進退が決まることもなかったのに、くそ、藤原家め。
「……綾香、それ正気?」
自分の思い出よりも目を引いたのは、綾香の取り出した高校の制服だった。セーラー服にプリーツスカート、ハクタイまで揃っているのを抱えて綾香は首を傾げる。
「ダメ?」
「ダメに決まっとっちゃ!」
横にいた文乃に頭をはたかれて綾香は「ええ……」と切なげな声をあげる。その様子を見ていると、なんだか神妙になっていたのが馬鹿らしくなってきて私は噴き出した。
「うわ、汚ねぇな」
「うるさいわね……綾香、流石に全部はダメだから、ハクタイだけにしとかれ」
「ううん、仕方ないか……」
「てか、思い切ったことするなぁ……」
文乃が腕を組んで「逆に感心するわ」と頷いた。それに対して綾香は頬を掻きながら照れたように笑う。
「いや、学生時代を忘れるにはやっぱり制服かなって。私嫌いだったし」
「そういやそうだったね。寒い日もスカートとか最悪って裏起毛のタイツ履いてきてたっけ」
「そうそう。セーラー服ってブレザーと違って胸元も開いてるしね。本当に雪国の人間が着ること考えてるの? って感じで」
「まあ、セーラー服って元々水兵さんの服装だし……暑いところ向けなんじゃない?」
鞄に制服を仕舞いなおしている綾香から、何も取り出していない様子の文乃に視線を移す。
「文乃は?」
「これ」
彼女が差し出したのは、手のひらに収まるサイズのキーホルダーだった。黒ずんだウサギのマスコットがついたそれは、文乃が家の鍵につけていたものだ。
「私が小学生になったときに初めて鍵を持たされて……その時にお母さんが作ってくれたの。私が富山に置いていくとしたら、鍵っ子だったことかなって」
そう言ってキーホルダーを見つめる文乃はどこか寂しそうだった。
文乃の両親はどちらも学校の先生だ。部活をするようになってからはあまり気にならなくなったが、昔から放課後の文乃は家で独りでいる姿が当たり前だった。一緒に遊んでいても、私達はほどほどの時間で帰らなくてはならない。私達を玄関先で見送る時も、彼女は今と同じ顔をしていた気がする。
黙って頭を撫でると、文乃はキョトンとした顔で私を見た。
「いや、なんか優しくしなきゃいけない気がして」
「何それ気持ち悪い」
「辛辣!」
心配した私の優しさを何だと思ってるんだこの女は!
不貞腐れて教科書を丸めていると「やめなさい」と怒られた。私は教科書にあたるのをやめて標的を誠一に向ける。
「誠一は?」
「俺? もう要らないから合格鉛筆」
「なんて罰当たりな」
「教科書燃やすオマエに言われたくねぇよ」
学年の先生たちが「わざわざ太宰府天満宮で祈祷してもらったんだぞ」と言いながらセンター試験前に渡してきた五角形の鉛筆は、もう半分もない長さだ。私は使うのが勿体なくて新品のまま筆箱の中で眠っている。
「だってもう受験なんかないじゃん」
「就職は?」
「合格って感じではないわね」
「だろ? じゃあ燃やしていいよ。受験戦争を勝ち抜いた証」
「証って言うと残しておくものの感じじゃない?」
文乃の言葉に「細かいことはいいんだよ」と言いながらあっさり誠一は鉛筆を炭の中に投げ入れた。その様子に思わず三人が声を揃えて叫ぶ。
「アンタね! 情緒ってもんはないの⁉」
「情緒って……だってこれ、俺の葬式なんだろ」
誠一はあっけらかんと笑った。
「俺はしんみりより、盛大に派手に、そして後引かない感じで見送られたいんだよ」
「……」
女子たちは顔を見合わせた。そして、じっと自分の手元を見つめる。
タイミングを図るような気まずい時間が流れた後、勢いよく手の中のものを投げ込んだのは綾香だった。
この生前葬を提案してきたのは綾香だった。白線流しをしている映画を見て、何か節目となることがしたくなったらしい。
綾香自身は一人娘を遠くにやりたくないという親の方針で富山大学に進学する。だから、環境が大きく変わることはない。だからこそ気持ちの上での区切りが欲しいという彼女の願いを、私達は笑うことはしなかった。
それに続くように文乃のウサギが放物線を描き、最後に私は蓋をするように教科書を炭の上に置いた。教科書に飛んだ火種に焼かれ、少しずつ教科書の表面が黒くなっていく。表面の加工のせいか、ぶ厚さのせいか、文乃のウサギに比べて私の教科書は長くその存在を主張していた。
誰からともなく、バーベキューコンロから離れて縁側に並んで座った。私達にとってはここから見る光景は幼稚園児の頃から見てきたものだ。一緒に梅干しを漬けたし、あのコンロを本来の目的で使用したこともある。肉ばかり食べる私と誠一はよく叱られていた。
しかし、こうして全員揃って会えるのは最後かもしれない。
「……そろそろ焼き芋出来たかな」
「え、今そういう場面だった?」
「……綾香らしいよ、本当に」
全員、力が抜けたように笑った。綾香だけは何事か分からない様子で目をパチパチしている。
「私はお盆には帰ってくるからね」
文乃がそう言うと、続くように誠一が「俺も寺が忙しい時期だから大学生になったら檀家回り手伝えって言われててさ」と面倒くさそうな声を出す。
「じゃあ、次はお盆だね。美穂子の家の西瓜で西瓜割りだ」
「私も当然のように返ってくる流れなのね」
「え、帰ってこんの?」
「そりゃ、分からんちゃ。彼氏ができるかもしれんし、バイトがあるかもしれんし」
「なーん、ないない」
「前者は特にない」
「まったくだ」
「やかましい!」
私の怒鳴り声に合わせる様に、コンロの中で大きく炭の山が崩れる。一気に上がる黒煙が低い空を薄っすら染めた。
三月某日、こうして私は十八年間の私を送り出した。
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