16 ストマック・”ジルス”・グラックス(2)

 今はエリによって阿鼻叫喚の嵐と化した道場での授業をなんとか終え、次の貴族社会術の授業に向かう途中

 だ。



 貴族社会術とは、貴族社会の掟とマナーについて学ぶ学問だ。


 具体的には貴族がどうやって他の貴族とコミュニケーションを取るのか。パーティーや公的な場においてのマナーと処世術だ。


 貴族学校らしい術目と言えるだろう。



「エ、エリちゃん?」

 アデレードが困惑しながらエリに聞く。


「ムフ、ムフ、ムフフフフフフ〜」

 エリはお花畑を舞う蝶々のように道をデレッデレな笑顔で歩く。


「エリ?ちゃんと前見て歩けよ?」

 俺は娘を心配する父の如くエリに声を掛ける。


「ムフフフフッフ〜」


 これは・・・完全にトリップされている。アウトだ。


「カイくんは私のもの〜♪」

「か、勘違いされそうだからやめろよ?ちゃんと歩けよ?」

「分かってる分かってる〜」


 まあ大丈夫か・・・。


 にしてもこの愛をはたしてこの先受け止めきれるのだろうか・・・。


「おい!お前がブラッドリーだな?」

 俺達が貴族学校内にある川に架かる学園のシンボル、ノベル橋を渡ろうとした時、ガラの悪い上級生に声をかけられた。


 不純なオーラだ。腐った肉の匂いがしてきそうだな。

 大体14歳ぐらいか。エメラルドグリーンの髪で、オフィスツーブロックって言うんだっけ。

 つり上がった目は、いかにも悪役の風情を醸し出している。


 前世のヤーさんとかマフィアみたいだな。

 周りにも取り巻きがたくさん・・・って、ゲオルグがいるじゃないか。


 ははあ。ゲオルグも取り込まれたか。というか元々その派閥やらの一族なのかもしれないな。


「カイ様、ご機嫌麗しゅう」

 ゲオルグが前の態度をかなぐり捨てて俺に挨拶をしてくる。


「おいおい、なんでそんな殊勝な挨拶をしているんだこんなクズ風情に?」

 笑顔でそいつは俺に毒を吐く。


「まあそうですよね。いくら領主だとはいえ、こんな学校の設備を入学して早々ぶち壊す輩に遠慮なんていらなかったですよね」

 ゲオルグがニチャニチャ笑いを取り戻す。


 そうだゲオルグ。その笑顔だよ。そっちの方がお前らしいぜ。まったく、気持ち悪すぎて吐き気がしそう。


「ですよね?トマーゾ・バッカス・ヘルデバルダ様」


 トマーゾは俺とエリのことを舐め回すように見やる。


 後ろで殺気を放つ存在に気づかずに。



 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼



 バタンと閉じた自室に取り残された俺は深い思慮に頭を巡らせていた。


 なぜ、アラステアは俺に後継者を設定したのだろうか。

 占いか?はたまた人間の姿の俺が関係しているのか?


 龍族は人間の姿をしている時は老化の時間が人間と同じになるが、人間の姿と態度が成熟する時、即ち29歳になるとその成長も停止する。


 なぜ他の兄弟ではなく俺に?


 多分それはカイ・ティルス・ブラッドリーとやらと一緒に学び舎で学ばなければならないからだろうが・・・。


 学友として学ぶには俺が適齢期であることに相違はないが、別に俺が一緒に学ぶべきことはない。この世の学問は網羅したはずだしな。


 そう思った時、ある考えが浮かんだ。


 もしや父は寿命が近いのではないか?



 龍の寿命は2000年きっかり。殺されない限りは必ず2000年生きる。2000年より前で死ぬことも無ければ、2000年より多く生きることもない。


 龍はとても記憶力の良い生物だ。


 俺も基本見たもの、聞いたことはすべて覚えている。


 父が産まれたのは前英雄歴50年と本人の口から直接聞いたことがある。


 英雄歴というのは2000年周期の暦で、伝説上の言い伝えで、2000年に一度、自然界からの転生者が完全な魂のまま、救世主として誕生することから名付けられた。


 今は英雄歴36年。つまり父は俺の記憶が正しければ14年後に死ぬことになる。俺が58歳になる頃だ。



 実は龍にも長がいる。


 本人の口からは聞いたことがないが(そもそもアラステアに会ったのも初めてだし)、恐らく龍の長はアラステアの弟、エーベルハルト・ジルス・グラックスだ。


 龍の長は龍神と呼ばれ、天候、気象、海流をすべて司る能力を持つ。


 龍は創造神の使。よって創造神は自然界と冥界のどちらにも龍神をおいたのだという


 そもそも創造神ってなんだよって思ったのは内緒だが。


 ここ、冥界の龍神がなぜエーベルハルトであるのか俺が知っているのかというと、一回俺の元をエーベルハルトが訪れたからだ。


「ほう。これが兄さんの子供か・・・」


 俺のドアから入ってそう言うと、なんとその後に俺の部屋の小窓からよいしょよいしょと飛び出し、人間の姿のまま空を歩いて帰っていったのだ。


 その後、近くの召使に聞いたところ、あれがエーベルハルトだという。


 母以外の初めての肉親と会ったのでもっと話しておきたかったと後悔したものだが、まあ彼が龍神で間違いないだろう。


 天候や風を操れないといくら龍とはいえ人間の姿で空は飛べない。



 脱線したが、龍神であるエーベルハルトには子供がいない。


 龍神は子供を作ることが出来ない呪いにかかるらしい。


 それは昔、自然界の方の龍神が恋愛にうつつを抜かして仕事をおろそかにしたため、怒った創造神が龍神と恋人を引き剥がしたことに由来する。


 そんなことで子どものいないエーベルハルトは、俺の兄を養子にとったのでは無いのだろうか。


 そうすると全て辻褄が合う。


 龍族は皆、自分の子供は三人までだ。それが呪いが原因なのかはわからない。


 姉さんは俺に会いに来たことがある。エーベルハルトが俺のところに来た後を追いかけるようにだ。

 もっとも俺にエーベルハルトの安否を聞いた後すぐに旅立っていったのだが。


 ということで俺の兄弟は残り一人。


 俺に弟がいるとは到底思えないから、いるとすれば兄だろう。


 ガチャ


 考えていると、おもむろにドアが開いてアラステアが入ってきた。


「言い忘れていたことがある」

「なんでしょう」

 アラステアは真剣な顔をして話す。


「都で、バッカス家のヘルデバルダとルードル家のホーリーファウンドの者に会ったら躊躇なく私の名前を使いなさい。それと、もう一つのジルス家に会った時は仲良くしなさい。それは龍神の家系。俺の弟の家だ。そして息子の方は養子に入ったお前の弟、ダータックだ」


「な、なぜ?」

 俺は困り果てる。


 ど、どういうことだ。いくら俺でも呪いのことは知っている。迂闊に名前は出せないはずなのに・・・。

 それに俺に双子の弟だって?冗談じゃない。龍は卵から産まれる生きものだろうが!


 困惑する俺を横目に、アラステアは続ける。


「まず、バッカスとルードルは、私とある契約を結んでおり、私は恨まれている。あいつらに必ず弱みを見せるな。容赦なく私の名前を出し、脅せ。お前が「アラステア父さん」と口に出したら私が直々にそっちに向かう呪文をタイトン貴族学校に入学する前に掛ける。活用するように」


 なるほど。”龍の契約”か。


 龍の契約とは、絶対に裏切ることの出来ない硬い契約だ。破った者は魂が悪魔へと引き渡される。

 大方父さんとの勝負に敗れたのだろう。


 そしてその契約を解除できるのはアラステアの子供だけ。よって父さんの契約を俺は自由に破棄できる。


 いくら父さんが嫌いでも、それが俺の身を滅ぼすことぐらいは予想ができる。大人しくしたがっておくとしよう。


「次に、お前の弟だ。誕生日は6年違い。お母さんが同時に産んだ卵だ。珍しく二個も卵を産んだお前のお母さんだが、実はもうこの世にいない。よってお前を養育したのは俺の後妻だ。ここで詫びさせてほしい」


 ふーん。まあどうでもいいことだ。母さんは俺を本物の子どものように育成してくれたからな。


「わかりました」


「よし、よろしく頼むぞ、我が息子よ」


 そういって今度こそアラステアは俺の前から出ていった。



 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼



「ですよね?トマーゾ・バッカス・ヘルデバルダ様」

 あの忌々しいゲオルグはカイを未だに敵視しているようだ。


「な、なによ!カイくんになんか文句あるってんの?」

「「そうよそうよ!」」


 女性陣の怒りを聞きつつ、俺は考える。


 ふむ、、あのトマーゾとやら、バッカスと言ったか。あのバッカス・ヘルデバルダか。ちょうどいい。いっそ、やるか。


「スキル・”幻惑の糸”」

 俺は確実に俺の術式の範囲内に収めるため、ゲオルグと話すバッカスを糸に閉じ込める。


「な!貴様あ!スキル”縮――」

「それはもう見た」


 俺のやりたいことを察したのかはわからないが、一瞬で間合いを縮めたカイがゲオルグの鳩尾に拳を叩き込む。


「グハッ」


 ゲオルグが蹲る。


 流石はカイだ。お陰で手間が省けた。


「龍魔法陣展開。”龍の小部屋リトルドラゴンルーム”」

 俺がそう言い放つと、糸に包まれたトマーゾが龍族専用の魔法陣に乗せられ、連れて行かれた。俺もそれに続く。



 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼



 漆黒の部屋で周りを見渡すトマーゾが俺を見つける。実に滑稽だ。カイを侮辱したツケ、当然取ってもらうぞ。


「やあトマーゾくん。ご機嫌はどうだい?」

 俺はありのままの姿に変身して、トマーゾに語りかける。


「だ、誰だお前は!」

 俺の姿を見たトマーゾが俺に尋ねる。


 さながら子猫のようで、非常に滑稽。


 調子を良くした俺は続ける。

「俺?俺はストマックと言う名前だ」


「ストマック、ストマック・・・。お、お前、まさかあのカイとやらのクズの後ろにいた黒髪か?」


 カイに失礼なこと言ってんじゃねえよ。


「訂正しろ。何がクズだ」


 俺は一瞬でトマーゾの後ろに立ち、言う。


 この部屋の位置情報は全て俺の手のひらの上だ。


「ヒ、ヒイ!」

「訂正しろ」

 俺は追撃する。


「く、クソ!助けてくれ!”龍の天敵ドラゴンスレイヤー”!」


 するとトマーゾの前で術式が展開される。


 召喚魔法陣だ。


 これはいけない。ドラゴンスレイヤーか。


 ドラゴンスレイヤーは、堕天使ルシファーを神として崇める宗教の信者の総称で、目的はルシファーと面会すること。


 そのため龍を殺す依頼を受けることを生業としている集団だ。


 恐らく”龍の天敵”というトリガーを引くことで術を展開させ、俺を捕らえるなりして”龍の契約”を解除させるためにコイツの父が持たせた護身術だろう。


「はじめましてストマック様。もとい、”黒の後継者ヘヤーオブブラック”様。私のお名前はアオイ・ヨナミネ。失礼ですが、お命頂戴いたします」


 ふむ、尋常ではない魔力量だ。殺されるかもな。俺よりも魔力量は下だが、強さも上やもしれん。


 だが、そっちがその気ならこっちにも策がある。


「どうします? ”アラステア父さん”」

 俺は明後日の方向を向いて言った。


「何を虚空に聞いておられるのですか?お体の心配をなさった方がよろしいかと」


 そう言われたので体を見ると無数の針と切り傷にまみれていた。


 翼からは骨が見えている。


「ガハッ」


 これは強いな。一気に体の9割もの魔力を使用したのか。

 俺の防御と身体強化をも上回る魔力をほんの一時だけ開放したのか。


 クソッ・・・。こんな簡単にやられるとは・・・。


「そ、そちは何者だ」


 俺は聞く。


「うーん。まあもうどうせ貴方はあと少しの命ですしいいでしょう。私は異世界人です。南のカオフルムン帝国が悩まされていた魔王の軍勢を退けるために勇者として召喚され、魔王を殺害したのですが、私も元の世界に残してきたものがあります。」


 ほう、異世界人か。初めてみたな。


「もう一回転移して元の世界に戻るために、堕天使ルシファー様からいただける力を使えることを知ったので、面会のために貴方を殺すということに至った次第です。まあ安らかにお眠りください」


 言い終わるとアオイは後ろを向き、トマーゾに話しかける。

「坊っちゃん。怪我は?」

「ああ、すこし擦りむいた程度だ。痛い。治してくれないか・・・?その体で?」

「一貴婦人にそのようなことを申すなどバッカスの名が廃りますわ。それに私にその気はありませんよ。」

「うっ・・・クソ・・・俺はあの邪竜に言う事がある!」


 そう言ってトマーゾは俺の方に向き直って言う。

「邪竜風情を助けるのは癪に触るが、「お前が契約解除」と言ってくれたら命    ☆助けてあげても良いんだけどなー?☆」


 一回死にかけたとは思えない不遜な態度でトマーゾは言う。


「まあ想定外だったよね〜いじめようと思った奴がまさかオルタン一の大貴族で、こーんなに強い助っ人を呼ぶことができるなんてさ」


「まあそうでしょう。自分の許容範囲外を超える魔力を一気に叩き込まれたのですから・・・心中大察しします」


 そして神妙になったアオイも続ける。


 あー。くっそおもしれえ。


「ああ、びっくりするぐらいだな」


「なに?」「なんですって?」


 俺は勝ち誇って、言う。


「龍は己より弱いものには必ず負けない呪いがある」


「ハッ。そんなことは知っている。このアオイ殿がお前より強いから、それを言うなら「龍は己より強い者出会ったら必ず殺される」じゃないか?」

「お戯れを」


 そうして2人はその舐め腐った態度を崩さない。愚かな。


 俺は背中にヒシヒシと感じる怒りを浴びながら、嗤う。

「アオイと言ったか?最期に良い残すことはあるか?」

「はあ?」


「お前は俺に安らかに眠れと言ったな。それはお前だ。そうでしょ?父さん」



「ああ、アオイとやら、お前はこの私が責任を持って始末する。」

 そういって現れた黒龍は、俺とアオイの間に立ちふさがる。


 初めて俺のために現れてくれた父親に対して隠せない喜びを顕にして、俺は父に語りかける。


「やっと来てくれたんですか!ずいぶんと遅かったですね」

「ああ、すまんな。遅れた。学校も元気そうにやっていて何よりだ」


 まあ、ホントに元気にやっていたらこんな初対面の人をここに連れ込むことにはなってないと思うんだけど・・・。


 自嘲する俺を見て、心なしか笑った父さんはアオイとトマーゾに向き直る。


「「あ、貴方は?」」



「私の名前はアラステア。そこのストマックの父親だ。息子を傷づけた奴は何人たりとも許さん」

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