第六話   断罪のスケルツォ Ⅰ

 やっぱり俺は死んだ方がいいかもしれない。

「ちょっとあんた、何してんの!?」

 耳に届いたのは、二日ぶりに聞く日向の声だった。

「ああ……。世話になったな」

「ふざけんな!」

 俺の自宅であるところの、古びた洋館。無駄に広いこの建物なら、首を吊り放題である。

「一回しかできないだろ!」

「いやそういう意味じゃなくて」

「とにかくその手に持ったロープをこっちへ寄越して! 早く!」

 掴みかかってきた日向を押しのけるだけの力も残っていなかった俺は、なされるがままにロープを奪われる。

「あんた本当バカじゃないの!?」

「バカだよ」

「知ってるよ!」

「……」

 二階の廊下で修羅場を繰り広げた俺達であったが、その後日向に連れられ、俺は寝室に収監された。

「――つまりこの数日間で、翡翠館高校吹奏楽部は会合で晒し上げられ、美月は喘息の発作に見舞われ、理事長先生は緊急入院して黒星さんも事故に遭ったと。極めつけに玲香のフルートは壊れちゃったって訳ね」

 ……もう本当に死にたい。

「それだけじゃねえよ。絵理子は辞めるとか言ってるし、お前だって消えるとか言い始めただろ。プレストは謎の臨時休業だし、台風のせいで練習も減った」

 ぼそぼそと供述する俺を、日向は複雑そうな目で見つめている。

 ――時刻は夜の八時を回っていた。外では、ただでさえ老朽化の進んだこの洋館を痛めつけるような荒々しい雨風が続いている。

 数時間前のショッキングな事件を引き起こした俺を責め立てるように、屋内でも轟々と風の音が響く。

 玲香の件だけじゃない。並べてみれば一目瞭然だが、見事に俺の知り合いが次々と不幸に見舞われているのだ。

「少なくとも台風は関係無いでしょ。それにあたしや絵理子先生は不慮のアクシデントとは違うし」

 日向が冷静に指摘した。

 だが俺にとって、彼女の言葉はなんの気休めにもならない。

「美月や京祐は? 玲香に至っては完全に俺のせいだろうが!」

 事ここに及んで日向に八つ当たりをしている俺は、救いようの無いクズだ。

「だからって死ぬことはないでしょうが。どうしていつもはイライラするくらいまどろっこしいのに、絶望的な決断だけはメーターが振り切れる勢いで高速なの?」

 そんなの、絶望的な状況だからに決まっているだろう。

 玲香の楽器は、数カ所のキーが完全に外れてしまったのだ。急いで楽器店に電話したものの、応答したのは定休日を告げるアナウンスだった。とことんタイミングが悪い。ただ、もし修理の依頼ができたとしても、県大会の本番までに間に合うかは微妙だった。

 また、京祐は今朝運転中に後続車両から突っ込まれたらしい。加害者は典型的な脇見運転だったらしく、鞭打ちと打撲を負った京祐はしばらく絶対安静の状態とのことだ。骨折などの大怪我を負わなかったのは不幸中の幸いだが、こちらも県大会の前に練習指導を行うのは無理そうだ。

「玲香、楽器どうするの?」

「……明日、俺の楽器を持っていく。玲香さえ良ければ、とりあえず使ってもらうことにするよ」

 厳密に言えば俺のではなく父の遺品の一つなのだが、細かい話はどうでもいい。

「あんたさ。全然絶望的なんかじゃないじゃん。ふざけてんの?」

 日向は心底見損なったと言わんばかりに呆れた目をしている。

「病院組は命まで取られた訳じゃないし、玲香の実力なら楽器が変わったって大丈夫でしょ」

「なんでそんな楽天的なんだよ。じゃあ指揮者の件は? いろいろ起こり過ぎて、まだみんなに伝えられてすらいないんだぞ」

「それはあんたに勇気がなかったからじゃん」

「簡単に言うんじゃねえよ!」

「じゃあこのままメソメソ引きこもって、状況が良くなるって言うの!? 意味わかんないんだけど!」

「引きこもってた方が、これ以上のトラブルを回避できるかも――」

 日向と泥沼の応酬を繰り広げていると、突然腰のあたりに激痛が走る。

「……痛ってえな」

 苦悶の表情を浮かべる俺の額には脂汗が滲んだ。

「ち、ちょっと、大丈夫……?」

 さすがの日向も心配している。

「やっぱり、これは呪いなんだ」

「……」

 患部を擦りながら、俺は小さく呟いた。

 そこは言わずもがなかつて刺された場所だ。

 きっと、十年間も大人しくしてたことで弱まっていただけなのだ。こうして再び他人と関われば、最初から決まっていたことのように災厄が発生する。

 何故このタイミングなんだろう。

 もう少しだけ待ってくれてもいいじゃないか。

 部員達がようやく認められようとしているのに。

 彼らはただひたすらに音楽が好きなだけなのに。

「どうして、今なんだ……」

 古傷が疼き続けるのを無視して、俺は固く拳を握った。爪が皮膚に食い込む感覚も、もはや無かった。

 瞳からは勝手に涙が流れる。悔しさや悲しさがそうさせるのか、はたまた罪悪感や劣等感が駆り立てるのか、俺にはもう何もわからない。

「なあ、いったい俺が何をしたって言うんだよ」

「……」

「こんな人間がまだのうのうと生きていてもいい理由を、教えてくれよ……」

「……」

 暗黒の象徴みたいなセリフを太陽のような少女である日向に浴びせるという行為は、禁忌を侵しているとしか表現できないほど邪悪であった。もし再び彼女のワンピースが漆黒に染まることがあれば、それはきっと俺の存在が原因に決まっている。成仏しかけている日向を地縛霊たらしめているのが、俺という男なのだ。

「お前が最初に言ったことが、やっぱり正しかったんじゃないか」

「……なんの話?」

「半年前の吹奏楽部の惨状も、楓花やお前の事故も、諸悪の根源は俺だったってことだろ」

「それはあんたを焚きつけるための方便だってば」

「じゃあ今の状況はどう説明するんだ?」

「だから、まだ絶望的な状況なんかじゃないって――」

「この後もっとひどくなるに決まってるだろうが!」

 俺と日向の会話は全く噛み合わない。それはそうだ。俺は問題が起きたこと自体に目を向けていて、日向は起きてしまった問題をどう乗り越えようかと考えているのだから。どちらがまともな思考をしているかなど、問うまでもない。

 だが、まともである日向ですらどこか悔しそうに下を向いてしまった。

 コンクールの地区大会が終わって、二週間足らず。

 たったそれだけの時間で、俺はまた組織を潰してしまったのだ。

 皮肉にも、智枝が玲香へ言った通りになった。死神は災厄をもたらす、と。

 ――心なしか、外の雨が弱まってきたような気がする。室内にまで響いていた暴風も収まりつつあった。それでも、しばらく無言を貫く俺と日向にとって気まぐれな雨風の音は耳障りであった。

 これまで散々爆音を鳴らしてきたコンポが、今はひっそりとオブジェのように佇んでいる。その横に置かれた時計を見ると、ちょうど九時を過ぎた頃だった。まだ就寝していない者の方が多いだろうと推定した俺は、ポケットからスマホを取り出して文章を入力し、部員宛に一斉送信する。

 内容は至極シンプルだ。『明日は集合次第ミーティングを行う』という、たったそれだけ。

 珍しく、考えるよりも行動が先になった。

 ただ、ぐちゃぐちゃに乱れた頭ではあれこれ思考するなどできるはずも無い。

 ミーティングの内容を検討し始めた瞬間、俺は逃げるように眠りに就いた。

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