まともに働いたことも無い俺が「公私混同はしない」などと偉そうに言ったところで皆に鼻で笑われるのだろうが、少なくとも練習に励む部員を前にして集中力が切れた姿を見せる訳にはいかない。しかし、絵理子から楓花の件を告げられて数日経つものの、その事実は依然として俺の脳内を支配している。日向から聞いている話を思い返すことで、なんとか自我を保っているような状態だ。

 日向が現世に顕現する直前、楓花が彼女に俺を頼れと言ったこと。そして、音楽に触れている間は俺の周囲で不幸が起こらないだろうという日向の希望的観測。そんな脆く儚い虚像のような事象に縋る他ない俺は、かつての吹奏楽部のサウンドだけでなく吹奏楽部そのものを復活させる大役を担う者とは思えぬほど、脆弱な男であった。

「あんた、リアルでトロッコ問題にぶち当たった人みたいな雰囲気を出すの、やめてくれない?」

 日向は失踪した訳でもなく、あの日絵理子の話を聞いた数刻後には何事も無かったかのように再び姿を現した。そして今も、講堂にこもって譜読みをする俺に向かって理解不能な難癖をつけている。

「それは思い詰めているっていう意味合いの喩えか?」

「うん」

 それなら最初からそう言って欲しい。

 俺は楓花の件を絵理子から聞いたことについて、まだ日向には話せていない。

「まあ、いろいろあるんだよ」

「はあ?」

 自分でもいい加減過ぎると思いながら返事をしたので、日向が納得するはずも無い。

「あんた、練習とは関係無いことで頭がいっぱいなんでしょ」

 ……なぜわかるのか。

「そんな状態で良いサウンドが作れるの? 火加減を確認せずに調理するシェフと同じだよ」

 時折ピンポイントな比喩を用いられるので、俺としてはぐうの音も出ない。

「もう今週末にはイベントでしょ? 何を考えているか知らないけど、早く正気に戻ってよ」

 お前のことを考えているんだよ、とは言いづらい。セリフが気持ち悪過ぎる。

「――あたしのこと考えているんでしょ?」

 いとも簡単に気持ち悪い思考を暴かれた。

「お前それ、捉えようによっては犯罪だぞ」

「絵理子先生から聞いた」

「なっ……」

 誤魔化した俺に向かって、日向は真剣な口調で呟いた。

「お姉ちゃんのこと教えてもらったんでしょ? あんたって本当にわかりやすいよね」

 何もかもお見通しだ。どう切り出すべきか悩んでいた俺は、ただの典型的なコミュニケーション障害だった。

「……楓花が俺に関わろうとしてあんなことになったんだって聞いたら、やっぱり俺が全部原因なんじゃないかって思って」

「ふうん。で?」

「いや、そう考えたら俺の存在は災厄以外の何物でもないだろ。俺なんか放っておけば、楓花は今頃お前の先生だったかもしれないんだぞ」

「そうだね」

「それに吹奏楽部だって。もしあいつが顧問で絵理子が副顧問なら、黄金期の復活だって夢じゃなかっただろうし」

「そうだね」

「お前だって死ななかったかもしれない」

「うん」

「そんなことを知ったら俺が死にたくなるだろ!」

 俺はいよいよ絶叫した。罪の重さに押し潰されそうだ。

「なんで最終的に被害者面なの?」

「いや、そういうつもりはねえけど……」

 じっとりとした日向の視線を受け止めることすらできない俺は、惨めさに体を震わせる。

「あんたに協力をお願いした日のこと、覚えてる?」

 日向は静かに問い掛けた。

「絵理子と会った日のことだよな? 覚えてるよ」

 プレストで絵理子が俺達をほったらかして帰った後の話だろう。

「あの時は、あんたを焚きつけるためにいろいろ言ったけどさ。吹奏楽部に起こるいろんな出来事が全部あんたのせいだって、証拠なんか何も無いんだよ」

 日向は俺が諸悪の根源だという説を提唱し、俺もその負い目を感じて協力を決意した経緯がある。だが、日向が言うようにその説は推論でしかない。

「だからお姉ちゃんのことも、一方的にあんたへ罪をなすりつけようなんて思ってない。まあ、絵理子先生は思いっきりあんたに責任を負わせてるけど」

 日向が何を言いたいのかわからず困惑していると、彼女はふっと一息吐いてから再び口を開いた。

「見舞いへ行けって言ったことに、とくに深い意味は無いよ。ここまで順調に進んでるんだから、報告くらいして欲しいって思っただけ。まさかそんな些細なことからあんたが闇堕ちするなんて考えてなかったし」

 闇堕ちまでした覚えは無いが、集中して音楽と向き合えていないのは事実である。

「結局、あんたが言った通り『かもしれない』の域を出ないんだよ。本当にあんたが原因なのか突き止める方法は無いの。だからそんなに思い詰めないでよ」

「いや、そもそもお前が言い始めたことだし……」

 俺の女々しい反論に、日向の瞳から光が消える。

「あんたのせいであたしが死んだって本気で思ってるなら、とっくにあんたを呪い殺してるよ。たしかにあんたは変な体質を持ってる。でもお姉ちゃんはそんなあんたを頼ろうとした。事故の前だけじゃなく、あたしがこの姿になる直前も。これがどういうことかわかる?」

 唐突な質問に俺は狼狽した。何か言葉を捻り出そうとしても、意味を成す解答になるとは到底思えなかった。

「……お姉ちゃんは、あんたのせいだなんてこれっぽっちも思ってないってことだよ」

 日向が寂しそうに答えを告げる。

「絵理子先生は極端だけど、あたしだって少なからずあんたが悪いんじゃないかって思っちゃう時もあるよ。だけど、いちばんつらいはずのお姉ちゃんが全然そんなふうに考えてないんだから、あたしがあんたを恨んでも仕方無いじゃん」

 俺は二の句が継げない。

「だから、とにかく今はやるべきことにちゃんと向き合ってくれない? もう地区大会まで二ヶ月半くらいしかないんだよ? あたしは黙って見ていることしかできないんだから、あんたがしっかりしないと」

 日向の言うことはもっともだ。一番悔しい思いをしているのは楓花だろうし、同じくらい日向も歯がゆい気持ちなのだ。

「……わかった」

 力無く頷いた俺を、日向は心配そうに見つめている。

「とにかく今は、譜読みをしないとな……」

 作り笑いを浮かべながら、俺は手元のスコアに視線を落とした。

 六月の合同演奏会で披露する予定の『メリー・ウィドウ』である。コンクールの前哨戦に、本番で演奏する『幻想交響曲』を持ち込みたくないという理由で選んだ楽曲だが、純粋にバンドの練習曲としても相応ふさわしいと思い選曲した。とくに三年生は、今や暗澹とした雰囲気で楽曲を演奏することは無くなったものの、依然として表現力が乏しい。淑乃や芽衣などは、なんでもかんでも難しい曲を演奏したがるが、グレードの低い曲で練習することにも意味がある。下級生が加わったばかりの現状ではなおさらだ。技術的な難度が低い分、音程やリズム、メロディーの歌い方に意識を割ける。

 この「意識を割く」という行為は、他者の音を聞くということを意味する。それこそがアンサンブルの根底になくてはならないものだと、俺は思っている。奏者同士の意識の共有により、バンドの一体感が生まれるのだ。メトロノームに合わせて楽譜通りに発音するだけなら、わざわざ人間がしなくたって機械でもできる。

 ――そう真面目に考えて選曲をしたにも関わらず、指揮者の俺が心ここにあらずでは全くの無意味だ。

 そんなことはわかっているのだが、俺の目はただただ楽譜に書かれた音符をなぞっていくだけであった。

 ふとした拍子に「あの子達にも何かあったらと思うと」という絵理子の言葉が脳内を巡る。俺が吹奏楽部に関わることを決めた時、「犠牲者が出ても仕方無い」くらいに考えていたことを同時に思い出して、自らの無責任さに反吐が出そうになる。

 楓花は死にかけて、日向は死んでしまった。何か事が起きてからでは取り返しがつかない。日向が一生懸命俺に発破をかけてくれることは感謝してもしきれないが、その言葉で割り切れるほど簡単な問題ではないのだ。

 結局、集中しようと思えば思うほど雑念に囚われた俺は、その後の合奏練習でも明らかに挙動不審であった。ただでさえ『メリー・ウィドウ』の初合奏だったというのに、指揮者がゴミクズではまともな演奏になるはずも無い。キューの出し忘れどころではなく、単純に拍子を振り間違えることもあったのだから、文化祭のクラス合唱を指揮する素人の生徒の方がよっぽど纏まりそうである。

 部員達の中には、普段であればギリギリの時間まで居残り練習をする者がいるのだが、俺のただ事では無い様子に萎縮したのか、今日は早々に撤収してしまった。俺も肩を落としながら音楽準備室へ向かう。もともとネガティブで日陰が似合う俺のような男が、どうしてこの一ヶ月間は気丈に振る舞えたのか、自問自答する始末であった。

「ん?」

 真っ暗な廊下に、一箇所だけ光が差している。確認するまでもなくそれは音楽準備室から漏れるもので、俺はどこかデジャヴに感じながら入口の扉を開く。魂が抜けたような状態なので、きっと俺が消し忘れてしまったのだろうが――。

「あの!」

「ぎゃああああ!!」

 室内の景色が視界に入るよりも先に、俺と同じくらいの身長の男が突然立ち塞がった。情けないことに、俺は腰を抜かして尻餅をつく。

「……そんなに驚きます?」

 呆れた目で俺を見下ろす男子生徒――村崎董弥むらさきとうやが困ったように呟く。

「暗殺されるかと思ったんだが」

「後ろめたいことがあるからそんな考えになるんでしょう」

 悪びれもせず、彼は俺に右手を差し出した。素直にその手を掴んで立ち上がる。

「用は済んだか? もう帰りなさい」

 どう取り繕っても醜態を晒した事実は変わらないが、俺はあしらうように言い放ちデスクへと向かう。

「あなたを驚かすのが用事だったら、大成功なんですけどね」

 苦笑しながら平然と俺の後に続く彼を見て嫌気が差した。

「どうしても聞きたいことがあって、待っていたんです」

 アップライトピアノの椅子に腰掛けながら、董弥はそう切り出した。先月入部した新入生である彼は、「村崎」という名字からもわかるように、生徒指揮者の淑乃の弟である。この弟は比較的穏健派というか、姉のように物騒な物言いをしているところを聞いたことが無い。

 そもそも淑乃が異常だと言われればそれまでだし、入部したての彼のことをよく知らないだけで、実は彼も血気盛んな男なのかもしれないが。

 ただ、思い返してみれば不思議なことに、この姉弟が一緒にいるところを見た記憶が無い。彼のパートがユーフォニウムということもあるだろうが、お互いどこか他人行儀な様子であった印象だ。

「聞きたいこと?」

「はい」

 真剣な眼差しを向ける董弥を無碍にもできず、俺は仕方無く彼に向き直った。

「そんなに改まって、なんだ?」

「秋村さんは、どうして『メリー・ウィドウ』を選んだんですか?」

 てっきり音楽的な指導を請われるのかと思っていた俺は面食らう。

「どうしてって……。まあ、いろいろ考えた結果だよ」

「楽曲に思い入れがある訳ではないんですか?」

「個人的に好きな楽曲だけど、それ以上に何かがある訳じゃないかな」

「じゃあ、やめましょう!」

「……は?」

「あの曲、やめときましょう」

 意味がわからない。

「お前な、パート譜を配って練習を始めているのに、今さら簡単に変えられる訳無いだろ」

「それなら、あんな嫌そうに指揮を振らないでくださいよ」

 いきなり核心を突かれた俺は狼狽した。まさか合奏練習直後に、それも一年生から糾弾されるとは思いもしていなかった。

「……それは、本当にごめん」

 私情を持ち込んだ俺に弁解の余地など無い。謝罪をすると、意外にも董弥は関心が薄そうな顔で俺を見つめた。

「まあ、秋村さんはどうでもいいんですけど」

「え」

「問題は姉さんです」

 淑乃?

「あなた以上に、露骨に嫌そうな顔をして吹いているのを秋村さんは見過ごすんですか?」

「……」

 正直、見過ごすというより見逃している。自分がどれだけ集中力を欠いていたのか思い知らされる。

「はあ……」

 しどろもどろの俺を見て、董弥は落胆した様子でため息を吐いた。

「秋村さんから見て、姉さんってどんな生徒ですか?」

 掴み所の無い質問が飛んできた。

「情熱のある子だと思うよ」

「身内だからって遠慮しなくていいです。いつも不機嫌だし口は悪いし乱暴じゃないですか」

「否定はしないが……。お前らって仲が悪いのか?」

「悪いどころじゃありませんね。そもそも他人だし」

「他人?」

「戸籍上は姉弟ですけど、血は繋がってません」

 ――とんでもなくヘビーな事実を、董弥はさらりと告白した。

「具体的には、姉は父の実の娘ではなく、俺は母の実の息子ではありません」

 いきなりなぞなぞみたいなことを言い出した董弥だが、その瞳があまりに真剣なので茶化す雰囲気にもならない。

「……つまり、お前らの両親はお互いが再婚ってことか?」

 ややこしい関係性を頭の中で整理し、最初に浮かんだ可能性を口にすると、董弥は黙って頷いた。

「俺達の家族の方は、母親が勝手に男を作って出て行ったってだけなんですけど、姉さんの方は父親に先立たれてしまったみたいで」

 董弥側の事情も、「だけ」と言って流すような軽い話とは思えないが、たしかに淑乃と比べればマシかもしれない。とはいえ、そもそも比べるようなことではないというか、「大病を患うか大怪我を負うか」みたいな話なのでどのみち救いは無い。

「でも、新たな家族として再出発したなら、少なからず前向きなことなんじゃないか?」

「今の姉さんを見て、本気でそう思うんですか?」

「……思いません」

 少しでも雰囲気を明るくしようとした俺のセリフは、あまりにあっさりと切って捨てられた。深く考えるまでもなく理解できることだ。董弥が語ったことを踏まえれば、淑乃がいつも不機嫌そうにしていることも、姉弟同士が他人行儀な様子であることも納得できる。

「ちなみに、『メリー・ウィドウ』をやるって決まったとき、姉さんはどんな様子でしたか?」

 董弥は先ほどから、どうもこの楽曲にこだわっているようである。

「もともと『喜歌劇もの』が嫌だって言ってたから、ふて腐れていたな。でも、とくに文句を言う訳ではなかったし、暴れることもなかったけど」

「そうですか……」

 董弥は右手を顎に添えて、少し思案する。

「……いったいどういうことなんだ? 話が見えないんだが」

「秋村さんは、『メリー・ウィドウ』って見たことあります?」

「オペレッタのことを言っているのか?」

「はい」

「父親が指揮した舞台の録画を見たことならあるけど」

 董弥は少し驚いたように目を見開いた。

「羨ましいですね。でも、それならこのオペレッタがどういう話か知っているでしょう?」

 もちろんだ。老富豪である夫に先立たれた女性と、その女性が相続した莫大な遺産を巡る喜劇である。

「『陽気な未亡人メリー・ウィドウ』……。このタイトルの時点で、姉が不機嫌になるのも無理はないと思いませんか」

「まあ、たしかに……」

 このオペレッタが初演されたのは二十世紀初めのパリだ。時代や場所だけでなく、倫理観や社会通念さえ違うのだから、現代の目線であれこれ評価するのは無粋極まりない。ただ実際淑乃の母は「未亡人」な訳で、当事者である母娘からすれば、「陽気な」などという緊張感の欠片も無い形容動詞がついたこの舞台を快く受け入れづらいことは想像できる。

「なんとなく言いたいことはわかったが、だからと言って楽曲を変える訳にはいかない。パート譜を配ってから、もう一週間以上経つんだぞ?」

 俺自身が練習に私情を持ち込んでいる時点で、淑乃のことを責める資格などありはしない。しかし、彼女一人の事情を考慮して楽曲を変更するだけの余裕も無い。合奏練習の翌日に「やっぱりやめます」などと指示すれば、混乱は避けられない。

「……まあ、そうですよね」

 案外すんなりと、董弥は俺の言葉を呑んだ。やはり似ていない姉弟だ。もし淑乃なら絶対に食い下がっていた場面である。

「秋村さんの方がヘビーな生い立ちなのに、甘えたことを言ってすいません」

「その謝罪は、まるで意味がわからないからやめろ」

「だってそもそも秋村さんはご両親がいないんでしょう? 片親でも、いるだけマシかなと思って」

 思想は自由だが、こんなタイミングで吐露しないで欲しい。

「俺のことは気にするな。お前の倍近く生きてるんだ。もう慣れてる」

 俺のセリフを聞いて、董弥は寂しげに笑みを浮かべる。「倍近く生きていても密度はたいして変わりませんよ」みたいなことを言わないだけ、この男は他の連中に比べて心が綺麗だと思った。

「わかりました。姉さんが文句を言わなかったというのが事実なら、俺からはもう『やめましょう』とは言いません。ただ……」

 視線を逸らした董弥が気まずそうに口ごもる。

「ただ?」

「来月の合同演奏会……。このままだと失敗しますよ? 姉さんだけでなく、秋村さんも不調の様子なので……」

 つい先ほど「秋村さんはどうでもいい」と言っていた気がするのだが、突っ込むのも野暮なので受け流す。そんなことよりも、失敗するという予言の方が物騒だ。予言をしたのが一年生であることも不穏である。

 つまり端から見た俺という男は、自分自身が認識する以上に病んでいるということなのだろう。

「忠告ありがとう。それから、言いづらいことだろうにいろいろと教えてくれて感謝するよ」

「いえ、お礼なんていりません」

 虫も殺せないような穏やかな表情に戻った董弥が、さっぱりと返答する。

「俺から淑乃に、何かフォローをした方が良いのか?」

「……どうでしょう? 逆効果だと思うので、あまりおすすめはしませんね」

「そうか……」

 正直、淑乃へ気を回す余裕があるのかと問われれば微妙なのだが、この姉弟を放置しておくと後々大きな災いとなって降りかかりそうな予感がする。

「まあ、曲目変更については期待していなかったのでいいです」

「ん?」

 突如として、董弥の纏う雰囲気が明らかに変わった。これまでの会話が茶番だとでも言うように、彼の目つきが怪しく光る。

「実はもう一つお願いがあって」

 不敵に笑う彼を前に、今しがた感じた災いの気配が増幅していく。

「ダメだ。もうとっくに撤収時間は過ぎてるんだ。早く帰りなさい」

 慌てて董弥を叱ったが、彼は全く動じない。

「姉さんは、生徒指揮者なんですよね?」

「そんなこと、聞くまでもないだろ」

「基礎合奏も見ないし、楽曲も指揮しないのに?」

「……」

「そもそも練習中まともに会話もしないし、雰囲気も悪くするのに?」

 それに関しては大多数の三年生が該当すると思うのだが。

「何が言いたいんだ?」

 痺れを切らして俺が問うと、彼の口元がにやりと歪む。

「俺に生徒指揮者をやらせてもらえませんか」

 自信満々な様子で、彼はそう提案した。

 ひどい目眩がして、俺はついデスクの上へ肘をついて頭を抱える。

「お願いします。少なくとも姉さんよりは――」

「帰れ」

「秋村さん――」

「いい加減にしろっ!」

 俺が怒鳴ると、さすがに董弥も口を噤む。

「廃部を免れて、ようやくまともに活動できるようになったんだ。頼むからもう厄介なことを起こさないでくれ」

 絞り出すように諭すと、彼はまだ何か言いたげな顔をしながらため息を吐いた。

「そう言う割には、ここ数日のあなたや姉さんは全然楽しそうに見えませんけど」

 嫌味にしか聞こえないセリフだけ残し、彼は扉へと向かう。

「もう一度言っておきます。このままだと、来月の演奏会は失敗しますよ」

 追い討ちをかけるように忠告すると、彼は静かに退室した。

 行き場のないストレスに襲われた俺は、右手の拳で思いきり机を叩いた。そんなことをしても、なんの意味も無いというのに。

 無茶苦茶なことを言った董弥に対する怒りはそれほど無い。

 俺は自分自身が許せないのだ。

 本番で失敗する、と言った彼を否定するどころか、図星を突かれて情けなく動揺している自分が、たまらなく許せなかった。

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