第三章 月虹 ―― con brio

 ゴールデンウィーク直前の金曜日。俺は久しぶりにプレストを訪れていた。

「いやあ、演奏を聞きに来いと呼びつけられたのはいいんですが、まさかその後すっかり音沙汰が無くなるとは思いませんでしたねえ」

「……すいません」

 入店早々、マスターはちくちくと嫌味を言ってきた。勧誘活動に必死だったので、のんびりお茶をする時間も無かったのだということを察して欲しい。

 俺は先日の校長室での一幕を説明した。廃部を免れたことや、次の目標がコンクール地区大会の突破であることを伝えると、マスターはカップを磨く手を止めて俺の目を見つめる。

「結果的に活動が続けられるなら良かったですけどね。もし『ダメでした』と報告されたら、危うくあなたを出入り禁止にするところでしたよ」

「なんでそこまでするんですか」

 今日も今日とて客は俺一人だ。昼休みに学校を抜けてきたのだが、ランチ営業中とは思えない静けさである。貴重な客をそう簡単に出禁にしていいのだろうか。

 立夏が近づき、日中は汗ばむ陽気である。俺はストローでアイスコーヒーを吸いながら、マスターの背後の壁に貼られたメニューを眺める。たいして食欲は無いが、少しでも売上に貢献しようと思いホットサンドを注文した。

「ところで、一年生は今回の件を知って入部してくれたんですか?」

 食パンの耳をカットしながら、マスターが嫌なところをつついてくる。

「……いえ、新体制となった日に、いろいろ説明しました」

 日向が亡くなってからの半年と、部の存続が懸っていたこの一ヶ月。その間にあったことや、俺の素性に至るまでの全てを、一年生だけでなく二年生にも開示した。幸運にも一年生は全員中学時代からの吹奏楽経験者であり、部活紹介や講堂でのコンサートを聞いて入部を決意してくれたようだ。俺の説明に戸惑いを見せたものの、受け入れてくれたのは非常に助かった。

「それ、場合によっては告知義務違反で退部されてもおかしくなかったのでは?」

「……あの、マスターって吹奏楽部のファンって言ってませんでしたっけ」

「そうですね」

「じゃあ陰湿な質問責めはやめてくださいよ!」

「そんなつもりはないですよ、ははは」

 口と一緒に手も動かしている器用なマスターに、いつもの空笑いで流される。ハムとチーズの焼ける良い匂いがしてきた。

「実際、申し訳無いとは思いましたけど……。入部の都度、それぞれの生徒に説明するのは非効率ですし、説明して入部を取りやめられるのも怖かったので。勧誘期間中なら、簡単に他の部活へ鞍替えできますからね」

 もっともらしく言ったが、結局いつかは説明するのだから、退部されるかどうかは賭けであった。

「お待たせしました」

 目の前に、丸く白いプレートに乗ったホットサンドが現れる。

「いただきます」

 早速かぶりつくと、焼けた小麦の香りが心地良く鼻を擽った。後から追いかけてくるチーズのまろかやな風味が食欲をそそるし、厚めに切られたハムの塩気も絶妙だ。

「めちゃくちゃ美味しいです」

「それは良かった」

 ほんのわずかな時間で調理器具を片付けたマスターは、再びカップを磨き始めた。この手際の良さや、店内の落ち着いた雰囲気。そして提供される品の味。どれも全く問題無いのに閑古鳥が鳴いているのは、立地と宣伝が問題なのだろう。

「三年生達の様子はどうなんですか?」

「相変わらず音楽しか興味無いっていう感じですけど、人並みの理性と常識の範疇で行動してくれていますよ。二年生のリーダーが間に入ってくれるおかげで、ぎこちないながらではありますけどなんとかやれてます」

「二年生……もしかして汐田先生の?」

「ええ。最初は一番厄介かと思いましたが、助かりますよ」

 部の存続の決め手となったのは、美月が二年生を説得してくれたことである。彼女にとって萌波との一件は相当刺激になったらしく、時にはコミュニケーション能力の低い先輩達に発破をかけることすらあるので、人間の変わりようというのは侮れない。練習中に萌波とベタベタするのはやめてもらいたいが。

「ところで、入学式の日の演奏、どうでした?」

 今さらではあるが質問すると、マスターの手元がピタリと止まる。

「そうですねえ……。なんだかとっても懐かしかったです」

 その柔らかな微笑みから、嘘偽りなどは全く感じられない。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」

 マスターがかつてのサウンドを知っているからこそ、懐かしいという形容詞は最高の褒め言葉に聞こえた。

「今後はどうされるつもりですか?」

「まずはコンクールの楽曲を決めないといけませんね……。昨年の定期演奏会が中止になってから、部員達はまともにステージに立ってないですから、なるべく舞台も経験させたいです」

「そうですか。もしコンサートなどが決まったら、また教えてください」

「ええ、もちろん」

 あっという間にプレートの上は綺麗になった。そろそろお暇しようと、ポケットから財布を取り出す。

「あとは、あの方だけですね」

 何気ないマスターの言葉に、小銭入れを探る俺の指が止まる。

「あの方?」

「狭川先生です」

「ああ……」

 たしかに絵理子に関しては、いまだに冷戦状態というか、一向に雪解けの気配が無い。むしろ吹奏楽部の存続が決まってからというもの、会話すらしていない。時折、彼女は講堂に現れて練習の様子を窺っているのだが、ぼうっと眺めているだけなので不気味である。もちろん新入生には絵理子のことも説明してあるのだが、俺よりもよっぽど不審者に見えるので正直言って扱いに困る。ヒステリックに敵対していた時の方が生き生きしていたようにさえ思う。今の絵理子は、刃がついていない日本刀というか、弾切れの拳銃といった感じだ。

「殺傷能力があるよりはいいんじゃないですか」

 俺の喩えに対して、マスターは苦笑しながら指摘した。

「まあ、歩く銃刀法違反みたいな女ですからね……」

「彼女がどうしてそうなってしまったのか、ご存知無いんですか?」

「知っていたら苦労しませんよ……」

 少なくとも、俺が全国大会前に退部したことは恨まれているだろうが、どうもそれだけではないように思うのだ。

「ここにも、しばらく来ていないんですか?」

「ええ」

 俺が出入りし始めたからだとしたら、なんだか申し訳無い。

「三年生の担任なら忙しいでしょうし、今はそっとしておいた方がいいかもしれませんね」

 お代をレジに入れながら、マスターは寂しそうに言った。

「その代わり、あなたはたまには来て下さいね。ははは」

 お釣りを渡す手に力が込められているので、笑顔の裏にも圧を感じてしまう。

「わ、わかりました。あはは……」

 愛想笑いを返し、俺は店を後にする。

 まずは、一刻も早く自由曲を決めなければならない。


 ♭


 放課後の音楽室準備室で考え事をしていると、事前に連絡をしていた数名の三年生が続々と現れ始めた。役員である玲香と優一、そして淑乃。それから、木管楽器と金管楽器のそれぞれのセクションリーダーである璃奈と芽衣。最後に、パーカッションのパートリーダーの紅葉である。誰一人としてノックもせず入室するのだが、それに関してはもう諦めた。

「なんでそんな苦悶の表情なんですか」

 玲香が相変わらず冷たい声で問い掛ける。

「聞くまでもないだろ。ずっとこのメンツで話し合ってるんだから」

 俺の目の前には、何冊ものスコアが広がっている。部の存続が決まってからというもの、毎日のように自由曲の選考会を行っているのだが、難航しているのだ。

「でも、そろそろ決めないと本当にまずいんじゃ……」

 弱々しく璃奈が発言するが、その通りである。

「この三日間、まともに絞ることすらできてないじゃん」

「淑乃が簡単な曲は嫌だって言うからだろ……」

 水を差す淑乃と、即座に反応する優一。

「ねえ、そうやって無駄な喧嘩ばっかりしているから、時間だけが過ぎていくんじゃないの?」

「つまり、妥協しろってこと?」

 おそらく三年生の中で最もまともな紅葉が軌道修正してくれたと思ったら、今度は芽衣が不穏な空気を醸し出す。

「あー、わかったわかった。とりあえずお前ら一回黙れ」

 すぐに実力行使をしようとする三年生達のことだ。穏便な話し合いで解決すると思っていたのが間違いだった。

「まず、今度のコンクールは新入部員も含めて全員で大編成に出る。それに関して異論は無いな?」

 力ずくで議題の整理を始めた俺の問いに、一同は不満そうにしつつも大人しく頷いた。

「じゃあ、次。課題曲は二番にする。これに関しては?」

 全四曲ある課題曲の中で、部活紹介の楽曲と合わせて練習を始めたのは二番と四番だ。いずれもマーチである。二番は癖のないオーソドックスな曲で、演奏時間は三分を切る。四番はよりメロディックで派手だが、やたらトリオ(中間部)が長い。俺としては、二番を無難にこなす方が良いように思える。

「私は四番がいいけど……」

 淑乃が呟いたが、賛同する者はいない。事ここに及んで、たった四曲から選ぶ課題曲に関して、単なる好みを言っている場合ではないことを皆わかっているのだろう。淑乃本人もその点は理解しているので、それ以上何も言わなかった。

「よし、二番で決定な。次に全員が出演する場合の編成だ」

 俺は新入生を追加して更新された部員名簿を取り出す。

「……奇跡的に、おおよそどの曲でも融通が利く」

 嬉しい悲鳴とでも言えば良いのだろうか。そもそも三年生だけでも部活紹介でかつての課題曲が演奏できたこと自体、稀有なことだと思うのだが、後輩達のパートのバランスも全く問題が無かった。

 つまり、俺が言った通りある程度の曲はできてしまう。だから会議が踊っているのだ。

「それでも、後輩達が今から練習をし始めることを考えると、あまりにも難易度が高い曲は無理だ。そういう曲をやる学校は、人数の暴力で聞かせるようなところも多いしな」

 大編成の上限いっぱいに出演しても部員が余るような高校なら、むしろ競争が生まれるので良いのだろう。だが翡翠館は真逆だ。「できませんでした」では困るのだ。

「かと言って、むやみにグレードを下げるのはどうなの?」

 芽衣が冷ややかに指摘する。さすが、部活紹介の楽曲に『深層の祭り』を提案するだけのことはある。ちなみにこの曲は、吹奏楽コンクールの課題曲史上、難易度の高さとしては間違いなく五本の指に入るほどの難曲である。不良ギャルの見た目からは到底想像もつかないが、マゾヒストなのか?

「殺されたいの?」

「何も言ってねえだろ!」

 こんなの会議じゃない。軍議だ。それも戦国時代の。

「……とにかく、このままじゃ埒が明かない」

 俺は昨日夜更けまで考えあぐねて絞り出した結論を告げることにする。

「一番無難に仕上げられるとしたら、やっぱり『喜歌劇もの』だろう」

「まあ、そうでしょうね」

「賛成です」

 あっさりと肯定したのは玲香と優一である。最も立場の高い二人がそう言うのだからこれで決定にしてもらいたいが、そう上手くはいかないのだろう。

「嫌。中学生じゃないんだから」

 案の定、淑乃が顔を背けながら言い放った。

 だが、さすがに俺も我慢の限界である。

「お前、いい加減にしないと軍法会議に掛けるぞ」

「は? どういうこと?」

「生徒指揮者を降りてもらう」

「……えっ」

 あまりの厳罰に、他の部員達も唖然としている。

 俺が提案した「喜歌劇もの」は、その名の通りオペラやミュージカルなどで使用される音楽のハイライトをコンサート用に編曲したものである。緩急のメリハリがはっきりしているし、メロディーもわかりやすい。コンサート用の楽曲ということは演奏時間が適度であるため不自然なカットをする必要も無いし、何より元になるストーリーがあるので全体的にイメージしやすい。

「実際、高校の部でもさんざん全国大会で演奏されているだろ」

 最も有名なのは、やはり『トゥーランドット』だろうか。たしかにグレードの低い楽曲もそれなりに存在するため、淑乃が言うように中学校の自由曲が「喜歌劇もの」だらけになる場合もある。だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

「どちらにせよ、レパートリーとして練習しておくに越したことはないんだ。だから、まずは『喜歌劇もの』から一曲選ぶことにする。これは決定だ」

 コンクールまでの間に行われる最も大きなイベントは、六月に開催予定の合同演奏会である。コンクール地区大会に出場する近隣の中学校と高校が参加し、吹奏楽曲とポップスをそれぞれ披露する演奏会だ。かなり昔からの恒例行事らしく、もちろん学生時代の俺も毎年参加していた。コンクールの前月に開かれるというのは、どう考えても前哨戦なのでなんとも嫌らしい限りである。自由曲を演奏しても良いのだが、そんなバカ正直に他校へ情報開示するのはあまりに無策だ。たいていどの学校も本命以外の楽曲を持ち込むので、我が校としても少なくとも二曲は自由曲候補として取り組みたいところである。

「じゃあ、その『本命』は?」

 先ほどの俺の言葉が堪えたのか、少し落ち込んだ様子の淑乃が発言すると、重たい沈黙が室内を支配した。

 俺としても、高校卒業以後に発表された吹奏楽曲に関しては無知であった。十年分なのでなかなかの量だ。一ヶ月近くにわたり膨大な数の曲を聞いたのだが、卒業前から存在していた楽曲も含めると選択肢は無限にあり、より頭が痛くなったのだ。かつての恩師である芳川先生がどのように選曲していたのか当時聞いてみれば良かったと後悔したが、今さらどうしようも無い。

「……あの」

 静寂を破ったのは、玲香だった。

「秋村さんが全国大会に行った時の自由曲って、なんでしたっけ」

「俺達の代? 『幻想交響曲』の第四楽章だよ。『断頭台への行進曲』だ。俺は全国大会には出てないけど」

「聞いてみたいんですが」

「……別に構わないけど、あの曲はさすがに候補にはならないぞ?」

 単なる興味なのだろうが、聞いたところで有益とは思えない。

「どうしてですか?」

 本気で今年の自由曲の候補にするつもりだったのか、玲香が食い下がる。

「だってあの曲、六分くらいしかないから。俺の代はマーチじゃない課題曲を選んだけど、けっこう演奏時間が長かったんだよ」

 規定では、コンクールに出場する団体の持ち時間は、課題曲と自由曲を合わせて十二分間である。先ほど決定したばかりの今年の課題曲が三分を切ることを考慮すると、もしも『断頭台』を自由曲にしたら大幅に時間が余る。

「……そう、ですか」

 残念そうに玲香は目を伏せた。事実を述べただけだが、憧れの先輩達にあやかりたいという気持ちが表れたのだと思うと、なんとなく申し訳無い気持ちになる。

 ――だが、意外にも話はそこで終わらなかった。

「でも、どうして『断頭台への行進曲』なんですか?」

 優一が何気なく疑問を口にする。

「それを話すと長くなるから、また今度な」

 適当に嘘を吐いた訳ではない。『幻想交響曲』という頭のイカれた大作について語り出したら、練習時間が終わってしまう。

「そう言われると気になるんだけど」

 今度は芽衣だ。

「わがままな奴だな!」

 仕方無く、俺はかなり簡潔に説明を行うことにした。

「『幻想交響曲』ってのは、ある男の恋物語なんだよ。で、第三楽章で憧れた女の子を殺しちゃったから、第四楽章で処刑されるんだ。断頭台っていうのはギロチンのことな」

 正確に言うと俺の説明は誤りなのだが、まあだいたいの雰囲気は合っているはずだ。解説を聞いて、皆は一様に複雑な表情を浮かべている。

「でも、それでおしまいって、なんか後味悪いね」

 璃奈がぽつりと呟いた。

「ん? おしまいじゃないぞ?」

「え?」

 璃奈だけでなく、他の皆も怪訝な顔だ。

「交響曲って、第四楽章で終わりですよね?」

「決まりは無いよ。確かに第四楽章までの曲が多いけど、『幻想交響曲』は第五楽章まで、だ……」

 説明しながら、俺の脳内神経が急速に活発化し始める。

「へえ? ちなみにその第五楽章にもタイトルってあるの?」

 淑乃が質問する。

「ああ。『ワルプルギスの夜の夢』だ」

「ワルプルギス?」

「魔界だよ。処刑された男が飛ばされたんだ。そこには、化け物になってしまった憧れの人もいてな。魔女や魔物達の繰り広げる宴が描かれるんだよ」

「けっこうえげつないんですね……」

 容易にイメージできたのか、若干引き気味の璃奈が呟いた。

「聞いてみるか?」

 俺が問い掛けると、一同は恐る恐る頷いた。怖いもの見たさという奴だろう。

 そして、俺の頭の中ではもっと別の思考が目まぐるしく動き始める。

 第一音楽室の棚の一箇所には、クラシックのCDが保管されている。バロック以前の宗教音楽から近現代の楽曲まで数十枚ある中で、『幻想交響曲』ほどの傑作が収録されていないはずが無い。幸いにも合唱部の練習は休みのようだ。堂々と探せたので、音源はすぐに見つかった。皆も俺の後を追って室内に入る。

 鑑賞用のコンポへディスクを挿入してトラックを合わせると、夜闇に紛れて蠢く魔物達の音楽が始まった。

 そこで俺は、重要なことに気がつく。

 俺達は第四楽章の吹奏楽編曲版を演奏したのだ。冒頭から聞き入っている部員達を尻目に、俺は楽譜が並ぶ棚の中から『幻想交響曲』のスコアを抜き取る。思った通り、ちゃんと第五楽章も保管されていた。

 演奏時間は約十分。スコアを読みながら、編成や演奏可否を検討する。かなり厳しいが、不可能ではない。

「凄い……」

「なんなの、この曲……」

 演奏を聞き終えた一同は放心状態である。

「――これにするか」

 俺が意を決して告げると、全員一斉にこちらを向いた。

「いいんですか?」

 俺が言う前から、皆も同じことを思っていたに違いない。玲香が確認するように尋ねたが、それは俺のセリフである。

「さんざん難易度が高い曲にするのを渋っていた手前、気まずいんだが……。お前らこそ本当にいいんだな?」

 聞くまでもないというように、彼女達の目は輝き始めた。

「もちろん!」

「わあ、やる気が出てきた!」

「スコアがあるってことは、パート譜もあるんですよね!? 早速印刷して配りましょう!」

 まるで水を得た魚のように、皆は俺に目もくれず音楽室を飛び出していく。

「――まさか、その曲になるとはねえ」

 音楽室準備室とつながるドアからこちらを見ていたのは、日向だった。

「いつの間に現れたんだ?」

「みんなが曲に聞き入ってるあたりから」

「そうか」

「これも運命なのかな?」

「……」

 かつての忌まわしい不幸と俺の退部。そして全国大会の屈辱的な結果。長きにわたる低迷の果てに、廃部の危機にまで陥った吹奏楽部。

 全ての始まりであり、翡翠館高校吹奏楽部の魂を刈り取った『断頭台への行進曲』。十年の歳月を経て、その続きを俺が指揮するという奇妙な符合は、運命という言葉で表すには安直であった。

 しかし、単に楽曲を聞いただけで喜んでいる玲香達は、この楽曲の本当の恐ろしさを理解していない。『幻想交響曲』は壮大かつ絢爛なフィナーレを迎えるが、そもそも処刑されて魔界に飛ばされ、意中の人が化け物になっているのだから到底ハッピーエンドとは言えない。それにも関わらず、聞き終えた瞬間に高揚感と幸福感で満たされる。夢の中で繰り広げられる狂乱の宴が、奏者と聴衆に現実では起こりえないほどの興奮を与えるせいで、皆この楽曲の背景などすっかりどうでもよくなってしまうのだ。

 ――つまり、この楽曲は「麻薬」である。

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