「秋村さんのこと、なんとお呼びしたらいいでしょう?」

 不意にそう尋ねてきたのは、俺と一緒に廊下を歩く玲香である。

「そのまま秋村さんでいいよ」

「なんだか先生って感じじゃないんですよね、無職だし」

「てめえ喧嘩売ってんのか」

「マエストロっていうのも全然似合いませんし、何か無いですかね?」

「ねえよ。話を聞けよ」

 ――部活紹介で演奏する楽曲が決定した次の日。問題となっている生徒会への説得に出向いているのだが、何故か玲香もついてきた。彼女は昨日、脅迫じみた言動で生徒会室を犯行現場にしようと画策した首謀者であるので連れていく気は全く無かったが、本人がどうしてもと言うので同行を許したのである。もっとも、たしかに俺一人が乗り込んでも不審人物でしかないので、有用でないと言えば嘘になる。

「昨日聞かせてもらった演奏、かなり刺激になりました。今もみんな練習を放り出して、昔の音源とか録画を視聴していますよ。朝から淑乃が絵理子先生のところに行ってたくさん借りてきたので」

 借りたというか、強盗ではないかと邪推する。おそらく絵理子は機嫌を悪くしているに決まっているので、しばらくは会わない方が良さそうだ。それにしても、しおれた花に水を遣ったような感覚である。よほど三年生達はかつての翡翠館に憧れを持っていたのだろう。

「そんな素晴らしいバンドをぶち壊した俺が指揮を振ることには、文句を言わないのか?」

「言いませんよ。だって昨日の演奏はあなたが指揮したんでしょう? それにあなたの語った過去だって、ただの事故じゃないですか」

 玲香はさっぱりと言ってのけたが、俺にはその淡白さが新鮮だった。

「あなたもずっと一人でいたんでしょう? 音楽室に引きこもっていた私達と一緒です」

 俺はつい足を止めてしまった。

 まだ出会って数日と経っていないのに、俺のこともすっかり見抜かれているようだ。やはり似た者同士なのかもしれない。

「どうしたんですか? 少し歩いただけで疲れたんですか? 無職というか、年金受給者みたいですね」

 どいつもこいつも毒舌過ぎるだろ。

「なあ、絵理子ってどの教科を担当しているんだ?」

「え? 国語ですけど」

 だからか。

「あいつの真似をするのはやめておけよ。お前らが他人と揉めるのは、そのストレートな物言いも原因の一つだろうから」

「はあ……。真似をしているつもりはありませんが」

 玲香は生返事をした。自覚が無いらしい。根暗でコミュニケーションを取るのが苦手なのに、いざ口を開いたらこの有様なのだから、敵を量産するに決まっている。

「とにかく、生徒会には俺から話をしてみる。頼むから大人しくしていてくれよ」

「……」

 返答が無いのは不穏だが、そうこうするうちに生徒会室へ近づいていた。学生時代はあまり印象が無かったものの、場所は当時と変わっていない。白いドアには磨りガラスが嵌まっているので中の様子はわからないが、電気が点灯しているので誰かしらは在室のようだ。

 ノックをしたら「はい」と可愛らしい声が返ってくる。なんだかだいぶ幼く聞こえたのは気のせいだろうか。

「失礼します」

 俺と玲香が入室すると、普通教室の半分程度の広さの部屋に、男女三人の生徒が着席していた。

「OBの秋村です。突然申し訳無い」

 とりあえず名乗ると、三人とも胡散臭そうに俺を眺める。

「狭川先生から聞きました。さすが、あの不良教師のお仲間らしい風貌ですね」

 不良だとバレている絵理子はさておき、かなり小柄な女子生徒が軽口を叩いた。先ほどノックに反応した、生徒会長の会沢輝子あいざわてるこだ。雰囲気はいかにもお嬢様といった感じだが、先に述べた通りこの学校は庶民向けの私立高校なので、なんとなく似合っていない気がする。

「失礼なことを考えていらっしゃいません?」

 どうしてわかるんだ。

「会長、誰ですかこの人?」

 隣に座る副会長の男子生徒が質問する。

「先日から、あの吹奏楽部の面倒を見ているOBの方です」

 いきなりずいぶんな言いようだ。

「どうやら、何か私達にお願いがあって来たみたいですね。まあ、そこにいる楽器吹きが一緒に来ていることで、おおよそどんなお願いかわかりそうなものですけれど」

 輝子は俺の後ろで殺気を放っている玲香をバカにしたように一瞥した。副会長と、その隣の女子生徒(書記だと思う)は困惑して顔を見合わせている。

「話が早くて助かる。俺は吹奏楽部のOBなんだ。君が言った通り、数日前から狭川先生に代わってこいつらの面倒を見ている」

「へえ。物好きですね」

 輝子は口が悪いというより性格が悪いように思える。人を見下したような目をしているのは、偏見かもしれないがお嬢様っぽいことが関係しているのだろうか。

「単刀直入に言う。今度の入学式後の部活紹介で、吹奏楽部にも出番をもらえないだろうか」

 俺が頭を下げると、玲香も渋々といった感じで俺に続く。

 が、返ってきたのは清々しいまでの高笑いだった。

「はははっ! そんな改まって言われなくても、既に知ってますよ。私の父はここの理事なんです。昨日校長から吹奏楽部の話があったって仰ってましたから」

 とんだ茶番じゃないか。道理で偉そうな小娘であるはずだ。こんなのが生徒会長なら、レジスタンスのような吹奏楽部の連中が仲良くできるはずも無い。ジロンド派とジャコバン派みたいなものだ。

 つまり、今回の依頼は並大抵のことでは承認されないだろう。

「ま、いいですよ」

 ……ん?

「何が?」

「はい? 出番が欲しいんでしょう? 別にいいですよ」

 予想外の快諾に、俺と玲香は動揺する。

「だって、どちらにしても新規部員が獲得できなければ解散なんでしょう? あなた方の演奏を聞いて入部したいって思う生徒なんて、いる訳が無いじゃないですか。これで綺麗さっぱり片付くなら、最後の花道くらい用意して差し上げます」

 尊大な態度で輝子は演説を続ける。

「私、ずっと思ってたんです。いくら実質的には謹慎同然とはいえ、こんな迷惑集団が野放しになっていても良いのかって。練習していれば嫌でも音は耳に入るでしょう。対外活動が無いのに練習なんて、騒音でしかないですからね」

 玲香の殺気が強くなる気配を感じるが、輝子が言っていることは正論なので何も言い返せない。

「四月中に部活がなくなってくれるなら、私としても断る理由はありませんしね。花道というより、お葬式になってしまうかしら」

 輝子はまた高笑いをした。昨日試しに合奏した演奏が『猟犬の葬式』になったことを思うと、こちらとしては微塵も笑えないどころか冷や汗が出る。

「配慮してもらってかたじけない」

 俺は一言も反論せず、ただ礼を述べた。玲香は何も言い返さない俺を反抗的な目で見つめているが、大人しくしていろという指示は一応守っているので、そのくらいは大目に見る。

「時間はどのくらいもらえるんだ?」

「まあ、十分程度でしょうね」

 予想通りの回答である。

「順番は?」

「そんなの、最後に決まっているでしょう」

「……わかった」

 最後なんて、おそらく会場である体育館の空気は弛緩しきっているだろう。今回に関しては高揚感や緊張感のあるトップバッターの方がマシだが、楽器や譜面台の準備のことを考えると、急遽出番が決まったのだから順番に文句は言えない。

「最後なんだし、多少のタイムオーバーには目を瞑りましょう。よろしいですか?」

 輝子は、完全に俺達のことを舐めている。本当にこれでおしまいだと思って優越感に浸っているのだろう。

「こちらとしては、生徒会側の条件で構わない。ただ、一つだけ確認しておきたい」

「はあ? まだ何かあるんですか?」

「目標の部員数が獲得できたら、生徒会としても吹奏楽部の活動再開を認めてくれるんだよな」

 当然の確認をすると、輝子はこれ見よがしに噴き出した。

「それができるなら、こんな状況になっていないでしょう? もちろん、そんな奇跡が起きたら認めて差し上げますが」

「わかった。時間を取らせて申し訳無かった。じゃあ、当日はよろしく頼む」

「ええ、こちらこそ」

 輝子の嫌らしい笑みに見送られ、俺達は生徒会室を後にした。

「……よく耐えたな」

 玲香を見ると、血が出そうなほど拳を握りしめていた。

「秋村さんは私達の演奏を炭だと評しましたけど、たぶん灰の方が近いんじゃないですか」

 急になんの話だろうと思ったが、輝子が吹奏楽部に持つ感情がこの学校にいるほぼ全員の総意だとしたら、たしかにそう表現しても間違いではないかもしれない。処分を待つだけの存在、という意味で。

「この悔しさは絶対忘れません。必ず見返してやります」

 玲香は頼もしく宣言した。人を殺しそうな目をしていることについては深く考えないようにする。

「それにしても、生徒会長って本当に高校生なのか? なんだかずいぶん小さかっ――」

「秋村さん。死にたくなかったらそれ以上は言わない方が良いですよ。この学校でその話題は禁句です」

「そ、そうか」

 もはや学校じゃない。

「――ところで」

 俺は音楽室に戻る道すがら、気になっていたことを尋ねた。

「お前らの後輩……今度の二年生ってどんな奴らなんだ?」

「……それを聞いてどうするんですか」

 明らかに不機嫌な様子の玲香を見て、俺は嘆息を漏らす。

「これは俺が勝手に考えていることだし、どう判定されるかもグレーではあるんだが」

 俺が中途半端に思わせぶりなセリフを吐くと、玲香は怪訝な顔をする。

「改まってなんですか?」

「今度の部活勧誘期間中に、部員を二十名獲得する。これが、吹奏楽部が生き残る条件だよな?」

「そうですね」

「新入生を二十名、ではないんだよ」

「は?」

「だから、とにかく二十人集めればいいんだよ。学年は関係なく」

「そんな詐欺師みたいな」

 テロリストに言われる筋合いは無い。

「もちろん、新入生が二十人入部するならそれに越したことはないさ。でも現実問題、吹奏楽部に入りたくて入学してくるような奴はほとんどいないだろ」

 俺の指摘に、玲香は肩を落とした。昨年のコンクールを思い出しているのかもしれない。実績が無いのだから、そもそも部員を集めづらいという点は認めざるを得ないのだ。

「……二年生は、私達についてくることができなかったんです」

 どちらかというと玲香達が無情にも振り落としたのではないかと思うのだが、突っ込まないでおく。

「退部しているんだよな?」

「いえ、退部届は出していなかったと記憶しています」

「ストライキってことか?」

「まあ、その言い方が正しいのでしょうか」

 それだと部員獲得の条件に関してはより一層グレーになってしまうことを懸念したが、ちょうど音楽室に到着した俺はそれ以上の質問を止めた。

「とにかく、演奏はちゃんとしないとな」

 第二音楽室に入ると、先ほど玲香が言った通り部員達は昔の音源を聞いていた。俺は軽く手を叩いて皆の注意を引く。

「イメージは掴めたか? そろそろ合奏練習をしようと思うんだが」

 俺の提案に、副部長の優一が反応する。

「秋村さん。絵理子先生が全国大会の録画は絶対見せたくないって言ってるんですけど」

「……そりゃ、あいつにとってはトラウマなんだろうよ。お前らの去年のコンクールと一緒だ」

「いや、それはわかるんですけど、だからこそ見てみたいというか」

 他の部員も頷いた。しかし、こればかりは俺の力でどうにかできるものでもない。

「俺も全国大会の演奏を聞いたことは無いんだ。もし俺が頼んだら本当に刺し殺されそうだから諦めてくれ」

 今さらだが、当時俺が刺されたことは絵理子も知っている。その上であいつは俺に果物ナイフを突きつけるという凶行に走ったのだから、控えめに言ってサイコパスだ。

「それに、今のお前らには必要無いものだ。全国大会の演奏は絶対にエメラルドなんかじゃないからな」

 出演してもいない俺が言うのは烏滸がましいが、部員達は不承不承といった感じで席に着く。

「玲香と一緒に生徒会へ行ってきた。無事に出演許可をもらうことができたよ」

 おお、と歓声が挙がる。

「だが、出番は一番最後だ。たいていああいう出し物っていうのは、時間の経過に伴ってどんどんダレていく。昨日みたいな演奏をしていたら、きっと誰の印象にも残らないだろう」

 はあ、と皆が肩を落とした。単純な奴らだ。

 すると、突然玲香が立ち上がった。当然、皆の視線が彼女に集中する。

「みんな。さっき生徒会長はなんて言ったと思う? 『あなた達の演奏を聞いて入部しようとする生徒なんていない』って、笑われたよ」

 玲香は導火線に火をつけるように語り掛けた。さながらレジスタンスのリーダーだ。そんなことを暴露したら皆が暴徒化するに決まっているので、頼むから大人しくしていて欲しい。

「は? 何それ。そもそも演奏する機会すら奪っていたくせに!」

 案の定、部員の中で最も血気盛んな淑乃が反応する。

「淑乃、黙って」

 が、意外なことに玲香は彼女を窘めると、一同を見渡した。張本人の淑乃も驚きを隠せない様子で玲香を見つめている。

「もう、認めるしかないんだって思った。秋村さんにだって、散々似たようなことを言われているしね」

 いきなり俺の名前が出てきたので動揺する。標的にされた気分だ。

「昨日、秋村さんに言われたよね。日向がいつも見ていると思えって。日向が喜ぶ演奏は、さっきみんなが聞いていたかつての翡翠館みたいな演奏なんだと思う。あの演奏をしなきゃ、部員なんて集まらない」

 そう言いながら、玲香はこちらを向いて俺の目を見た。

「改めて、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げた玲香に、部員達は呆然としていた。俺もだ。

「あ、ああ。こちらこそよろしく」

 これは俺の勘なのだが、玲香がこのような態度を取ったことはこれまでなかったのではないか。だから皆は驚いて固まったままなのだろう。

「今日は基礎から見てもらえるんでしたよね」

 何事もなかったように、着席した玲香がそう言った。

「……そうだな」

 俺は一息吐いて、譜面台の上の菜箸を持ち上げた。

「玲香が言った通りだ。みんなもしっかり意識して練習に取り組んでくれ」

 困惑しながらも、皆は返事をした。これだけでも成長と言えるだろう。

 ――休憩を挟みながら、一通りの合奏練習が終わった。昨日決めた「もう一曲」に関してもある程度合奏ができたのは、さすがと言ったところだ。

「出演が決まったのはいいとして、本番まであと五日しかない。申し訳無いが毎日練習するつもりだ。それと、今後のことを考えて課題曲も練習していこうと思う」

 休みが無いと言っているにも関わらず、俺が提案すると部員達の目が光った。飢えた狼みたいだ。

「もしコンクールに出るとしたら、マーチが無難だと思ってる」

 今年度の課題曲は、四曲のうち二曲が行進曲マーチだ。絵理子と再会した日に車の中で流れていたものも課題曲だった。三年生の力量であればどの楽曲を選んでも大丈夫そうではあるけれど、新入部員が少なくとも二十人加わるとなると話が変わってくる。ただでさえ自由曲もあるのに、なんの策も無く難度の高い課題曲を選ぶなど自殺行為である。そもそも自由曲は未定だし。

「そうね。マーチでいいと思う」

 生徒指揮者らしく、まずは淑乃が肯定した。

「それと、『コンクールに出るとしたら』じゃなくて、絶対出るんだからね」

 ジトッと睨まれる。言論統制がやたら厳しい。

 時計の針は午後五時を指した。三十手前にもなると時間の流れが昔よりだいぶ早く感じる。十年も無為な毎日を過ごしていたのでなおさらだ。

「七時までは残ってもいいが、必ず時間は守るように」

 最後にそれだけ告げて、俺は合奏練習を終えた。

 音楽準備室に戻ると、椅子に座った日向がぼうっとしていた。

「あ、お疲れ様」

「どうも」

「帰るの?」

「どうせみんな時間ギリギリまでいるだろうから、帰れないよ」

「そ」

 楽譜を鞄に閉まった俺は、そのまま廊下側の出口へ向かう。

「どこ行くの?」

 日向は俺を追いかけながら尋ねてきた。ついてくるつもりだろう。

「この学校ってさ。講堂ってあったよな? ちょっと見てみようと思って」

「講堂……?」

 日向は不思議そうに首を傾げた。

「知らないのか? 俺らがいた頃は、ミニコンサートをよくやっていたんだがな。普段は卓球部とかが練習してたけど」

「卓球部なんて、今無いよ」

「えっ」

 衝撃の事実をさらっと告げられた。たしか卓球部はインターハイに出場した先輩もいたはずなのだが、寂しいにもほどがある。

 日が長くなってきたとはいえ、もともと曇り空であったことも相まって外は薄暗い。翡翠館高校は校庭やプールを持たない代わりにハンドボールコートや柔道場などがあるヘンテコな学校なのだが、敷地の隅には講堂があったと記憶している。

「うわ、ここのことを言ってたの?」

「うわってなんだよ」

 目的の場所に到着した瞬間、日向が聞き捨てならない反応をした。

「だってここ、肝試し会場だもん」

「……なんだって?」

「夏に合宿をする部活がレクレーションで肝試しやるんだけど、ここが目的地なんだよ。なんか気味悪いじゃん、ここ」

 本物の幽霊が言っているのでブラックジョークにしか聞こえないのだが、たしかに道中も校舎の北側を辿って来るので日の光は差さないし、言われてみれば不気味かもしれない。

「今は全く使っていないのか?」

「うん。たぶんね」

 円柱の形状をした講堂は普通教室三部屋ほどの広さがあり、室内競技の運動部にはちょうど良い練習場所だ。音楽室よりもゆとりがあるので、吹奏楽部も合奏練習やコンサートを行う場として利用していたのだ。

 しかし、入口の扉を引いてもびくともしない。

「あんたバカなの?」

 当然、鍵が掛かっている。

「お前、なんとかできないか?」

 日向は不機嫌そうに舌打ちをした。

「仕方無いな……」

 そう言って、日向はするっと扉を通過する。数秒後、中から鍵を開ける音がした。

「どうも」

「いいように使いやがって……」

 悪態を吐く日向を無視し、俺は建物の中へ入る。

「ごほっ、ごほっ!」

 物凄い埃の量に、俺は思わず咽せ返った。

「何年使ってないんだ……」

 呼吸を落ち着かせてから周囲を見渡す。意外なことに、室内はがらんと広がるばかりだった。壁際には文化祭で使うような看板などが置いてあったが、おそらく昔の物がそのまま放置されているだけだろう。

「で、こんなところになんの用なの?」

 入口に佇む日向が聞いてくる。

「いや、第二音楽室って狭いだろ? 代わりに使えないかと思ってさ」

 日向の言い方だと、てっきり倉庫にでもなっていて足の踏み場も無いかと思ったが、ただ遊休化していただけのようだ。

「ここ、地味に音響がいいんだよな。小さいけれど演奏会向きの建物だよ。入学式の後に勧誘コンサートを開くならちょうどいいと思う」

「ふうん?」

 日向の中ではただの肝試し会場でしかないのか、あまり納得していないようだ。

「まあ、勝手には使えないし、入学式までは第二音楽室で練習するけどな。……お?」

 模擬店に使ったであろう看板の横に、大量の布が置いてあった。

「これは使えるな」

「勝手に使えないって言ったばっかじゃん」

「……放置されてるんだからいいだろ」

 三年生達のことを揶揄できないくらい山賊みたいな論理で、俺はいそいそと布の塊を入口の方へ移動させる。

「そんなもの何に使うの?」

「まあ、ちょっとな」

 含みを持たせて答えてから、俺は外に出て扉を閉めた。

「まあ、鍵はいいか。こんなとこ誰も来ないだろ」

「いい訳無いでしょうが」

 日向はもう一度扉の向こう側へすり抜けて、鍵を閉めてくれた。

「すまん、助かった」

 彼女が物理的に現実世界へ干渉できることは、今までスリッパを投げつけたり爆音でコンポを鳴らしたりといった奇行のおかげで知っていたが、こんな芸当まで出来るとは便利なものだ。

「あれ? でもお前、初めて会った時は俺の家の扉をぶっ壊したよな?」

 ふいに思い出したので尋ねてみると、日向はそっぽを向いて口笛を吹いた。

「おい、音が鳴ってねえぞ」

「うるさいな。助けてあげたんだから細かいこと言わないでよ」

「細かくないだろ。今も南京錠なんだぞ。俺の家は蔵じゃねえんだよ」

「あー知らない知らない」

 そのまま日向は駆けて行った。こういうところは年相応、いやもっと幼いかもしれない。

 あっという間に夜の闇が辺りを染める。一人になると途端に心細くなった俺も、日向を追って小走りにその場を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る