NTRスパイラルの怪
「彼女を寝取られたんです……!」
と、開口一番に依頼人は言った。
二十そこそこの青年だった。しかし何日もさめざめと泣いて過ごしているのか、頬はやつれて、髭は伸ばしっぱなしで、歳以上に老けて見えた。
「ふむ、痴情のもつれか」
「それはまぁ……お気の毒さま?」
言いながら二人は、青年の持ってきた写真に目を落とす。
ミネクミコは黒髪ロングで、ナチュラルメイクで、色白の華奢で、優しそうな顔つきで、守ってあげたくなるような見た目をしており――それでいて『なんか悪い男に染まりそう』な雰囲気をビンビンに醸し出している。
「で、キミは一体どうしたいんだい?」
「もちろん、そんなの決まってますよ!」
と、青年は腫れた目を厳つくする。
「クミちゃんは絶対に騙されてるんです!! これを見て下さいこれを!!」
「これは?」
「俺がこっそり撮ってきた寝取り野郎の写真ですよ!! 見て下さいこのツラ!!」
「いやこのツラってアンタ……ってうわっ」
隠し撮りはないでしょ隠し撮りは、とエリカは思いつつも、その写真を一瞥して驚いてしまう。
浅黒く焼けた肌にタトゥーをあちこちに散らした男だった。人相も相応に野性的で、女を食い散らかす『チャラ男』と称しても過言ではない。
「こいつがクミちゃんを……何も知らないクミちゃんを……くぅっ!!」
「えーと、どうするアツコ?」
「まぁ……出来るだけのことはしてみよう。完堕ちしてたらもうどうしようもないが」
「完堕ち言うな」
と――そんなやり取りがあって、彼女達は工業地帯の一角に立っていた。
港近くのシャッター通りで、古い映画で見るようなデトロイトみを感じさせる。
「ここです」
そんな鬱蒼とした街中の、コンテナハウスを前にして青年は言う。
ここが例の男の住処であるようだった。広い敷地には三台の大型二輪が駐車されていて、煙草の吸殻があちこちに散っている。かつて花火か焚火でもしていたのか、焦げ付いた跡のようなものも見える。
「ねぇ大丈夫なの? ヤバげな人なんじゃない?」
「だ、大丈夫ですよ! ガツンと言ってやるんですから!!」
眉を潜めるエリカに、青年は震えた声で言い返す。
「クミちゃんはきっと騙されてるんです!! そうでもなければ『貴方みたいな短小じゃ届くところも届かない。雄として失格の貴方は一人で自分を慰めてね?』なんて酷い台詞を吐くわけがないんですよ!!」
「えぇ……」
「と、とにかくです! い、行きますよ?」
それから深呼吸を一つ挟んで、表札のないコンテナハウスの呼び鈴に手を伸ばす。
ビーッとブザー音のようなインターホンが鳴る。
反応はない。
しばらく待ってもう一度鳴らす。
それでも反応はない。
次はさっきよりも短い頻度で三度鳴らす。
しかし中からは物音一つ聞こえてこなかった。
「留守……なんでしょうか?」
「出直してみる?」
「いや待て……なにか聞こえるぞ?」
と、アツコが耳に手を添えながら言った。
続いてエリカも耳を澄ませると――確かにその通りだった。
コンテナハウスの中からじゃない。
むしろ外側というか裏手の方。
家と敷地の間の、細い隙間を除いてみれば――
「しくしくしくしく……」
男が泣いていた。
腰を曲げてしょんぼりと、顔を覆ってしくしくと、背中を小さく丸めて泣いている。
そしてその背格好には見覚えがある。というかつい最近見たばかりだ。
物々しいタトゥーと浅黒く焼いた肌をした――通称『チャラ男』であった。
「あの、キミは一体?」
「ぐすん…………んだよ? 今は誰とも話したくねぇんだ……」
「ま、まぁそう言わず。話せば楽になることがあるかもしれないだろう?」
アツコがそう言うと、チャラ男はこちらに向き直り、ずずーっと垂れた鼻をすする。
「…………ねとられた」
「え?」
「だから! 彼女を寝取られたんだ!! オレのクミコが!!」
と、チャラ男はまたしてもぶわっと泣き出してしまう。
「ま、待て待て!! どういうことだ!?」
すかさず青年が食って掛かる。
「寝取られたって何だ!? むしろ寝取ったのは君の方だろう!?!?」
「あ……んだよ? 寝取ったって何の話だっての」
「とぼけるな!! 君がクミちゃんを寝取ったから俺はだな!?」
「とぼけてなんてねーよ!! あ、あのオッサンの所為だ!! あのオッサンがオレからクミコを……クミコを……うぅ!! 本気だったのに……!! 今度は本気だったのにぃぃぃ……!!」
と、剣幕で返せたのは一瞬。悲しみがそれ以上に大きいのか、チャラ男は膝から崩れ落ち、酷く縮こまってしまう。
流石の青年もそんな姿を前にしては何も言えないのか、握り締めた拳の置き場をなくしていた。
「どういうことだってばよ」
「うーん……」
そして一歩引いた場所から、エリカ達二人は首を傾げて考え込む。
「ひとまず……詳しい事情を聴く必要がありそうだね」
やがてアツコはそう言って、泣き崩れるチャラ男の肩を叩いた。
「こいつがオレからクミコを奪いやがったんだ」
そう言ってチャラ男から差し出された写真には、中年の男性が映っていた。
身に着けたスーツや時計の上等さから見て、それなりの地位にいる男だろうと推測出来る。
だがしかしだ。
そんなブランド品でも誤魔化せないくらいに。その男は禍々しいオーラを放っている。
ぷくりと腹が膨れ、脂ぎっていて、くすんだ唇はタラコのように太い。カピカピに固めたオールバックから覗かせる瞳には下卑た色が浮かんでいて、隙あらば食い物にしようという魂胆が感じられる。
言い換えるのであれば――見るからに売り買いとかしてそうなオッサンだったのだ。
「絶対にクミコは騙されてる。何も知らないクミコを食い物にしやがったんだ。そうでもなけりゃあアイツが『貴方ってガツガツしてるだけでテクはさっぱり。もっと上手い人のところにいくから、人形にでも腰を振ってれば?』なんてひでぇ言葉を吐くわけねえんだよ!!」
「えぇ……」
と、チャラ男は目に怒りを滲ませ、なんだかデジャブ感のある台詞を吐き散らしていた。
「ふむ、しかしだね」
アツコはそれを聞きつつ、周りをキョロキョロと見渡した。
「本当にここにいるのかい? そのオッサンとやらが」
エリカもこくりと頷く。
なにせそこは駅前から遠く離れた細道の、場末っぽい飲み屋街だったからだ。
酒を飲むならまだしも、金を持っていそうな見た目からは到底想像がつかない。
「ああ間違いねえ。うちのチームの奴等が見たって言ってたんだ」
チームとは何のことなのかはさておき、チャラ男は自信ありげに頷いた。
そうして四人が立ったのは一軒の居酒屋。カウンター席しかなければネットにも載っていない、昭和レトロ感を感じされる店だった。
「おら! 邪魔すんぞ!!」
と、チャラ男は入口の引き戸を開きながら言った。
エリカ達はすぐにその後に続き、店内にぞろぞろとなだれ込んでは――
「おろろーん!! おろろーん!!!!」
オッサンが独り、机に突っ伏して泣いていることに気付く。
他の客はいない。であればカウンターに並んでいる十を超える徳利は、一人で飲んだということだろう。
「どうして……どぼしてなんだよぉ……!!」
皺くちゃの顔を上げ、並々に注いだおちょこをくいっと飲み干す。
そうしたかと思いきや、またしても机に突っ伏して嗚咽を漏らす。
まるで嫌なことを酒で洗い流そうとするかのように――クミコを寝取ったというオッサンは――完全に飲んだくれていた。
「おかわり!!」
「あんさん、もうその辺にしときなって」
「うるさい!! おかみさんの私の気持ちが分かるかってんだ!! こんな私でも好きになってくれる子が、ようやく現れたっていうのに!!」
「そこはアレよアレ。男と女ってやつでしょ? あんさんはちょっとそれが遅かったくらいで、また良い人が見つかる筈さ」
「気休めはよしてくれ!! それに遅いも早いもあってたまるか!! だって私は……私はだなぁ……!!」
宥めようとする店主と、言い返すオッサン。
オッサンは涙でくしゃくしゃの顔を上げ、真っ赤な顔で大きく息を吸っては――
「クミコさんを寝取られたんだぞ!? それも男ではなく、よりにもよって女にだ!!!!」
と言った。
それを耳にしたエリカは思う。
あぁ、これはまた妙な話になってるぞ、と。
「こいつだ。私からクミコさんを奪い取った女は」
と、それから店主と一緒に宥めすかし、行動を共にすることになったオッサンが言う。
興信所に頼んで掴んだ情報らしい。写真に映っているのは二十台後半から三十代前半と見られる、デキる女っぽい人だった。
しかし身にまとう様相は大人っぽさだけではない。それと同時に艶めかしく、妖絶で、洗練された色魔のような雰囲気も感じられる。
隠し撮りはクミコと並んで立つシーンだった。彼女が見ていないことを良いことに、ペロリと小さく舌を覗かせる心の内は……想像に難しくない。
「よりにもよってレズ寝取りですか」
「ああ……ここまで来て、まさかまさかのだ」
「私もそう思う。まったくのノーマークだったからね」
と、寝取られた三人衆が頷き合う。
互いに同じ立場と理解してか、なんか何時の間にか仲良くなっていた。
「だがきっとクミコさんは騙されてる。そうでなければ『やっぱりおじさんって体力がないから駄目。やっぱり今の時代は貝合わせよね? おじさんも女の気持ちを知る為にメスイキでも覚えてみたら? その脂肪だらけ汚い尻を、一人で惨めったらしく』などという暴言を吐くわけがない!!」
「えぇ……」
そして怒りの発言もデジャヴ感満載であった。
なんなんだこいつらは、とエリカは思った。
「ふむ……留守にしているようだね」
閑話休題。
その後、マンション七階のインターホンを鳴らしたアツコが言う。
「む、それは妙だな。この時間は何時も部屋にいるとの情報だったが」
「買い物にでも行ってるんじゃない?」
「いや……その線は考えにくいな」
オッサンが首を傾げ、エリカが言い、アツコがそれを否定する。
「中の電気が付いたままだ。それに……」
ドアノブを捻り、開く。
鍵がかかっていなかったのだ。
「誰かいるかい?」
「え……ちょ、ちょっとアツコ!?」
「なんだいエリカ? 別に物取りをしようというわけじゃなく、留守かどうかを確かめるだけで――」
「じゃなくてアレ!! ベランダのとこにほらっ!!」
「むっ!!」
開きっぱなしのベランダ。風に揺れるカーテン。
その奥の手すりを、女性が乗り越えようとしていて――
「馬鹿なことはやめたまえ!!」
「離して!! 死なせて!! 死なせてよぉ!!」
「エリカ!! 手伝ってくれ!!」
「う、うん!!」
間一髪で羽交い絞めにしたアツコを手伝い、エリカは女性を地面に降ろす。
もう誰かなんて言うまでもない。例のデキそうな女だった。
「お願いだから……もうっ……もうっ、死なせてよぉぉぉぉぉ!」
しかし今のその顔に大人っぽさなど微塵もない。
子供のように泣きじゃくり、手足をバタバタとさせて、駄々をこねているかのよう。
「あのさ……ひょっとしてだけど」
そんな姿を目の当たりにして、エリカは言った。
「寝取られた?」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいん!!!!」
図星らしい。
女はわっと声を上げ、その場に泣き崩れる。
「あの子!! 私とずっと一緒にいてくれるって言ったのに!! なのに……! なのに……!! 『年上ってのもそろそろ飽きてきた。あともうちょい若作り頑張ってくれないかな、オバさん?』なんてことを言うだなんてえええええええええ!!」
「えぇ……」
こいつらもうなんなんだよ、とエリカは思った。
「なんという……ことでしょう」
と、依頼人の青年(もう既にエリカは忘れつつあったが)が言う。
今となっては怒りの気配は微塵もなく、ただただ絶句している。
「ちっ、こんなのって……」
「……いたたまれないね」
チャラ男とオッサンも同じようで、やるせなさを顔に滲ませている。
そりゃそうだろう。ここまで来たら完全にアレだ。
これは寝取るとか寝取られたとか、そういう次元の話ではなく――
「クミちゃんは――そういう子だったんですね」
ポツリと青年が零した。
「ははっ……これじゃあまるでピエロみたいだ。俺は本気だったのに、彼女は最初からそうじゃなかったなんて」
「……あのさ」
「いいんです。騙された俺達が馬鹿だったんですから」
エリカが伸ばそうとした手を止め、青年は不格好に笑う。
「俺……みなしごだったんです。だからずっと、家族ってものに憧れてた」
「だからあの子が一緒になろうって言ってくれて、ほんとに嬉しかった。俺みたいなやつでも家族が作れるんだって、そう思ってた」
「でも……やっぱり、贅沢過ぎる願いだったんですかね? 家族を知らない俺が家族を作るだなんて、過ぎたもんだから、こうやって痛い目で思い知らせてくれて――」
その悲痛な吐露に、誰もが言葉を詰まらせる中、
「いいや、それは違うぞ?」
と、アツコは言った。
「もうキミに家族は出来ているではないか?」
「へ? 家族って、どういうことですか?」
「そこの連中を見たまえ」
アツコは指差す。
チャラ男に、オッサンに、デキそうな女の三人を。
「キミ達は同じ女を愛し、通じ合った。たとえその過程が偽りによるものであったとしても、結果は変わらない」
「そ、それが一体何だと言うのです!? ただ騙されただけの俺達に何が!?」
「分からないのかい? それは一般的にはこう呼ぶのだよ」
アツコは胸を張って続ける。
「――竿兄弟と」
「っ……!」
青年は息を飲んだ。
「きょ、兄弟、だと……?」
「私達が、だって?」
「あたしにも、兄弟が? こんなにも……?」
三人もまた互いを見合わせる。
「あぁそうだ。君達は単に騙されていただけではない。恋愛が家族を作る為の過程であるとするならば、君達はもう手にしているのだよ。かげがえのない――家族という存在を」
「「「「「あっ――――」」」」」
青年が歩み寄り、三人から四人へ。
その瞳に浮かんでいるものは嫉妬でも憤怒でもない。
時にいがみあったり喧嘩したり、すれ違いや誤解はあれど、最後には元の鞘に収まってしまう――家族に向ける視線であった。
「お、俺さ……その」
最初に口火を切ったのは青年だ。
「へへっ……何も言わなくてもいいよ。オレも捨て子だったし、気持ちは同じだから」
続けてチャラ男が鼻をこすりながら言う。
「やれやれ……もう二度とあの温もりはないと思っていたんだがね」
更にオッサンが涙を堪えながら呟く。
「ちょ、ちょっとちょっと、あたしもいるんだから……! 仲間外れとか、ほんとやめてよね? ああいうのって、もう二度と勘弁っていうか」
デキるっぽい女は照れ臭そうに、顔を真っ赤にしていた。
嗚呼美しきかな、この家族愛。
間もなく暮れようとする夕日が、その姿を煌びやかに照らしている。
「うん……良かった良かった」
と、そんな姿にアツコは目を閉じ、溢れた一筋の涙を指で拭う。
その一方で――いやこれ何の話だ?
良い話で終わらせていいのかって、エリカは突っ込むタイミングを見失っていた。
お わ り
女子高生探偵の変な事件簿 弱男三世 @asasasa2462
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