アルミホイルの怪


「ふむ……見たところでは普通のようだが」


 と、アツコは間取り1Kの内装を見ながら言った。


「人が隠れられるスペースも……あんまりなさそうだね」


 トイレ、浴室、バルコニー、クローゼットを確認し終えたエリカも言った。

 バルコニーからは地上六階の光景が見下ろせて、向かいの建物も道路一つ分を隔てている。

 あるとすれば隣室からだが……それも相当の度胸がなければ難しい。単身世帯向けによくある仕切りタイプではなく、分厚い壁によって遮られている。もし隣に侵入しようとすれば、蜘蛛のように張り付いていかなければならない。


「ストーカーはここまで侵入してきてると……そうなんだね、ササキさん?」


「う、うん」


 アツコが言って、ササキと呼ばれた女性が頷き返す。

 それが本日の依頼人だった。近くの大学に通う独り暮らしの学生で、その小奇麗な格好や、高そうな家財や、健康志向満載のサプリメントが並べられていることから、結構なお嬢さんなんだとエリカは思う。


 そして見た目も――今は青ざめて台無しになっているが――色白で清純そうな女だ。

 良からぬ輩が後をつけて、下卑た欲望の捌け口にされていても不思議ではない。


「でもそれっぽいものは見なかったね。一応注意は払ってたんだけど」


 と、エリカは言う。

 三人で歩いていたから、と言ってしまえばそれまでだが。


「と、とりあえずお茶でも。せっかく来てくれたんだし」


 ササキは立ち上がり、IHヒーターのスイッチを入れる。

 アツコは「お構いなく」と口では言いつつも、自分の部屋のようにくつろぎ始める。


「お待たせ! 熱いから気を付けてね」


「おお、ありがとう。これはまた……えぇと?」


「んん?」


 やがて彼女が盆に乗せ、差し出してきた高そうなティーカップの中身を見て、アツコとエリカは目を引んむく。

 色がお茶のように見えなかったのだ。血のように真っ赤な色をしていて、紅茶と呼ぶにも無理がある。


「これは?」


「激茶だよ」


「激茶」


 聞いたこともない銘柄だった。


「モナコリンとコラーゲンとポリフェノールが存分に含まれてるお茶でね? 健康と美容にすっごく良いって評判なんだよ? せっかく可愛い探偵さんが来てくれたから、是非とも味わってほしいなって」


「う、うむ」


「じゃ、じゃあ折角だから」


 ゴクリと一口飲んで、なんだこれはとエリカは思った。

 お茶請けに出されたクッキーで口直しをしようとするも、こっちはこっちで砂糖がとことん抑えられている所為か、砂を噛んでるような気分になる。


「ま、まぁ本題に移るとしよう」


 と、アツコは苦い顔を浮かべ、お茶を脇に避けながら言う。


「君の言うストーカーの視線に気付いたのは一月ほど前のこと。最初は最寄り駅の近くで、今や家まで特定されている……そうだね?」


「うん」


「更に言うと、大胆にも部屋にまで侵入してきて、キミが寝入って折に語り掛けてくるそうだ」


「うん」


「警察に訴えても知らんぷり。だから私達を頼ってくれたと」


「うん……うぅ……そうなの……! 被害に遭ってるって言ってるのに、みんな真剣に聞いてくれなくて……!!」


 ササキは頷き返しては、震えた声で懸命に訴える。

 余程怖い目に合っているらしく、その目には深いクマが浮かんでいた。


「でもどうしよっか? アタシ達がずっと付いてるわけにもいかないし」


 エリカがキョロキョロと周りを見ながら言う。

 やはりというか怪しい気配はおろか、盗聴器やカメラの類も見当たらない。


「しばらく離れた場所から見張ってようか? すぐに駆け付けられる場所に待機しとくからさ。そんでもってソイツが現れたら――」


「何言ってるの? 今も声が聞こえてるじゃない」


「え」


 ササキの発言にぎょっとして、エリカはすぐに耳を凝らす。

 しかし……どうだろう? 目に見える彼女達の息遣いを除けば、聞こえるものなんて換気扇の音くらいだった。


「すまないササキさん。私もちょっと聞き取れなかったんだが、それは何処から聞こえてくるんだい?」


「何処って……冗談はやめてよ探偵さん! この部屋に帰って来た時からずっと聞こえてるじゃない!! ずっとずっと、私の耳元で、ずっとずっとずっとずっと――」


「え、えぇ……?」


 続けてアツコも問うが、ササキは信じられないと言った様子でショックを受け、狂ったように錯乱し始める。

 そうまで言われてもエリカには何も聞こえなかった。一体何処にストーカーが潜んでいて、ササキに語り掛けているというのか?


「きっと――私の思考を盗聴しようとしてるんだわ」


 と、そんな次の瞬間である。

 ササキが棚から銀色のソレを取り出し、スチャっと身に着けたのは。


「ああ――声が落ち着いてきた。やっぱり盗聴対策は業務用の厚手のものに限るわね」


 ソレは帽子の形をしていた。

 アルミホイルを折り曲げ、頭部に合わせて作られた物である。


 それをかぶった途端、ほっとしたかのように安らぐ依頼人を見て、エリカは思う。

 うん。これまた独特な世界観を持ったヤベー奴だと。


「で、探偵さん? 対策は何か思いついたかな?」


「う、うーん」


 すっかり澄み切った目で見られながら、アツコは難しそうに唸る。

 そりゃそうだろう。もう事件なんて解決したも同然だ。最初からないものをどのようにして突き止めろというのか。


「悪いけどさ、ササキさんの言ってる声なんて何処にも――」


 だからエリカは横やりを入れようとして、


「まぁ待つんだエリカ」


 と、アツコに止められた。


「この手のものは下手に否定してはいけない。却って意固地になってしまうそうだ」


「じゃあどうすんのよ? 肯定すればいいの?」


「正解は『肯定も否定もせず話を合わせる』だ」


 そこでアツコは内緒話を止め、鞄の中からスーパーの袋を取り出す。

 母親からお使いを頼まれていたらしく、依頼人の下へと向かう前にスーパーで買っていたものだ。

 その中からクッキングホイルの封を切り、くるくると銀紙を伸ばし、それをお椀状に形作ったかと思いきや――


「私達もかぶろう」


 なんでやねん。

 すっと頭に乗せる彼女にエリカは突っ込んだ。


「ほらエリカ、君の分も作っておいたから」


「やだよ。何が悲しくてそんな恰好しなきゃいけないのよ」


「依頼人の気持ちに寄り添うためさ。その証拠にほら」


 と、アツコが振り返る。


「た、探偵さんも分かってくれたんだね? あぁ嬉しい! ぐすっ、今まで誰も信じてくれなくて……わたし……わたし……!!」


 ササキは感極まった様子で、目をうるうるとさせていた。

 ……いやこれ寄り添うどころか肯定してない? 余計に幻聴を後押しするのでは? とエリカは訝しむ。


「むっ……? 聞こえる……聞こえるぞ!?」


 極めつけにアツコはそんなことまで言い出す。

 目を丸くして、肩を大きく跳ね上げ、まるでホントに驚いているかのよう。


「違うエリカ! ホントに聞こえてるんだ!」


「――へ?」


「いいからこいつを付けてみてくれ!」 


「え、ちょ、ちょっと!?」


 と、血相を変えたアツコにアルミホイル帽子をかぶせられてしまう。


『………………ますか?』


 するとであった。

 微かではあるが、エリカの耳にも確かに聞こえてきたのだ。


『私の声が、聞こえますか?』


「あ、アンタは一体……?」


『あぁ聞こえるのですね? 良かった。私は今、貴方達の脳に直接語り掛けています』


 その発言に隣を見れば、こくりと頷き返される。

 どうやらアツコも同じ声を聞いているようだった。


「キミは一体何者なんだい?」


『はい。私は――』


 アツコの問いに声が答える。


『アルミホイルの精です』


 存外にファンタジックな存在であった。


『私の役割は人々を毒電波から守ること。普段は黙して貴方達を支えることを由としておりますが……此度はそういうわけにもいかず、こうして語りかけております』


 アルミホイルの精とやらは、ハスキーなボイスで続ける。


『この家は良くない周波数に満ちています。それによって中性子星から放出される電磁パルスと、コラプサーから生み出される高密度重力が超自然的に絡み合い、ストロー現象のように毒電波が吸い寄せられています』


「「お、おう」」


 日本語でおk。

 二人はさっぱり分からんということが分かった。


『まぁ貴方達に理解を求めるのは難しいですよね。この領域レベルの話は』


 あと微妙にむかつく言い回しだった。


『ファファファ……』


 ところがそれを突っ込む暇もない。

 また別の声が脳裏に響き始めたのだ。アルミホイルの精よりトーンが低く、エクスデスみたいな笑い声が。


『あ、貴方は毒電波王……! くっ、早過ぎる……!!』


 すかさずアルミホイル精のキンキンとした声が言い返す。


『それで隠れていたつもりか? 貴様の気配はかに星雲から見れば丸見えだった』


『なっ、激変クェーサーを辿ったとでも言うのですか!? 逆コンプトン散乱現象を利用して!!』


『ファファファ、クェーサーなど必要ない。FRBの浮き沈みだけに注視しておればいい』


『つまり相対性理論を逆手に取って利用したと……!? くっ、こんなことならフェルミ粒子の流動性にもっと素直であるべきでした……!!』


 などなど、二つの声が脳に響く。

 無論言ってることは一ミリも理解出来ない。というか人の頭の中で言い合いすんなとエリカは思った。


『ここは私が押さえておきます! 貴方達は今すぐに助けを呼んできてください!!』


「え」


 そこでアルミホイルの精の呼びかけがエリカ達へと戻る。


『早く!! この銀河系の危機なんです!! 南極観測隊に『超新星爆発がカミオカンデに牙を剥いた』と言えば伝わる筈です!!』


「え、ええと……なんだって?」


『早く……!! 私の磁器モーメント波動が臨界点を迎える前に……!!』


「あ、はい」


 と、あまりに切羽詰まった様子に押され、二人はアルミホイル帽子を外した。


「どうしたの?」


 腰を上げる彼女達をササキが見上げる。


「ササキさん、疑ってすまなかった。君の言う通りだった」


 アツコが言う。


「うん。ないわないわーって思ってたけど、実際にあんな声を聞かされたらね」


 エリカも言う。


「キミはずっと一人孤独に戦っていたんだな? アルミホイルの精の導きに応えて」


「なんでも銀河系の危機だって? なんかスケールの大きい話だから、正直今も良く分かんないけどさ」


 言って、二人は彼女から頼まれた『助け』を求める為に、部屋を後にしようとするのだが、


「え、ちょっと待って?」


 それをササキに遮られる。

 なんだ? 早く対処しないと宇宙がエライことになるんだぞ、とエリカは言い返そうとする。



「アルミホイルの精って……なに?」


「「え?」」


「それに銀河系の危機とか、いきなり何言ってんの……?」


「「え?」」


「私知らないんだけど……なにそれ、こわ……」

 

 依頼人ササキはドン引きしていた。



「なんだか、急に冷めちゃった感じ」


 と、続けてササキはアルミホイル帽子を外す。


「冷静に考えると声なんてするわけないじゃない。私ったら何に怖がってたんだか」


 それをクシャクシャと丸めて、ゴミ箱に投げ捨てる。


「探偵さん達もさ、そういうの、いい加減に卒業した方がいいよ? 頭おかしいって思われるだろうし」


 さっきまでのヒステリックな態度は何処に行ったのやら、ササキの目はすっかり焦点があっている。

 というか『何言ってんだこいつ』という目である。

 かわいそうに。明日には精神病棟行きなのね、という憐憫ですら匂わせて。


「「……………………」」


 意図せず事件は解決した。

 依頼人の声が聞こえなくなったというのだから、問題は取り除かれたと言ってもいい。


 しかしそんな目を前にして、エリカ達は――




「あー……やっぱNASAの作ったアルミホイルは一味違うわ」


「だね。脳がスッキリするような気がする」


「でも前頭葉の部分だけは小さく開けておいてよね? やまねこ銀河団の位置が分からなくなっちゃう」


「もちろんだとも。ダークマタの微生物群からの金言も届かないからね」



 後日、事務所にて。

 二人は精巧なティンホイル・ハットを身に着け、大真面目な顔で語り合っていた。



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