第5話

「お姉ちゃんっ!!!!!」



 ゆっくりと、ゆっくりと目の前に座っていた姉が、体を前に倒していった


 長い髪がゆっくりとなびき、赤い液体が空を舞う


 トサっという音が響いた後に、星の頭から血溜まりが広がっていく


 血を流して、倒れている


 それを理解するのに一瞬頭が真っ白になったが、痛みを忘れるほどに衝撃が走り、目を見開いて叫んだ



「お姉ちゃん!!!」



 格子にしがみつき、星に向かって手を伸ばす


 幸い格子越しに居たおかげかすぐに手が届いた


 星の手に触れると、きゅっと握りしめて名前を呼ぶ



「お姉ちゃん!お姉ちゃん!星お姉ちゃん!ねぇ!」



 一生懸命叫ぶが、返事はかえってこない


 星夜は痛みを忘れるほどの衝撃に頭が着いてこなかった


 だが、星の居た場所の背後に、ゆっくりと人影が見えた


 その人影に向かって、星夜は怒りをあらわにしながら、その名前を呼んだ



「なんで…なんでこんなことをしたんですか…長老様…!」



 長老が後ろに部下を引き連れ、そこに立っていた


 いつからそこに居たのかは分からない


 だが、これだけは断言できた


 姉に傷をつけたのはコイツらだ、と


 いつも長老の隣にいる男が、血のついた長老の杖を持っていた


 ついた血を丁寧に拭き、消毒をしてから、長老に渡す


 本当に…根っこからのクソ野郎だ


 自分自らは手を出さない


 そんなところが…むかついてたまらなかった


 長老は、はて?という顔で髭を触りながら言うのだ



「贄を捧げたに決まっている。神託に従ってな。救われたくば巫女に贄を捧げる。星もさぞかし喜んでいるだろう」


「贄って…最低にもほどがあります。神は人間を捧げろだなんて言ってないでしょう!なのに…お姉ちゃんを傷つけて…そんなの許されるはずがない!」


「分かってないな、お前は。先ほどの話、聞いておったぞ。『星海』が偽の空だと?そんなことあるはずがない。それこそ紛い物の声、悪魔の声だ。なのにお主とコイツはそれを信じた…ましてや逃げるとは…だから、儂は考えたんだ。こやつを…贄にすれば良いと」


「!」


「一つの異変のはこやつのことだろう。まさか、星ともあろう者が神を疑うとは…だが、運も良くいい贄になった。これで我らは救われるだろう。星夜、巫女ともあろうお前が偽の神に踊らされるな。分かったな」


「だからって…だからってお姉ちゃんを傷つける必要はないじゃない!お願い!今すぐここを開けて!お姉ちゃんを治療させて!」


「ふん、もう無駄だ。もう直ぐ息の根も耐えるだろう…」


「なんで…なんで…っ!お姉ちゃん!お願い!返事して!目を覚まして!」



 星の名前を呼ぶが、指さえピクリとも動かない


 だが、握っている手がまだ暖かさが残っている


 まだ、死んでいない


 それだけでまだ心に余裕ができた


 だが、体の奥底から『星海の病』が迫ってくるのがわかった


 もう時間がない


 なんとかして姉を国外に逃さなければならない


 だが、どうやって…



 すると、微かに掴んでいた星の手が動いた


 そのままゆっくりと体が動き、星が血まみれの顔を上げた



「やってくれたわね…クソ野郎…」



 怒りがこもり、吐き捨てるように発せられた言葉は、今にも消えてなくなりそうだった


 だが、ゆっくりとゆっくりと震えながら星は体を起こそうとする



「お姉ちゃん!動いちゃダメ!」


「大丈夫。大丈夫だよ、星夜。お姉ちゃんが、守ってあげるから」


「お姉ちゃん…」


「まだ死らんか。だが…もうほとんど体力も血も残ってないだろう。放っておけ」


「っ…」



 確かに、長老のいう通りだった


 もうほとんど体力も残っていない


 その上視界も見えなくなってきている


 これ以上、腕の力が入ってこない


 だからこそだ


 だからこそ、星は言った



「なに…?あんた達は神を疑っているの…?だとしたら可哀想ね…神に選ばれていないあんた達なんかより…神に選ばれた星夜の方が…よっぽど神を知っているわ。まさか…神が選んだ子供を、あんた達は信じないわけ?」


「星…口を慎め…」


「星が認めた、神が認めた星夜のことを疑うのなら、それは神を疑うことと同じじゃない?なら…今星夜に行ってきたことも全て、神を侮辱しているってこと…そんな奴らのところに、救いなんて来るはずがないでしょ?」


「星…キサマぁ!」



 長老が手に持っていた杖を星に向かって振り下ろす



「お姉ちゃんっ!!」



 星の頭を狙った杖


 そこからどんどん血が溢れ出る


 怒りに任せたその行動は、あまりにも無様なものだった


 加減を知らない子供のように、

 癇癪を起こした子供のように、

 長老は杖を振り下ろす


 何度も何度も振り下ろす


 それを何度か近くにいた部下たちもそれを止めようとするが、全く聞く耳を持たない



 叩く


 血が流れる


 叩く


 血が流れる



 それの繰り返し


 取り巻きたちは一瞬、それから目を逸らし、背筋を凍らせた


 それを見て、ゆっくりと後退りして、その場から慌てて逃げていく


 なにか…恐ろしいものを見たような顔をして


 だが、長老はそれに気がついてない


 ただただ、感情に任せているだけだ



 それから、ようやく彼は手を止めた


 その時にはすでに、星の息は止まっていた


 動かない星の体


 長老は少しやりすぎたかと思ったが、軽く笑って杖を拭きながら言った



「星夜、これはお前のせいだぞ。お前が偽の神の神託など信じたせいで、星が死んだ。分かったな?これ以上戯言を言えば、お前の両親がどうなるか、分かっているな」


「…そう」



 長老は驚いた


 なぜかって?


 普段なら、返事は帰ってこないのだから


 ある程度わからせてやれば、勝手に頷くだけ


 それだけだったのに


 そこで、ようやく長老は星夜を見て、間違いに気がついたのだから



 木の格子の向こう


 血だらけになった姉の手を握り、俯いている彼女


『星海』の模様が全身を包み込み、表情が読み取れない


 だが、泣いていることだけは分かった


 赤い涙を流し、冷たくなった姉を見ている


 その目は黒に塗りつぶされ、虚ろだ



 明らかにいつもと違う星夜に戸惑いを隠せない長老に、星夜は話しかける



「どうして?どうしてお姉ちゃんを殺したの?赤くしたの?あんなに叫んでいたのに、聞こえなかったの?なんで?なんで?」


「あっ…あああっ…」



 星夜の瞳が長老を捉えた


 ゆっくりと、彼女から『星海』の模様が広がっていき、畳や、格子を飲み込んでいく


 使い物にならなくなった格子を潜り抜けて、星夜は動かない姉を抱きしめて、呟く



「もういい、もうどうだっていい。お姉ちゃんが居ない世界なんてどうだっていい。壊れちゃえ、壊れちゃえ。壊れて粉々になって消えちゃえ。消えてなくなれば、全部———」




「星屑になるから」

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