第14話
水咲の声が聞こえない。慌てて振り向くと、さっきまで真っ暗で何も見えなかった海の中に、彼女が立っているのが見えた。水咲の後ろから大きな黒い波が迫り、彼女を飲み込んだ。俺は背負ったままのリュックを放り投げて砂を蹴り、海へと駆けこむと必死に彼女へ手を伸ばす。
「水咲!!」
彼女の細い手が指先に触れるとほっとした。そのままぐっと掴んで引っ張り上げる。頭から海水を被った水咲は、一瞬目を丸くしてから、俺の腕の中へと崩れ落ちた。胸に顔を押し付け嗚咽を漏らす。昔から変わらない、泣いているのを隠すような、息を詰める泣き方だった。波が何度か俺らの足元を往復するのを、水咲を抱きしめながら感じていた。
どれくらい経っただろうか、水咲が体を震わせているのに気が付いて、彼女を引きずるように海を出る。砂浜に立つと、足元が揺れないことにホッとした。水咲はそっと俺の腕を離れて、砂浜の上に座り込んだ。
「今日、ここで死んじゃおうと思ってた」
リュックからタオルを取り出して、彼女の体を拭こうとしたとき、水咲がぽつりとそう漏らす。驚きも、悲しみもしなかった。部屋で水咲に海へ行こうと言われた瞬間から、なんとなくそんな気がしていた。
「毎日、どうしようもなく悲しくて、しーちゃんと一緒に住んでるはずなのに寂しくて、どうにもならなくて……。海に入って、ひとりぼっちになりたかった」
水咲の髪をタオルで拭きながら、その後頭部をじっと見る。返せる言葉がなかった。
「でも、あんなに望んでたのに、いざとなったらしーちゃんに止めてもらいたくなっちゃった」
水咲はこちらに振り向き、そっとこちらに手を伸ばしてくる。その手を、恐る恐る握り返した。
「ありがとう、振り向いてくれて」
彼女の震えた声に、思わず泣いてしまいそうだった。
「ごめんね、面倒くさい女で」
「そんなこと、ない」
ようやく絞り出したのはそんな言葉だった。
「ごめん、水咲の様子がおかしいのに気づいてたのに、何もできなかった。俺のせいじゃないって……そう思うのに必死で、逃げてた。ごめん」
俺は泣いていい人間じゃないはずなのに、耐えきれずに涙がこぼれた。とりつかれているだとか、人魚騒動だとか、余計な事ばかりに目を向けず、まず必要なのは水咲に向き合うことだった。そう思っているのに言葉にならず、ただ涙だけが砂の上に落ちていく。
「……しーちゃん、顔上げて」
俯いていた頭を上げると彼女の顔が目の前にあった。
「私も、助けてって言わなかった。ごめんね」
そう言って、困ったように笑う水咲を何も言わずに抱きしめる。泣いていたせいか、顔の周りだけが熱かった。水咲も俺の背中に手をまわして、俺の頭をそっと撫でる。こわごわと撫でるその手つきがほんの少しくすぐったかったけれど、しばらくそのままじっとしていた。
風が強くなってきた。そう言えば明日は雨だと言われていたような気がする。
「……水咲、帰ろうか」
「うん」
俺から体を離して水咲は立ち上がる。不安定な砂浜を踏みしめて立つと、服の裾から水滴が落ちた。
「これじゃ電車乗れないね」
水咲はパーカーの裾をぎゅっと絞っている。
「そもそも電車あんのかな……」
「ないかも、どうする?」
「まあ、なんとかなるだろ」
「なんとかなるかなあ」
「大丈夫」
そっか、と水咲はつぶやいて、俺の手を握る。お互いの掌が、砂でざらついていた。
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