第7話 後編

 腕に鳥肌が立っている。スマホを握る手がわずかに震えていた。もう読むのをやめたい。こんな馬鹿げた都市伝説めいているブログには何の意味もない。いや、そう思いたいだけだ。


 震える指先をおそるおそる動かし、画面をスクロールする。



『やがてこのブログのコメント欄に、私と同じ気持ちを抱える方が現れました。そうです、事件で報道されたあの人たちです。彼女たちは私の気持ちに共感してくれて、たくさん話を聞いてくれました。みんなでたくさん話をしました。あの頃がいちばん楽しかったかもしれません。


 やがて私たちは、みんなで海へ行こうという話になりました。正確には、海へ帰ろうと。私たちは話をするうちに、自分たちは海へ帰りたいという欲求を抱えているのだと気が付いたのです。6人で相談して、人の少なそうな海へと赴くことにしました。見られては困るので、冬の海に。12月にしようと決めたのが9月のことでしたから、その3カ月の間、時が流れるのがひどくゆっくりだったのを覚えています。3カ月間、全くやめたいとは思わず、日に日に早く海へ帰りたいと思う気持ちが強くなっていきました。


 そしてようやく、12月が訪れました。当日、私たちは初めてお互いの姿を知りました。みんな普通の人で、今から死ぬなんて信じられないようなそんな気持ちになりました。私たちは集合してすぐ、目的の海へと向かいました。誰もが待ちわびていて、子供がサンタさんを待つようなそんなキラキラした目で電車へと乗り込みました。きっと周りからは不思議に思われたでしょう。なんせ私たちは年齢も服装もバラバラでしたから。


 冬の海辺は寒く、海水の中に入るなんて信じられないような気温でした。けれど私たちは誰もお互いを止めることなく、何も言わず、海の中へと入っていきました。


 黒くうねる波が私たちに迫り、体はあっという間に海水に飲まれました。全身が水に包まれ、とても緩やかで、穏やかな瞬間がおとずれました。周りの音は聞こえなくなり、一緒に海に入った仲間たちの姿も真っ暗な海の中では見えない。私はそこでようやく、自分はひとりになりたかったのだと気づいたのです』



 気づけば、ブログを読む手が止められなくなっていた。その後救助されてから今現在の暮らしの話までだらだらと続いたページを読み終えると、そこから過去の記事を読み漁る。5年前の彼女の日記は、これよりももっとメルヘンな口調で日常に対する愚痴がつらつらと綴られていた。開設された当時の記事を読み終えると、時刻はすでに14時を回っていた。俺はスマホを枕元に放り投げ、ベッドにうつぶせる。腕には鳥肌が立ち、背中は冷や汗で濡れていた。


 「みるダイアリー」に書かれていた日常は些細で、だからこそ余計に彼女がブログ内で出来た友達とやらと海へ「帰る」計画を立てている部分が恐ろしかった。新しいものから順に遡っていったから、古いものを読めば読むほど、どうしてこんな人があんなことをという気持ちになる。


 ブログによると彼女は、6年前も現在も旦那と2人で暮らしているらしい。結婚してから2年後に開設したブログは、旦那へのささやかな愚痴を書き込む場として作ったものだそうだ。それが、段々と取りつかれたように海への執着を見せ始める。


 5年前に騒がれていた理由がよくわかった。宗教か、都市伝説か、はたまたひどい妄想か、ネットのおもちゃになるにはちょうどいい内容だった。関連サイトには彼女のブログに対する考察があったり、彼女が人魚の生き残りだ、なんて謳っている動画もある。見ることはしなかったけれど、それくらい彼女の文章と内容には人を引き付ける魅力と奇妙さがあった。


 俺はというと、彼女と水咲の様子が重なり気が気じゃなかった。『洗い物をするたびに海の幻覚を見る』とか、『お湯に体を沈めている瞬間だけが安らぎだった』など、彼女と水咲を切り離そうと思えば思うほど、同じに見える。恐ろしかった。


 夜中にホラー映画を見てしまった時のような、ぞわぞわと迫りくる恐怖感が体を這いまわっている。体が異様に寒くて、震える腕を伸ばしエアコンのスイッチを切った。エアコンの音が止まり、部屋にはつけっぱなしのテレビの音だけが響いている。


 人魚騒動を特集していた番組は終わり、暇な主婦しか見ないような情報番組のゆるい話し声が聞こえてくる。耳障りだった。でも恐ろしくて電源を切れなかった。テレビに背を向け、ぎゅっと体を丸めて自分自身を抱きしめる。風邪を引いたのかと思うほど寒く、体が芯から震えた。

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