交流型のカクヨムにおいては、交流の数=星の数だ。
平生うろうろしているジャンルでは明らかにそうだ。
そして仲が良い書き手同士で贈り贈られる星はだいたい☆3と決まっている。
厳正なる評価ではなく、お互いを励ます応援の星。
そんな心優しい理由だけではない。
☆を幾つにしようかなんて、クソ真面目に悩むだけ時間の無駄なのだ。
書き手はそれなりに忙しい。あれに3をつけたのならこちらも3だろう、あれに1をつけたのにこちらが2ではおかしくなる等、いちいち考えてはいられない。
☆3に統一しておけば、つける方も手間がないし、もらえる方も嬉しいWin-Winだ。
だからこちらの方がいい。
よって、交流の数×☆3現象が生まれ、顔を売り歩く人がダントツに強いということになる。
数十人と常時交流している人たちが無双する。その層に属する方々は何を書いても何を投稿しても、あっという間に大量の星を積んで上位に鎮座する。
無論作品に手を抜いているわけではないので、名実ともにトップ層という肩書つきで不動の地位だ。
こうなると、それ以外の人はどんなに頑張っても、どんなに良い作品を書き上げても、『決して』目立つことはない。
すると諦めの境地になって、営業活動をしなくなる。多少動いたところで焼け石に水だからだ。
こうして、活発に交流しない人たちは無名の砂粒と化す。
底辺に沈んだまま、びくとも動かない。
このからくりがみんな分かっているために、「星の少ない人に光をあててあげたい」そんな気持ちが生まれるのだろう、自主企画でも☆の少ない人の為のものが時々ある。
そんな中、☆1をつける人がいる。
わたしは☆1は出せない。
たまたまその書き手がひどく落ち込んでいる時に☆1などつけてしまったら、取り返しのつかないことになりかねないからだ。
「そんなものバリバリかみ砕いて糧にしろ!」
全員がそんな強メンタルならば良いのだが、書き手は精神が不安定な人が多いので、☆1を重大に受け止めてしまうリスクの方が怖い。
では☆2ならばよいのかというと、これまた中途半端というか、「あれに2だったらこちらも2にしないと」などと、面倒ごとが増えてしまう。
そんなあれこれを踏み越えて、きっちり☆1をつけてくる人がいる。
オトモダチの星でもなければ、忖度の星でもない。「good」評価の☆だ。
先方の好みでなかっただけかもしれない。何か気に障る表現があったのかもしれない。
もらう側が頭を悩ませても理由は分からない。
ただこちらがまったくご機嫌をうかがう必要のない、忖度する必要のない無名のド底辺であるがゆえに、それは厳正なる評価としての☆1なのだ。
正真正銘の☆1だ。
☆1をもらうたびに、これがわたしの本当の評価だと思うことにしている。
簡単に☆が集まる方々は決して味わうことのない苦い味。
骨身にくいこんで決して忘れることはないが、この胡椒はそれほど悪いものではない。
☆1は星100よりも重い。
☆1などもらったことのない大天才やハッピーカクヨムライフを送っている方も大勢いるだろうが、たまにもらってみると、顔をピシャッと叩かれたような気持ちになるので、お勧めするとはいえないまでも、「これがあなたの本当の実力」そんな事実を教えてくれる。
必要な躓きの石みたいなものだろうか。
こんなことを書くと調子づいて☆1を送り付ける人が現れそうだが、前述の理由によりなかなかの破壊力を相手の心に生むことがあるのでやはり慎重にして欲しい。
☆1をつけるくらいならば素通り、そんな人の方がきっと多いだろう。
しかし自分の信じるものに従ってちゃんと評価をしているのだという自負がある方ならば、堂々とやればいい。
☆1をもらった時。
その時にはあくまでも自分の中で、「ああ、まだまだなんだな」と兜の緒を締め直したらいいのだ。
そして☆1をつけた側の理由も、深く考えない方がいい。相手があなたの作品を理解できないだけかもしれない。
☆1と☆3が降り注ぐのなら、あなたの作品は一部の人たちには需要があったということだ。
評価が二分される作品は「いい作品」であることが多いと評論家も云っている。
毒にも薬にもならぬ☆3の愛されよりも、もしかしたら☆1の方が、あなたの作品にある特異性や魅力を強く教えてくれる星かもしれない。