第2話 猫のおっさん その2



  3


 目が覚めたら闇の中やった。でもすぐに目が慣れてきて、自分のおる場所がすごい広い部屋やってわかった。こりゃ徳さんの家の数倍はあるな。えらい豪勢なとこやで。


 ただなんでやろ。俺の周りに檻があるねん。白くて細い柵みたいなもんやから、その気になれば壊せるやろうな。でも問題はそこじゃないねん。


 誰じゃ、俺を檻の中にぶち込んだ頭のおかしいやつは!


 俺がなにしたっちゅうねん。いや確かに徳さんの家を全焼させたけども、あんなもん元々は違法建築やろがい!


 それに俺捕まえるんやったら、あいつらの搾取も逮捕せんかい! 炊きだしの弁当のオカズさえも、税や言うて取っていくねんぞ。んで俺が徳さんのオカズで抜こうとしたら、このありさまや。あいつらこそ檻に入れんかい!


 まあでも、久しぶりに女の裸見たな……。


 俺はなんでやろ、ブリーフの中に手を入れたんや。腹が減っとんのに、こんなんでカロリー使ったらあかんのに。手が止まらへんねん……。


 しゅこしゅこ、しゅこしゅこ……。


 そんとき、部屋の電気がぱっとついた。


「あっ、起きてる」


 声のほう見たら、男の子が二枚の皿を持って微笑んどった。俺は慌てて背中を向けて、ちょっと不機嫌な声を出しといた。


「みんにゃ」


「変わった鳴きかただなあ。ほら、ご飯と水を持ってきたよ」


 男の子はそう言うて、檻を空けてくれた。


 こいつ……、まだ俺を猫やと思っとんか。とんだサイコ野郎やな。まあ飯くれるんやったら、なんでもええわ。俺は置かれた皿に手ぇ伸ばして、すぐ止めた。


 ご飯てこれ、カリカリのキャットフードやんけ……。


「遠慮しないで食べていいんだよ」


 遠慮してる素振りあった? こっちはブチ切れとるねんけど?


「ついこないだまで、猫を飼ってたんだけどね。もういないから、ご飯を余らしてたんだよ。君が食べてくれたら嬉しいな」


 男の子は悲しそうに笑っとった。


 いやでもこれ食うたら、ほんまに人間ですらなくなってまうやんけ……。


 これはな、猫用に作られたもんや。人間が、それも五十歳過ぎた大人の男が食うもんちゃうやろうが。


 それになにが気に食わんって、多少変わってるけど、俺の見た目は立派な人間や。どういう神経しとったら、人間に猫用の餌を出すねん。そんな頭のおかしい奴の施しを、この俺が猫の振りして受けるって?


 戸籍は捨ててもなあ、人間はまだ捨ててないんじゃ!


「ははは、ずいぶん不機嫌そうな顔で食べるね」


 ちょっと量が少ないわ。味はええけど。


  4


 飯が終わったら、男の子は遊ぼう言うて、別の部屋に俺を連れて行ってくれたんや。最初におった部屋見ただけでも、とんでもない金持ちの家やってわかった。せやけど実際に歩いたら想像以上やな。メイドがおるねん。若い女の、めっちゃ可愛い子。


 メイドとかAV以外で初めて見たわ。部屋も何個あるかわからんし、男の子のことを「坊ちゃん」て呼んでる。


 絶対にバレへんようにせなあかん……。


 俺は猫や、猫としてこの金持ちの家で生きていくんや。


 それに気のせいかもしらんけど、俺はこの男の子が正樹に見えるんや。

華奢で女の子っぽいところが特に似てるわ。さらさらの髪の毛とか、完全に同じ髪型や。


 そうそう、正樹もよう女の子に間違えられとったなあ。


 正樹は嫁にめっちゃ似てて、ほんま天使みたいやった。嫁は顔だけは良かったからなあ。いや体もめっちゃ良かったけど。


 迷路みたいな家をどう歩いたんかわからんけど、着いた部屋は猫と遊ぶためだけの部屋みたいやった。猫じゃらしとか、キャットタワーがやまほどあるわ。


「好きなおもちゃはどれだい?」


 男の子はそう言うて、まずは猫じゃらしを手に取ってん。おいおい、俺もうええ歳やねんけど。俺と遊びたかったら、大人のおもちゃ持ってこんかい。赤と銀のしましまのやつや。めっちゃ気持ちええで。


「あれ、気に入るおもちゃなかったかな?」


 男の子は笑顔のままやったけど、肩が落ちとる。がっかりしとんが、丸わかりやった。


 ああ、なんか昔のこと思い出してもたなあ。競馬行くからて、正木と全然遊んだらんかった。ほんま何回かキャッチボールしただけやったなあ。


 へっ、しゃあない。ほんまは猫じゃらしなんか興味ないねんで。


「にゃあっ」


 俺はおもむろに猫じゃらしを指さした。


 それから小一時間ほど、男の子と遊んだった。いや、正確には遊ばれたって感じやな。このクソガキ、次は手首ごとその猫じゃらし取ったるからな!


「楽しかったかい?」


「うんにゃ」


「うんうん、猫じゃらしは僕も大好きなんだよ。さて、そろそろ寝ないと。明日から期末テストなんだ」


 男の子はそう言うてから、俺の頭を撫でてくれた。油で固まった髪の毛やのに、ちっとも嫌そうにせんかった。んでから、ケージとかいう牢屋に押し込まれて電気消された。


 俺は寝られへんかったし、寝る気もなかったんや。なんでかって、腹減りすぎてるからや。ご飯があれだけで、足りるわけないからな。


 せやから夜中まで待って、住民が寝静まったころに、冷蔵庫を漁ったろうって魂胆や。この檻の鍵は、人間やったら内側から開けられるしな。


 俺は暗闇の中で、じっと丸くなっとった。そうしとる間に、意識が宙ぶらりんになった。自分から考えてんのか、頭に浮かんでまうんか、正樹の記憶とか浮かんできよったわ。そしたらこれまでの人生とか、徳さんの家で見た女の裸が頭ん中で回り出してん。


 そうやって色々考えとって、最後は俺を拾ってくれた男の子ことが浮かんだ。メイドとかは坊ちゃんって呼んでるから、なんて名前なんかわからへん。


 そんなわけないってわかっとるけど、もしかしたら正樹って名前なんちゃうかなって思うねんな。そっくりやもん。すごい目が大きくて、まつ毛めっちゃ長くて、鼻も口もちっさい。あの男の子の名前、正樹ちゃうかなあ。


 そうこうしとるうちに、時間がだいぶ過ぎとる気がして、俺は完全に覚醒してん。猫の部屋に時計なんかないから、完全に勘やな。まあホームレス時代に培った経験から言うと、いまは深夜の二時半くらいや。


 俺はそっと檻の鍵を外して、部屋の外に出たんや。てっきり廊下も暗いもんやと思っとったから、明るくてびびった。電気代のこと考えへん人間とか、ほんまにおるねんな。いや俺も徳さんも考えてへんかったけど、意味が違うやろ。


 さて、台所を探すか。詳しく理由を言うつもりはないけど、実は初めて入る家の配置を想像するん得意なんや。大事なもんどこに隠しとんかも、まあすぐにわかるな。


 ざっと見渡す限り多分この家は、いやこの屋敷は、おそらくアルファベットの「H」みたいな形しとるはず。わかりやすくカタカナで言うと「エ」の形ってことやな。


 基本的な人間の心理として、大事なもんほど安心できる場所に置きたがるもんやねん。そう聞くと素人は、隠し場所は家の真ん中あたりかな、って考えるやろう。


 違うねんな。正解は、玄関から一番ドアを開ける回数が多い部屋や。本人も無自覚で隠しとるやろうけど、だいたいこの法則に当てはまるねん。


 ただ今回の問題は、いままで「H」とか「エ」の形の家なんか入ったことないから、どこになにがあるんかさっぱりやってことやな。


 いうて俺は別に、大事なもんを見つけたいわけじゃないねん。腹減ってとるから台所を見つけたいだけやねん。


 いま俺がおるんは、窓の景色見る限り二階やな。例えどんな形の家でも、二階に台所作るやつはおらんやろ、知らんけど。ちゅうことで一階に行けばええわけや。


 二股になっとる階段を降りて玄関ホールについた。そしたら右に行くか左に行くかで悩んでまう。ええ家は右側に応接間を置くことが多いし、左側はだいたい子供部屋か同居しとる老人の部屋や。それやったら奥に進むんが正解やろ。


 奥に続く廊下歩いてすぐ、俺はやっぱりなって思ったんや。


 見つけたんは食堂やった。中に入ってみたら暗い。さすがに電気はついてないみたいや。このさらに奥に台所があるんは間違いない。ほら、奥に入口があるやん。


 俺は長すぎるテーブルを横切って、その奥にある台所にいざ入ろうとしたんや。でもそのとき、物音が聞こえたから足を止めてん。途端に心臓がバクバクしだしたわ。


 耳を澄ましてみる。暗闇の中から、ぐちゅ、ぐちゃ、って聞こえてきとる。バケモンでもおるんか?


いやそんなわけないか。多分この屋敷の住人やろう。よし、こっそりと見たるか。


「にゃああぁあ!」


「うわあぁあああ!」


 俺は思わず叫び声が出てもた。だってなんかブリーフ一丁のおっさんがおるねんもん。んでなんか向こうもこっち見てびっくりしてるし。


 なんで深夜の台所に、ブリーフ一丁のおっさんがおるねん。そう思ったけど、向こうからしたら俺も同じか。


これどういう状況や……。


 こういうときは目の前にあることを、そのまま俯瞰するんや。おすすめなんは5W1Hやな。「いつ」「どこで」「誰が」「なにを」「なぜ」「どのように」って整理していくねん。さっそくやってみよか。


 深夜、台所で、二人のおっさんが、立ってる、なぜ、半裸で。


 これどういう状況や……。


 しかも一番重要な「なぜ」の部分が、一番わからんことになっとる。なぜや、なぜ半裸のおっさんが二人で向きあっとんや。


 そう思ったけど、俺の脳が即座に答えをはじき出したわ。ここまでにヒントはちゃんとあったんや。


 そう、あの男の子はこう言うとった。前に飼ってた猫がいなくなっちゃった、てな。つまりこのおっさんは、猫っちゅうことや。おそらくこの広い屋敷で迷ってもて、おらんなったと思われたんやろ。


 さて、じゃあ殺すか。


 このおっさんが戻ってきたせいで、俺が追い出されるかもしらんからな。庭の隅にでも埋めて、永久におらんなってもらおか。


 俺は半裸のおっさんに近づいて、首をしめようとした。


「ああ、君が拾ってきたっていう猫か。びっくりしたなあ」


 おっさんはそう言うて、手に持ってたハムをまたしゃぶり出した。


 なんやこいつ、猫のくせに堂々と日本語しゃべりやがって。頭おかしんちゃうか。

俺はおっさんの首に手をかけた。


「あはは、人懐っこい猫だなあ。前の猫が死んでから、息子はかなり落ち込んでたんだ。よろしく頼むよ」


 え、こいつあの男の子のお父さんなん? 猫じゃなくて?


 あ、そらそうか。頭おかしいんは俺のほうや。ブリーフ一丁のおっさん見て猫やと思うとか、どうかしとるわ。だいたい、もしほんまにこのおっさんが猫やったら、あの男の子まじでやばすぎやろ。


「にゃあ」


 とりあえず俺は猫のふりをしながら、お父さんに右手を差し出してみた。


「ん、このハムが欲しいのかい?」


「にゃあ」


「猫は塩分に弱いからだめだ」


「んにゃあ」


「うーん。じゃあ芸をしてみな。お手だ、お手」


 そう言うたお父さんは、俺に手のひらを出してきた。舐めんのも大概にせえよ! 俺は確かに戸籍を捨てたけど、プライドまでは捨てへんぞ。


「んにゃあ!」


 思いっきり拒否したったら、お父さんは困った顔しよった。ざまみろボケが!


「そうだよな。前の猫は太り過ぎて死んだんだ。それにこいつも、しっかり餌をもらったあとだろうし。甘やかさないようにしないとな」


「んにゅう……」


 しまった。つい熱くなって、とんでもないことしてもた。


 俺はここでいっそのこと、人間ですって言うてまおかなと考えてん。目の前のあの太いハム、あれがどうしても食べたいねん。


 んでもここで人間や言うたら、この屋敷から追い出されるかもしらん。長い目で見たら、ここは引き下がるべきやろう。でももうあかん、腹が減りすぎて我慢できへん。しゃあない、俺は人間ですって言うで。


「にゃにゃはにゃんにゃんにゃす」


「だめだって言ってるだろう」


「にゃにゃは、にゃんにゃんにゃす」


 え、あれ、なんで。日本語がしゃべられへんようになっとる……。


 俺は焦って、何回もしゃべろうとしたんや。でもなんでか「にゃあ」しか言われへん。


 何回も試してあかんってわかったとき、俺は腰がくだけてその場に座り込んでもた。まるでほんまの猫みたいに。


 なんちゅうことや……。


「にゃは、にゃはははは……」


 俺はこっちのホームレス村に馴染むために、標準語しゃべっとってん。そしたらいつの間にか、方言が口から出んようになってもて、ははは。


 んで今度は猫の言葉しゃべっとったら、日本語すらしゃべられへんようになりましたってか。


こりゃ笑える。なんもかんも捨てて、もう何もないと思っとった俺にも、まだ捨てるもんがあったんやからなあ……。








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。もしよろしければ、☆評価とフォローをお願いします!


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る