【完結】あの伝説のショートギャグ 猫のおっさん

むれい南極

第1話 猫のおっさん その1


猫のおっさん


  1


 絶対にバレへんようにせなあかん……。


 ここのホームレス村に流れてきて五年。日が浅い俺は、まだまだ新参扱いや。そのせいで稼ぎ時の年末に、ダンボールハウスの警備を押し付けられてん。


 くそっ、いまごろ徳さんら古参勢は、粗大ゴミ漁って大儲けしとるんやろうな。こっちは減りすぎた腹が、背中とくっつきそうになっとんのに。

こんなん、ゴミ利権の独占やないか! 俺ら新参には、一文の得にもならん留守番させやがってよお。


 まあホームレスの世界にも、権力の腐敗はあるっちゅうことや。元から腐っとる世界なだけに、一般社会よりもタチ悪いで。


 俺以外の新参ホームレスら(歴十年以内や)は、押し付けられたダンボールハウスの警備に、誰も文句言わんかった。みんなおかしいって思っとんのに、睨まれたくないから気付かんふりしとんねん。


 いくら年末は空き巣やら強盗が増えるいうても、誰がホームレスの家なんか狙うねん。そんなアホどこにおんねん、って思うやん?


 俺がそのアホや。


 いま古参勢は、年末の粗大ゴミ集めに必死になっとる。そのうちにリーダーである徳さんのハウスに、空き巣に入ることにしたんや。


 ああ、せやな。どうせ空き巣に入るんやったら、年末やからハワイ行っとる金持ちの家に入ったほうが効率ええわな。


 ちゃうねん、これは腐った政治に対するカウンターやねん。暴動起こさへんかったら、政治家にええようにされるだけやろ。せやから悪いことしたら、こっちも黙ってへんってのをわからせなあかんねん。まあ、絶対にバレへんようにするけどな。


 他の新参どもは全員、言われるがままダンボールハウスに閉じこもっとる。つまり俺が徳さんのダンボールハウスに侵入する姿は、誰にも目撃されへんってことや。暗黙の密室ってとこやな。


 俺はこっそりと、自分のハウスから出た。やっぱり誰も外には出てへん。足音に注意を払いながら、徳さんのダンボールハウスに近づいてく。心の準備が間に合わんくらいの近所や。


 玄関はダンボール製の引き戸やった。音を立てへんように開けたら、つんとした匂いが鼻にささる。俺はそのまま中に入ってん。


 じっくり家の中を見たん初めてやけど、なんちゅう広さや。これ三畳はあるやろ。それに冬やのに、えらいあったかいなあ。これダンボールの壁に、なんか加工しとるんちゃうかな。


 しっかしこの、つんとした匂い。なんでか懐かしゅうて、ええ匂いに感じるわ。

俺はくんくんと嗅ぎすぎて、すきっ腹のせいか、頭がくらくらしてきてん。まあでも食いもん探すことに集中しよか。


 目的のブツは見つけるん簡単やった。ようけ並んだブリキの箱の横に、一つだけダンボール箱があってん。そっから山盛りに、菓子パンがはみ出しとった。


 賞味期限なんかどうでもええ。俺は即座に手ぇ伸ばして、菓子パンを数個まとめて掴んでん。そしたらその下から、缶ビールの頭が出てきよった。


 徳さんめぇ。俺が飲みかけのジュースをカラスと争っとる裏で、こんなええもん飲んどったんかいな。


 俺は懐から出したビニール袋に、菓子パンと缶ビールを詰めていった。全部は盗まへん。少し減ったくらいじゃ、盗まれたことすら気付かんやろうからな。


 そうやってダンボール箱を漁っとったら、その一番底からこっちをまっすぐ見とる目があった。まさかと思って引っ張りだしたら、おいおいエロ本やないか。表紙の女が乳を放り出しとる。そしたら乳輪がぐるぐる回り出して、さらに頭がくらくらしてきよった。


 これ、ほちぃ……。


 あかん、なに考えとんねん俺は。人間が生きてく上で、一番大事なんは食いもんや。それやのに、ああ、どうして俺はこんなに、裸の女が欲しいねん……。

あかんぞ、これ盗んだら絶対にバレる。一冊しかないからな。


 でもこれ、ほちぃ……。


 そうや、持って帰らずに、ここでささっと使えばいいんや。


「仕方ない、ここで抜いていきますか」


 思わず出た自分の声で悲しなってもた。もう完全に標準語やんか。

関西からこっちにきて十年、周りに合わせるために標準語ずっと使っとった。そしたらいつの間にか、方言が出えへんようになってもた。心ん中では忘れてへんのにな……。


 まあ、ええわ。それよりも三日ぶりの飯と、十五年ぶりの女や。せや、どうせやったら徳さんの女を寝取ったろ。一番開きやすいページが、徳さんのお気に入りのページのはずや。


 ばさりとエロ本を落としたら、ツインテールの女の子が現れた。


 へえ、ロリコンやのう。


「よし、このページに」


 俺はズボンの中に手ぇ突っ込んだ。左手はエロ本に添えるだけ。たったそれだけで、まるで徳さんの女を押し倒しとるみたいや。興奮がやばいで。


 そんときやった。背後でガタガタって音がしてん。


 急に引き戸が動き始めよった。反射的に、徳さんらが帰ってきたんやってわかってん。


 俺は慌ててエロ本を蹴とばして、菓子パンとビールをざざっと箱の中に投げ入れたんや。


「おい、なにしてんだっ」


 赤鬼みたいな徳さんが、覗き込んできとった。やばい、めっちゃ俺のこと睨んでる。こんだけ色々あるのに、完全に俺とだけ目が合っとる。いや合ってないほうが怖いけど。


「え、あ、いえ……」


 よし、徳さんは俺しか見てないな。部屋の荒れた様子には、まだ気付いてないってことや。徳さん普段から、「俺くらいになると、目を見ればどんな人間かわかる」言うてたからな。アホで助かるわ。


 あとはこの場に沿った言い訳するだけや。


「徳さんにはいつもお世話になってるので、家のお掃除をさせてもらおうかと」

 我ながらナイスな思いつきやん。さあ徳さん、この完璧な掃除という言い訳に、なんか矛盾点でもありまっか?


 ここでようやく、徳さんの目が動いてん。少し下の方を見とるようや。


「掃除ってお前、股間そんなに腫らしてか?」


「え……」


 やばい、おっきしたまんまやんけ!


 俺はいっきにパニックになってもた。確かに、どんな理由があったら勃起しながら掃除すんねん……。でもここは怪しまれへんためにも、即座に理由を言わなあかん。


「すみません、徳さんの匂い嗅いだら、つい……」


 照れ臭そうに言うたら、徳さんの顔が青鬼みたいになってもた。吐いてもええよ、掃除はするから。


「ふざけんな、なにが掃除だよ。むしろ汚された気分だよ」


「すみません、すぐ出ていきますね」


「さっさと出てってくれよ」


「へへっ、じゃあ失礼します」


 外に出たら、すぐに逃げるしかないな。


 そう思って引き戸をくぐってんけど、最悪なことにノリさんが仁王立ちしとったんや。これは逃げられへん……。


 やばいでこれは。ノリさんは取り巻きであり、同時に用心棒でもあるねん。逃げようとしたら、すぐに引きずり倒されてまうわ。


 そんでダンボールハウスの中から、徳さんの声が飛んできよった。


「ノリ、そいつ逃がすなよ。食料箱がやられてる。他にも物がなくなってないか、調べるからよ」


「ウス」


 おいおい、こいつら正気か。なんの証拠もない段階で、俺を犯人扱いしとるやんけ。


 ほんまは俺が泥棒とか関係なく、無理やり犯人に仕立て上げるつもりなんやろ。俺はなんも盗ってない。留守に侵入して、食料箱を漁っただけやで?


 そんな司法の横暴には、この国の一員として断固反対や。堂々と立ち向かったるわ。


「へっ、ずいぶん青い顔してんじゃねえか」


「そそそそ、そんなことないですよ」


 あかん、全身がぶるぶる震えてまう。だってノリさん、人間でハンバーグ作ったことあるって言うてたもん。


 そうしとったら、ダンボールハウスの中から、また徳さんの声が聞こえてきよった。


「ああ、色々なくなってるわ」


「なにも盗んでないですって」


 俺は標準語でそう言うたけど、返事なかった。しばらく待ったけど、返事なかった。


 しゅぼっ。


 そんでノリさんが、タバコに火ぃつける音だけが聞こえてん。それが妙に響いとった。急に静かになるんやめて、めっちゃ怖い!


 このままやとえらい目に合わされる。なんとか隙を作って逃げなあかん。でもできるんか、そんなことが。いや、やらなあかん。


 俺はノリさんに声をかけた。


「人生最後の一服として、自分にも吸わせてくれませんか」


「ははは、こいつ生意気に死ぬ覚悟ができてやがる」


 ノリさんは「いいぜ」って言うてから、吸いかけのタバコをくれた。

 一口吸うたら、喉奥に煙の圧力がガツンとくる。うまい、美味いな……。せやからもったない、もったないね。


「ノリさん、最後の一服ありがとうございました」


 俺はそう言うてから、ダンボールハウスにタバコを投げ込んだった。天誅じゃい!

 そんで俺はすぐ走って逃げだしたんや。


 後ろから悲鳴が二つ聞こえるで、うわぁああってな。ざまみろボケが。どれ、慌てた顔でも最後に見たるかい。


「あっあっあっ、うわあぁああぁっあっ」


 気付いたら俺が一番でかい声で叫んどった。


 だって徳さんのダンボールハウス、めっちゃ燃え上がっとんねん。大丈夫これ、空とか焦げへん?


 物は盗っても、命は盗らへん。俺は慌てて戻ったんや。


 そんときに炎の中から徳さんが、両手を十字にして飛び出してきた。良かったぁ。


「大丈夫ですかって、ぶわぁ」


 駆け寄って優しい声をかけた俺を、徳さんが押し倒してきよった。


「こいつ、俺の家にシンナーあること知ってて火ぃつけやがった」


 ああ、あの懐かしい匂いはシンナーやったんか。エロ本とシンナーは相性最高やからな。


「シンナーがあるなんて知らなかったんです、本当です」


 俺はほんまに知らんかった。なんせいま知ったくらいやからな。でも徳さんが疑うのも無理はない。せやから真実の光を目に宿して、訴えかけることにしたんや。


「てめぇ、ぶっ殺してやるからな」


「待ってください。そして見てください、この目を。本当のことしか言わない目ですよ」


 徳さんは俺の目を覗いてきよった。そんでどうやら、真実の光を見つけたようやった。


「なんだこいつ……。留守に人の家で勃起しといて、なんて無垢な目をしやがる」


「そうでしょう。本当にシンナーのことは知らなかったから、こんな目ができるんです」


 こういうときに一番有効なんは、変に言い訳せんことや。ちゃんと真実だけを言うて、信頼を得るんや。そしたら人間同士はわかりあえる。言葉すらいらんほどにな。


「シンナーのこと知らなかったんなら、なんでタバコなんか投げてきたんだよ」


 徳さんは真剣な目でそう訊いてきたんや。せやから俺も男として、真剣な表情で返さなあかん。


 俺はほんまの気持ちを話すことにした。


「放火しようと思ったからです」


「……」


 徳さん、言葉を失ってるわ。


 このあとどうなったかは、言わんでもわかるよな。人ってここまで残酷になれるんやね。


  2


 ぼっこぼこにされた俺は、身ぐるみまで剥がされた上で、ホームレス村から放り出されてもた。いまはブリーフと、猫耳ヘアバンドしか身に着けてへん。


 ブリーフはともかく、猫耳ヘアバンドなんかで暖を取れるわけないやろ。


 ノリさんが最後の情けや言うて、燃えへんゴミで拾ったやつくれてんけど意味わからん。でも今年の冬は寒すぎて、ないよりはましなはずや。


 ふらふらになりながら、俺はなんとか公園の草むらに倒れ込んでん。寒さで乳首がびんびんで恥ずかしいから、人目を避けたかったんや。それに草って結構あったかいしな。


 それにしても、しこたま殴りやがって。


「いにゃあ」


 痛いって言おうとしたら、口が腫れとって、猫みたいになってもた。くそ、俺こんなとこで死んでまうんか。どうせ死ぬんやったら、最後に家族に会いたいわ。あいつら関西に置いてきて、いまごろどうしてるやろか。息子の正樹はもう大人になっとるやろか。会いたいなあ、顔みたいなあ。


「いにゃあ」


 体も痛いねん。でも心のほうがもっと痛くて、情けない声が出てまう。

へへ、もう全部ぼろぼろやん。体も心も、人生も。ホームレスの世界でさえ、俺は上手く生きられへんのかいな。そしたらもう、死んでもたほうがええやんか。


 そう思ったら、意識がどんどん遠くにいきよる感じがしてきてん。神さん、死ぬんやったらはよ頼むわ。


 あ、なんか瞼の裏が白くなってきた。なんかの気配がするなあ。もし生まれ変わるんやったら、次はもう毎日、働きもせんと寝るだけの猫になりたいなあ。いまとあんま変わらんか。


 あれ、なんか人の気配する。神さん、ほんまにおったんですか。


「この声は猫かな?」


 なんや、人の声か。この感じは多分、若い男の子の声やな。


「怪我してるみたいな鳴き声だったなあ。おーい、どこにいるんだい」


 優しい男の子やな。息子の正樹も、こんなふうに優しい子になっとんやろか。死ぬ前に正樹みたいな声が聞こえてよかっ……。


「どこだい、怪我してるなら保護するから鳴いてごらん。僕の家は金持ちだし、すごく広くて暖かいよ」


 え、徳さんの家よりも?


「ご飯もあげるよ」


 飯って聞いたら、遠くに行っとった意識が戻ってきて、空っぽになった腹に入ってもた。あかん、めっちゃ腹減ってきたわ。これもう我慢できへん。


 それで、家族を捨てて戸籍まで捨てた俺は、とうとう人間まで捨てることにしたんや。


「に、にゃあ……」


 鳴いたら男の子はすぐに走ってきてくれた。それで俺を見た途端、目を見開いて驚いた顔したんや。


 やばい俺、猫ちゃうかった。


 客観的事実だけで言うなら、猫耳つけたブリーフ一丁の汚いおっさんや。


 猫耳かブリーフのどっちか一つでもやばいのに、両方同時とか絶対やばい。それに乳首まで見られてもた。あとまだ見せてへんけど、ブリーフもめっちゃ汚れとんねん。前が黄色で後ろが茶色や。


 男の子は俺を見て、もう完全に固まっとった。そらそうや。にゃあって聞こえて近づいたら、ほぼ全裸のおっさんやからな。しかもぼこぼこにされとるし。


 さあ、哀れな俺の姿をもう見んといてくれ。さっさとどっか行ってくれや。


「おっきな猫だなあ」


「にゃ?」


 へ、俺を見て猫って言うた?


「はは、ブリーフだけじゃ寒いよね。かわいそうに」


 猫耳ヘアバンドには触れへんの?


 男の子は顔を俺に近づけてきた。


 細い男の子やなあ、中学生か高校生くらいやろか。さらさらの前髪の奥で、目が涙ぐんでるやん。ほんまに俺のこと心配してくれとんか。そうか……。


 すぐに逃げな。


 この男の子、絶対やばい。猫耳つけたおっさんの俺よりやばい。いまの俺見ておっきな猫て、徳さんのシンナーでも吸うとんちゃうんか。


 俺は無理やりにでも、体を起こそうとしてん。そうじゃないと、殺されるよりひどい目に合わされると思ったからや。だってこいつ絶対サイコパスやもん。


 でも体がめちゃくちゃ痛かった。そしたらまた声が出てもてん。


「いにゃあっ」


「うわ、大人しくしなよ」


 男の子はそう言うて、俺の汚い体を優しくさすってくれてん。そしたらなんでやろ。撫でられとる部分、痛みはあるにはあるんやけど、楽になっていくんや。


 俺はなんでか、まるで正樹に優しくされとるようで……。


「いにゃあ、いにゃあ」


「かわいそうに、どこが痛いんだい」


 全部や、全部が痛いねん。


 なにやっても人以下の自分、時間はあるのに努力せえへんかった自分、とうとう戸籍までなくしたのに、そこでも上手くいかへんかった自分が痛いねん。


「いっぱい泣いていいんだよ。いまアプリでタクシーを呼んだからね」


 男の子はそう言うて、俺を撫で続けてくれた。


 あ、また気が遠くなってきたわ。空きっ腹に戻ってきとった意識が、またどっかに行こうとしとる。


 おい意識、どこ行くねん。


 心が優しさでいっぱいになったから、居場所がなくなったんか?


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