そこに影は残っていますか?

 放課後――放送室の前を通ると、古い備品が廊下に出されていた。

 先生と放送部の人たちが室内を掃除している。


 ぼくと石輪さんは、床に散らばった物をよけながら、廊下を進んだ。

 でもあまりにも物が多すぎて、ぼくはそのうちの一つを蹴飛ばしてしまう。


 カシャッ!

 シュルシュルシュルシュル!


 廊下の先で、ぼくが蹴飛ばした物が回転する。

 石輪さんが駆け寄り、それを拾ってくれた。


「ごめん、石輪さん。ぼくが戻してくるよ」


 だが石輪さんは、手の中のそれをジッと見つめている。


「どうしたの?」


 彼女が拾ってくれた物をぼくは横から覗きこむ。

 小さくて四角い、透明のケース。

 見たことがある。

 これ、カセットテープだ。


『そこに影は残っていますか?』


 ケースには、綺麗な文字でそう書かれていた。


「――って、どういう意味?」


「何かの記録かな? 興味深いね。太郎がこれを蹴飛ばしたのは、もしかしたら運命なのかも」


 石輪さんがそれを持って、掃除中の先生のところに歩いていく。

 少し話をしたあと、戻ってきた。


「どうせ処分する物だったから、持って帰っていいって。再生する機械も貰ってきた」


 石輪さんの手には、濃いブルーのメカが握られていた。

 カセットテープより、少し大きくて分厚いサイズ。

 初めて見るその二つに、ぼくはなんだかめちゃくちゃ盛り上がってくる。


「これ、音が入ってるんだよね?」


「うん。帰りながら聞いてみようよ」


 学校を出て、ぼくたちは校門の近くにある山本文房具店に入った。

 単3電池を購入し、再生メカにセットする。

 カセットテープを入れてPLAYボタンを押すと、わずかなノイズが流れた。

 ぼくと石輪さんは、お店の前でジッと耳をすませる。


『こんにちは。私の名前は新井田にいだチカ。放送部の6年。もうすぐ卒業です』


 可愛らしい、女の子の声だった。

 古い録音だからか、彼女の後ろではサーッという雑音がずっと続いている。


『私のこの録音を聞いているのは、一体どんな人なんだろう? 再生する機械の電池はどうですか? もし切れてたら、校門を出てすぐの山本文房具店で買っているはずです』


 彼女の言葉に、ぼくと石輪さんは顔を見合わせる。

 この声の子は……ぼくたちの行動が見えてるのだろうか?


       〇


『もしあなたが今ヒマだったら――山本文房具店を出て、右。学校の塀に沿って歩いてみてください』


 石輪さんが、そこで再生メカの停止ボタンを押した。


「どうする、太郎? 続ける?」


「石輪さんは? 何か用事ある?」


「ない。太郎は?」


「ないよ」


「よし。じゃあ、続けよっか」


 石輪さんが、再生ボタンを押す。


『塀に沿って歩くと、すぐに小さな交差点がありますよね? 交差点の角っこに『グッピー』というパン屋さんが見えるでしょう? グッピーはものすごく人気のあるパン屋さんで、メロンパンがとてもおいしいです。もしあなたが今そこを歩いているのなら、ぜひグッピーでメロンパンを買ってみてください』


 ぼくと石輪さんは、交差点に立ち止まった。

 でもその角に、グッピーという名のパン屋はなかった。

 石輪さんが、再生を止める。


「この新井田さんが語ってるのは、このあたりの昔の風景なんだ」


「だから『そこに影は残っていますか?』ってタイトルなのかな?」


「でもグッピーの影は、もう残っていない……」


 石輪さんがボタンを押し、再生がはじまる。


『その交差点を左折です。まっすぐ、同じように学校の塀に沿って歩いてください。大きな通りに出ましたか? そこを渡る時は気をつけてください。信号が無いので、とても危険です。もし雨が降っていたら、車の通りがおさまるまで、電柱に隠れて。泥がはねて、服にかかります』


 ぼくと石輪さんは、そこで立ち止まった。

 歩行者信号が赤だったからだ。

 ぼくたちの前を何台もの車が通り過ぎていく。


「昔は、ここ……信号がなかったんだ」


「みたいだね。泥がはねるってことは、舗装もされてなかった」


「この女の子は、一体いつの時代の人なんだろう?」


「たぶん、昭和だよ」


「昭和……」


 信号が青になる。

 ぼくと石輪さんは歩きはじめた。

 それと同時に、再生メカからの声も再開される。


『道路を渡ると、ゆるやかな坂があります。左にあるのは中間くんの家。中間くんは勉強はできるけど、ちょっといじわるな人です。私は苦手かな。その隣に住んでるのは、今野さん。彼女はとてもやさしい人で、いつも雑誌を貸してくれます』


 坂を上がりながら、横の家の表札を見ると、『中間』という文字はなかった。

 でもその隣の家には、『今野』という表札が見える。


「中間くんは引っ越したのかな?」


「だろうね。いじわるな人は、その土地をケガレチにする。だから土地が嫌うんだ」


 ぼくたちの短い会話のあと、新井田さんの声が少し明るくなる。


『少し進むと藤田商店があります。そこのおばあちゃんは、とても良い人。ノドが渇いてたら、ジュースを買ってあげてください。あぁ、未来には、一体どんなおいしいジュースがあるんでしょう?』


 ぼくたちの前に、コンビニが見えた。

 再生メカを切り、そこに入ってジュースを選ぶ。

 レジで会計しようとすると、店員のオジサンのネームプレートが『藤田』だった。


「あの、すいません」


 石輪さんがカウンターにジュースを置き、店員のオジサンに話しかける。


「こちらは昔、藤田商店というお名前でしたか?」


 石輪さんの言葉に、そのオジサンは少し驚いていた。


「はい。お客さん、お若いのによくご存知ですね? たしかにウチは、昔、藤田商店でした」


「いつ、コンビニに?」


「平成ですよ。祖母は反対したんですけど、ウチの親父が強引に……って、あの……」


「あぁ、いえ。私の親戚がこの近くに住んでるんです。で、昔ここが『藤田商店』という名前だったって聞いたものですから」


「そうなんですね。だったら、そうです。ウチは昔、藤田商店でした。今も心は藤田商店ですよ」


 オジサンがそうほほ笑み、ぼくたちはお金を払って店を出る。

 駐車場の隅っこで、ジュースのペットボトルを開けた。


「少しだけ、影は残っていたね」


 ぼくの言葉に、石輪さんがうなづく。

 だけど彼女は、なんだかうかない顔をしていた。


「どうしたの、石輪さん?」


「ねぇ、太郎。この展開、なんだかイヤな感じがしない?」


「イヤな感じって?」


「だってそうでしょう?」


 石輪さんが、手の中の再生メカを見つめる。


「新井田さんは、どうしてこんな録音を残したんだろう? しかもタイトルが『そこに影は残っていますか?』って」


「……」


「このカセットテープの状態。彼女が語る風景の描写は、間違いなく昭和のものだ。つまり新井田さんは、昭和の小学6年生だった」


「うん……」


「そしてこのカセットテープは、おそらくは1970年代後期の物。つまりものすごく高価だった時代。ご存命であれば、新井田さんはおそらく60歳前後……」


「ひょっとして……もう亡くなってるかもしれないってこと?」


「わからない。でも当時の小学生が、こんな高価なカセットテープに、こんな日常の風景を録音をしてるんだ。何か、不思議すぎない?」


「うん……まぁ、それは、そうかも……」


「どうする、太郎? 続ける?」


 石輪さんに聞かれて、ぼくは迷う。

 たしかに石輪さんが言う通り、このカセットテープは不思議だ。


 それに新井田さんが語る風景は、もうとっくに、この世界から姿を消していた。

 『そこに影は残っていますか?』と彼女は聞くけど、影もカタチも残っていない風景の方が多い。


「でも……このテープを見つけた時、きみ、言ったよね? ぼくがこれを蹴飛ばしたのは、もしかしたら運命なのかもしれないって」


「うん。言った。だって、ふと、そんな気がしたから」


「だったら――ぼくは最後まで続けたいな。新井田さんが見ていた風景の続きを、ぼくも見てみたい」


「わかった」


 ぼくたちはコンビニの駐車場を出て、歩きはじめる。

 あたりはもうすっかり夕陽のオレンジで染められていた。


『藤田商店を出て、柳田化粧品店の横の道を進むと――あとはもう山です。一本道。まっすぐに上がってください』


 彼女に言われた通り、ぼくたちは坂道を上がる。

 結構、エグい角度の坂だった。


『右手に大きな墓地が見えるでしょう? そこはとても怖い場所です。私のオバサンは、若い頃、そこで人魂を見ました』


「なんで今、そんなことを言うんですか……」


 ぼくがつぶやくと、石輪さんが笑う。


「太郎は人魂が怖いの?」


「怖いって言うか……イヤじゃない? 人魂って、怖いって言うか、イヤだ」


『そこからさらに上ると、池が見えます。小さな池です。そこは昔から霊が出ます。溺れ死んだ子どもの霊です』


 新井田さんが、またイヤなことを言う。

 となりで石輪さんが、クククと笑いを我慢していた。


『左の上の方に変電所が見えますよね? そこには昔、UFOが来ました。本当です。新聞社の人が来て、私も取材を受けました』


「一体ここ、どんだけオカルト地帯なんですか、新井田さん……」


 ぼくたちはさらに上に登る。


『道のそばに、ヨモギが生えていませんか? 私の祖母はいつもそこでヨモギを摘み、ヨモギ餅を作ってくれます。甘くて、とてもおいしいです』


 道のそばに石輪さんがしゃがみ、一本の草を摘む。


「ヨモギだ。新井田さんのおばあちゃんは、これでヨモギ餅を作ってたんだ」


『そこで立ち止まり、振り返ってみてください。海の方です』


 新井田さんの言葉に、ぼくと石輪さんは海の方角に顔を向ける。

 そして――ハッと息を飲んだ。


 夕暮れの街並みがズラッと横に広がり、その向こうにオレンジ色をキラキラと反射する海が見える。

 美しい光景だった。

 その光景を見て、ぼくはなんだか不思議な気持ちになってくる。

 時間とか空間の区別が、全部どうでも良くなってくる。


『あなたが今見ている風景は、綺麗ですか? 未来の世界でも、相変わらず美しいですか? そこに、私が今暮らしている場所の影は、残っていますか? 私は今、ここからの風景を見ています。ここから見える夕暮れはとても美しいです。未来の世界でも、その美しい風景が続いていることを祈ります』


「と、とても綺麗です、新井田さん……」


「うん……とても綺麗だ。なんだか吸い込まれて行きそうだよ。地球の風景って、こんなに美しいんだ」


『それじゃあ、この録音を聞いてくださった方、どうもありがとうございました。これはあなたにこの風景を見てもらうために録音したものです。放送室に置いておきます。もしおヒマでしたら、このカセットテープを持って私の家に遊びに来てください。私はその場所の近くに住んでいます。いっしょに、この素敵な風景を見てみませんか?』


 カセットテープは、それで終わった。

 ぼくと石輪さんは、お互いの顔を見つめる。

 その時、道の向こうから、一人の女の子が近づいてくるのが見えた。


 3年生くらいだろうか?

 たぶん、ウチの小学校の子だ。

 白い、雑種犬を連れていた。


「ねぇ、あなた」


 石輪さんが彼女を呼び止める。


「はい?」


 女の子が不思議そうな顔でこちらを見上げた。

 白い犬もハッハッとぼくたちを見ている。

 ぼくと石輪さんは――彼女の名札を見て、愕然とする。

 『3年3組 にいだ つぐみ』


「あなたのおばあちゃん、もしかして、新井田チカさん?」


「はい。そうですけど」


「苗字が、変わってないのか……」


 ぼくがつぶやくと、女の子が言う。


「あのね、おじいちゃん、養子なの」


「おばあちゃんは、今、どこ?」


 石輪さんの質問に、女の子は少し首をかしげた。

 ぼくたちの心に一瞬イヤな予感がよぎる。

 だがその女の子は、不思議そうな顔のまま、石輪さんに答えた。


「家にいますけど? おばあちゃんに何か御用ですか?」


 その瞬間――ぼくは感動した。

 なんだかよくわかんないけど、心の底から、めちゃくちゃ感動していた。

 同じように、なぜかウルウルきている石輪さんが彼女に言う。


「おうちまで案内してくれる? あなたのおばあちゃんに渡したいものがあるの」


「じゃあ、こっちです」


 女の子と白い犬が歩きはじめ、すぐそばの小道を下りていった。

 両側に生い茂る木々を抜けると、段々畑と一軒の家が見えてくる。


「おばあちゃーん! お客さーん!」


 遠くに立った女性が彼女に手を振り、ぼくたちに不思議そうなお辞儀をする。

 ぼくたちは一旦立ち止まってお辞儀を返し、女の子といっしょに坂を下りていった。


 新井田さん、あなたがカセットテープで教えてくれた当時の世界の面影は、今もここに残ってますよ。

 あの美しい夕暮れ――時を超えて、ぼくたちといっしょに見てくれますか?

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