きみの誕生日が決まる
ぼくとぼくの彼女・石輪亜季さんが付き合いはじめたのは、この秋のことだ。
ということは、ぼくたちが彼氏・彼女になってから、もう二ヶ月になる。
そんなある日、ぼくはふと、とんでもない事実に気がついてしまった。
それは……
なんとぼくは――自分の彼女・石輪亜季さんの誕生日を知らなかったのである。
それに気づいた時、ぼくはちょっと自分自身に衝撃を受けた。
ぼくはとてもいいかげんな人間だ。
だけど、これはダメだ。
絶対に、ダメだ。
自分の彼女の誕生日を、知らないだなんて……。
「おはよう、太郎。なんだか急に寒くなってきたね。ほら、見てよ」
朝、いつもの待ち合わせ場所で、石輪さんがハァッと息を吐いて見せる。
白い。
冬がもう、すぐそこまで来ている。
石輪さんは――今日も美人だ。
秋も似合っていたけれど、初冬の通学路に立つ石輪さんもとても素敵だ。
「あ、あの、石輪さん」
学校に向かって歩きながら、ぼくは石輪さんに言った。
「ん? 何?」
「ぼく、今までずっと、きみに大事なことを聞き忘れてたんだ」
「大事なこと? そっか。うん。じゃ、聞いてみて」
「石輪さんって――誕生日、いつなの?」
ぼくの言葉に、石輪さんはピタリとその場に足を止めた。
ものすごい真顔で、こちらをジッと見つめている。
こ、これは、さすがに……怒った?
いや、でも、それはそうだ。
この二ヶ月、毎日ずっといっしょにいるのに、彼女の誕生日すら知らないぼくの方が完全に間違っていた。
「太郎」
「うん。いや、ごめんなさい。すいません。ぼくが悪かった。心の底から謝る……」
「いや、そうじゃなくて。なんか――ありがとう」
「え?」
「ついうっかりしてた。盲点だったよ。地球人にとって、誕生日は非常に重要だった……」
「は、はぁ……」
ぼくの彼女・石輪亜季さんは、金星人だ。
だからぼくたち地球人から見れば、ちょっとヘンなとこがある。
でも彼女が金星人だからこそ、ぼくはこの二ヶ月、フツーの人間じゃあなかなか体験できないことを色々としていた。
「あの……もしかして金星人って、誕生日がそれほど重要じゃないの?」
「そうだね。重要なのは生まれた日じゃなく、『生まれてから何をするか?』だから」
「そ、そっか。でも自分が生まれた日くらい覚えてるでしょ?」
「自分が生まれた日……うーん……気にしたことがないなぁ……」
「ひょっとして、わかんない?」
「うん。わかんない。太郎が生まれた日は、11月7日だよね? もうすぐだ」
「な、なんでぼくの誕生日を知ってるの?」
「私、太郎のことなら何でも知ってるけど?」
フツーに言う石輪さんに、ぼくはなんだか「えぇ……」と肩を落とした。
石輪さんは、ぼくのことを何でも知っている。
なのにぼくは、石輪さんのことを何も知らない……。
「あのさ、石輪さん……」
「うん」
「大体でもいいからわかんないかな? その、石輪さんの誕生日」
「大体……うーん、でもホントによくわかんないの。気にしたことないから」
「地球人って、誕生日にお祝いをするんだよ。で、石輪さんも今、地球に住んでるだろ? だったら誕生日がないと、色々と困る場面があるんじゃないかな?」
「……たしかに。これからずっと太郎が死ぬまでここにいるわけだから、困ることはあるかもね」
「だったら誕生日を決めた方がいいと思う。ぼくだって、石輪さんがこの世界に生まれてきたことをお祝いしてあげたいじゃない」
「お祝いしてくれるの?」
「もちろんするよ。だって自分の彼女なんだよ?」
「太郎って、やさしい!」
いつものように、石輪さんがぼくの腕にしがみついてくる。
石輪さんの体はあったかくて、うれしい――だけど、こんな風にイチャイチャしながら登校するのは、やっぱりダメだ。
「い、石輪さん! ダメ! 今、朝! 登校中!」
「ちょっとくらいいいじゃん……」
「ダメだよ。良くないって、こういうの」
「じゃあね、太郎。私――あの日にするよ!」
石輪さんが人差し指で、前を指さす。
歩道に面した洋服屋のガラス窓。
宣伝用のPOPが貼られているのが見えた。
オレンジ色のカボチャのイラスト。
カボチャは、なんだか邪悪なほほ笑みで、ぼくたちにこう語りかけている。
『10月31日 一日限りのハロウィン大セール! 最大80%OFF!』
「ハロウィン……10月31日……」
「良くない? なんか覚えやすいし、太郎の誕生日とも近いでしょう?」
「そうだね……それになんだか、石輪さんにも似合ってる気がする」
「似合ってる? どういうこと? 私って、カボチャ?」
「そうじゃない。雰囲気だよ。石輪さんはぼくにとって、とても興味深くて不思議な人だから……」
「じゃあ、10月31日が私の誕生日だね! やった! うれしい! 誕生日ができるだなんて、私、生まれて初めてだよ!」
ニコニコしながら、石輪さんが通学路を歩いていく。
そんな彼女を見つめながら、ぼくは「誕生日を決めて良かったな」と思った。
でも、まぁ、誕生日を決めたって言うのも、なんだかヘンな話だけど……。
〇
石輪さんの誕生日が決まると、次は当然プレゼントだ。
しかしぼくんちは、単なるフツーの家庭だった。
小学生のぼくが、女の子に何かプレゼントを買えるようなお金なんて与えられていない。
だとすれば――ここはやっぱり、手作りしかなかった。
手作りで、プレゼント……。
さて、一体何を作ればいいのか……。
そんなことをボーッと考えていると、ぼくはリビングの隅っこに、ひとつの紙袋を見つけた。
それは、去年からあの場所に置かれている物だ。
たぶん、もう使わないんじゃないだろうか?
「ねぇ、母さん。あれ、貰っていい?」
「あれって?」
「ほら、隅っこにある、紙袋」
「あんなの貰ってどうするの?」
「じゅ、授業で使うんだよ」
「授業?」
「今度そういう授業があるんだ。だから、その、わざわざ買うのも、もったいないじゃない」
「あぁ、そうだよね。小学校って、男子もそういうのをやらされるよね。でもそれ、高かったんだよなぁ」
「でも、もう使わないんでしょ? 去年からずっとここに置いてあるし」
「お母さんもね、色々と忙しいの」
「じゃあ、貰っていい?」
「無駄にしないでよ。途中で投げ出したりしないように」
許可を貰ったので、ぼくはその紙袋を持って、自分の部屋に戻る。
新品だ。
しかも高い。
これ、きっと石輪さんに似合うような気がする。
ぼくは、めちゃくちゃやる気になっていた。
まずは……図書館だな。
〇
「ねぇ、今日、ハンバーガーでも食べて帰らない?」
翌日の帰り道、石輪さんが言った。
でもぼくは、やんわりとそれを断る。
「いや、ぼくね、ちょっと用事があるんだ」
「用事?」
「うん。ぼく、最近ちょっと忙しくてさ」
「そっか……まぁ、そうだよね。太郎にだって、色々と用事はあるよね」
少しさみしそうな石輪さんを見送り、ぼくは家路を急ぐ。
石輪さんの誕生日・10月31日まで、時間はあと少ししかない。
難しすぎて、進行はちょっと遅れ気味。
なにしろぼくは、こんなものを作るのは、生まれて初めてなのだ。
〇
そして――石輪さんの誕生日・10月31日がやってきた。
ハロウィン。
このお祭りのことを、ぼくはあまりよく知らない。
だけどこの時期になると、色んなお店の店員さんが仮装し、お店が大忙しになる。
「ずっと不思議に思ってたんだけど……これって、何のお祭りなんだろう?」
「昔、ケルト人がやってたお祭りだよ。収穫祭。農業だね」
「あぁ。だからカボチャなんだ。でもなんでそれを、日本人が?」
「不景気だからじゃない?」
「不景気……」
「キャピタリズムだ。経済は、使えるものは何でも使おうとする」
「石輪さん、たまにすごく難しい話をするよね……」
「でもこの国にとっては、単なる仮装大会だよ。いいんじゃないかな? みんなが楽しんでるんだから」
「何か飲もうよ。今日はぼくがおごる」
ぼくは、自分から石輪さんの手を取った。
初めてリードするぼくに、石輪さんがほほ笑みを浮かべる。
やっぱり、こういう風にされると、女の子はうれしいんだろうか?
女の子って言うか、金星人もうれしいんだろうか?
石輪さんを商店街のベンチに座らせ、彼女が言った飲み物を買ってくる。
ココアだ。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
ココアを受け取ると、石輪さんはそれを大事そうに両手で包んだ。
ひと口飲み、フゥと白い息を吐き出す。
「ねぇ、太郎」
「ん?」
「今日ね、私、誕生日なんだ」
「うん。おめでとう」
「初めてだよ。誕生日。なんだかうれしいね」
ぼくは石輪さんが本当は何歳なのか聞いてみたくなる。
でも、たぶん、そんなことは無意味だ。
彼女はきっと、自分の本当の歳も知らない。
なぜなら金星人は、自分の誕生日すら知らないのだから。
「だけどね、太郎」
「うん」
「私、太郎のことは何でも知ってるんだ。だから太郎が親からあんまりお小遣いをもらってないことも知ってる」
「マジか……いや、ホント、そうなんだよ。ぼくの親、あんまりお小遣いをくれないタイプなんだ」
「だからね、私の誕生日だからって、べつに太郎は無理してプレゼントを買ってくれなくていいんだよ。私は太郎といっしょに、自分の誕生日を決めた。それだけでもう充分なんだ」
「本当にそれだけで充分なの?」
「うん。だって誕生日だよ? そんなの、金星人の誰も持ってない」
そうほほ笑む石輪さんに、ぼくはランドセルに入れておいた紙袋を取り出した。
「お誕生日おめでとう。これ、ぼくからのプレゼント」
「え? マジで? どこにそんなお金があったの?」
「お金のことは言わないでよ。一生懸命、心をこめて作ったんだ。受け取ってくれる?」
「もちろんだよ。うれしい。ねぇ、中を見てもいい?」
「うん」
石輪さんが、紙袋に手を差し込む。
中に入っている物を引っぱり出し、驚いたようにそれを見つめた。
「これは、何? とっても綺麗だけど……」
「あんまりきちんと揃わなかったんだ。なにしろ初心者だからね。でも人生で、初めて作った力作だよ」
「これ、どうしたらいいの?」
「こうやって……」
ぼくはそれを石輪さんの手から取り、彼女の首にくるりと巻いてあげる。
マフラーを巻いた彼女は、上目遣いでぼくをジッと見つめた。
「何、これ? すごくあったかい……」
「マフラーっていうんだ。今、少しずつ寒くなってるだろう? 石輪さんが風邪をひかないように、生まれて初めて編んでみた。でもさすが、石輪さんはどんな色でもよく似合うね」
石輪さんがココアを横に置き、
「これって……地球人の男性が、好きな人に贈る物?」
「いや、ほとんどの場合、彼女が彼氏に編んであげるんだ」
「じゃあ、どうしてきみは、私に?」
「単純に、お金がなかったのと……これから寒くなるからかな」
「寒く、なるから……」
「図書館で何冊も本を借りて、めちゃくちゃ勉強したよ。誕生日に間に合って、ホッとしてる」
「ありがとう、太郎……」
石輪さんが、まっすぐにぼくを見て、そうつぶやく。
「とってもあたたかいよ。だから私、風邪なんかひかない」
ぼくの首に腕を回し、石輪さんがギュッと抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっと待って、石輪さん……ここ、商店街……クラスの誰かに見つかったら、かなりマズい……」
「マズくないよ。そんなの、あとで探して、その人の記憶を消せばいいだけだ」
「そ、そんなことも……できるの?」
「私を誰だと思ってる?」
「金星人……」
ぼくと石輪さんは、それから手をつないで商店街を歩いた。
商店街では、若者たち以外にも、働いているオジサンやオバサン、チビッコたちがなんだかミョーな仮装をして歩いている。
「でもあの人たち……みんなこのお祭りの意味をわかってるのかなぁ?」
「意味? そんなもの、わかってなくてもいいんじゃない?」
「そう?」
「うん。意味なんて考えちゃダメだ。その先には、行き止まりしかない。一番重要なのは、地球人がニコニコと笑ってることだよ」
「……そうだね」
ぼくたちは、商店街の人々の仮装を楽しみながら歩いていく。
石輪さんはご機嫌で、ぼくの編んだマフラーに顔をうずめていた。
そんな風にして、石輪さんの初めての誕生日は終わった。
ぼくはあまり自分の誕生日を祝われたことがないからよくわかんないけど……石輪さんの誕生日を祝って、本当に良かったと思う。
ぼくたちが笑顔で、ぼくたちだけの空気が流れていて、ぼくたちだけに通じる会話があれば、ぼくたちはいつでもあたたかくなれた。
たとえぼくたちが、どんな寒い場所にいたとしてもね。
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