野菜と重い金属がつながる日

「お! 太郎、来てくれたのか?」


 廊下を歩いていると、水島みずしまさんがそう声をかけてきてくれた。

 西側校舎の3階廊下。


 今日はこの鶯岬高校の文化祭だ。

 水島さんは、ぼくんちの近所に住んでいるおにいちゃん。

 この学校の生徒で、今日はぼくを文化祭に誘ってくれた。


「えっと、こちらは……」


 ちょっと戸惑った視線で、水島さんがぼくのとなりを見る。

 ぼくのとなりには、ぼくの彼女・石輪いしわ亜季あきさんが立っていた。

 いつものように、ぼくの腕にしっかりとしがみついている。


「あぁ。あの、石輪亜季さん。ぼくの彼女です」


「た、太郎……お前、彼女いるの? 小学生で? しかもこんな、セクシー小学生……」


 水島さんが、石輪さんの上から下までをジッと見つめる。

 石輪さんは、いつものように、いわゆる地雷系? 病み闇系なファッション。

 彼氏のぼくが言うのもナンだけど、やっぱり今日もめちゃくちゃ可愛い。


「石輪亜季です。よろしくお願いします」


 ぼくから手を離し、石輪さんが丁寧にお辞儀をする。

 水島さんは「え、あ、はい。こ、こちらこそ……」と、ぎこちなく頭を下げた。

 ぶっちゃけ、どっちが年上か、わからない感じ。

 水島さんがぼくを引っぱり、耳元で言う。


「太郎……この子、マジでお前の彼女なの?」


「はい。そうですけど?」


「お前はすでに……おれを超えている……」


「はい?」


「い、いや、すまん。オレとしたことが、つい取り乱して……」


 水島さんが体を離し、小さく咳ばらいをした。


「太郎、今日はウチの文化祭・一般公開日に来てくれてありがとう。亜季さんも」


 ぼくたちはそれに頷く。

 人通りが多くなったので、廊下の端っこに寄った。


「で、今日はどうするんだ? 喫茶店やってるクラスで、焼きそばでも食うのか?」


「違いますよ。畑、見れるんですよね?」


「畑? いや、お前、畑なんかに興味あったっけ?」


「いえ。ないですけど」


「何だ、そりゃあ? どういうことだ?」


「ぼくの彼女が、水島さんが部活で作ってる畑を見てみたいって言うんで」


「え? こちらの、亜季さんが?」


 水島さんが、あっ気にとられて石輪さんを見る。

 石輪さんは、ニコッと水島さんに小首をかしげた。

 ふたたび、ぼくは水島さんに引っぱられる。


「ヤ、ヤバいな、太郎……」


「え? 何がですか?」


「お前の彼女……めちゃくちゃ可愛いじゃないか……」


「あの、石輪さんって、しょ、小学生ですけど?」


「いや、まぁ、そうなんだが……」


「案内してくださいますか? 畑」


「お、おう。じゃあ、おにいたんが案内してやろう」


 なんだか急に緊張しはじめた水島さんが、廊下を歩きはじめる。

 ぼくと石輪さんは、ロボみたいに動く水島さんに首をかしげながら、彼のあとに続いた。


       〇


「ここが、おれたちバイオ研究部の畑だ」


 水島さんに案内されたのは、運動場横のわりと広い土地だった。

 家庭菜園といったレベルではなく、わりと本格的な畑。

 たくさんの作物が、土にずらりと整列している。


「今は野菜ばっかだが、来年は果物にも挑戦する。あの裏山のあたりもウチの学校の敷地らしいしな」


 そう言って、水島さんが学校裏の山を指さす。

 そこには小高い丘があり、その上に国旗と校旗の掲揚台けいようだいが並んでいた。

 旗は、ここに吹く風に静かにたなびいている。


「校舎の1階にブースがあるんだ。ここで作った野菜の直売店。美味いし、安いぞ。良かったら、見て帰ってくれ」


「あぁ、良いですね。あとで見に行ってみます」


「おーい、水島ぁ! 時間ねぇぞ! 早く準備しろぉ!」


 遠くから、誰かが水島さんを呼んだ。

 そちらに視線を向ける。

 それを見て、ぼくは「え?」と驚くしかなかった。


 なんか……ものすごいヘビメタみたいな格好をした人が、大きく手を振っている。

 そんな彼に、水島さんが「おぉ!」と手を振り返した。


「悪いな、太郎。おれ、今日、バンドで出るんだ。あと30分くらいで本番」


「あ、そうなんですね。ってか、ヘビメタ……」


「良かったら、見にきてくれ。体育館だ。亜季さんも」


「はい」


 石輪さんがほほ笑むと、なぜか水島さんがホホを赤らめる。

 そんな水島さんに、ぼくは首をかしげた。


「じゃ、じゃあな、太郎! あ、亜季さんも!」


 そう言って、水島さんがぼくたちから離れていく。

 ぼくと石輪さんは、そんな彼を見送った。


「なんかヘンだったな、水島さん……」


「たぶんだけど――彼、私のことを好きになったんじゃない?」


「あぁ、きみのことをね……って、えぇ? 水島さんが? 石輪さんを? えぇ?」


「不思議?」


「い、いや、不思議って言うか……だ、だって、石輪さん、まだ小学生なのに……」


「安心して。私が好きなのは、太郎だけだから」


 冷静に言って、石輪さんが畑を歩いていく。

 彼女のあとに続き、ぼくもあぜ道を進んだ。

 道の中程なかほどで、彼女が突然しゃがみこむ。


 そこにある畑の土を、わずかに手ですくう。

 手のひらで、何度かこすった。


「素敵な土。愛情が感じられる。さっきの水島さんやその仲間たちが、一生懸命手入れしてるからだ」


「触っただけで、わかるの?」


「わかるよ。太郎は一体、私を誰だと思ってるの?」


「き、金星人……」


「そう。金星人」


 ぼくの彼女・石輪亜季さんは――こう見えて地球人ではない。

 金星人だ。

 地球には、ちょっとした調査で来ている。

 今日、石輪さんが、この高校の文化祭に来たいと言ったのは、どうやらその調査の一環らしい。


 もちろん、それが本当なのかどうか、ぼくにはわからない。

 ただ彼女がそう言っているので、ぼくは素直にそう信じている。


「地球人のこの『文化祭』というものは――よくもよおされるものなの?」


「うん。毎年ね」


「でも私たちの学校には、なくない?」


「文化祭をやるのは、だいたい中学くらいからだよ」


「そうなんだ。でも素敵なネーミングだね。文化のお祭り。文化祭」


「でもどうしてきみは高校の文化祭に来たかったの? 畑の調査なら、そこらへんにいっぱいあるじゃないか」


「わかってないな、太郎は」


「え? わかってない?」


「うん。わかってない」


 土を畑に戻し、石輪さんがあぜ道を歩きはじめる。

 ぼくは彼女の後ろに続いた。


「ねぇ、太郎。今のこの地球は、色々と便利でしょう?」


「うん。まぁ、便利だよね」


「この地球の文明――そのいしずえ、つまり元になったのは、何だと思う?」


「元になったもの……え? 何だろ?」


「たとえばこの国なら……稲作だよ」


「稲作……」


「本来はそこに生まれなかった植物を移動して集中させ、そこから定期的に食べ物を得る。これで皆が集まり、人々は文明を築いた。言ってみれば、お米や野菜を育てるのは、産業革命のようなものだったんだ」


「む、むずかしいな……」


「じゃあ、太郎は――ごはん、好き?」


「う、うん。まぁ」


「ずっと食べ続けたい?」


「そりゃあもちろん、食べ続けたい」


「それだけわかってれば十分だよ」


 石輪さんが、ふたたびその場に立ち止まる。

 ぼくたちは、あぜ道で並んだ。


「今日はね、この地球の若者が作る畑をどうしても見たかったの。彼らが一体、どのように文明と文化に接しているのか」


「そうなんだ……」


「太郎、ひょっとして私が言ってること、あんまわかってない?」


「少しはわかるけど、さっきからきみの言ってることはなんだか難しくて……そんなの学校で習った?」


「習ってないかも」


「だったら……地球人のぼくには、あまりよくわからないよ」


「じゃあ――もっとわかりやすく説明してあげるね」


 石輪さんが、ぼくの手をつかむ。

 次の瞬間、ぼくと石輪さんの視界が、ゆっくりと上昇していくのを感じた。


       〇


 ぼくと石輪さんは、自分たちの足元を見つめる。

 ずっと下に、畑の端っこに並んで立つ、ぼくたちの姿が見えた。


 え? え? え?

 これ、どういうこと?

 何?


 フワッと空に上昇し、どんどん遠くなる地面をぼくは呆然と見下ろす。

 こ、これって、ひょっとして……ゆ、幽体離脱?


「い、石輪さん!」


「大丈夫。今の私ときみは、魂だけで飛んでいる。他の人たちには決して見えない」


「決して、見えない……」


「さて、どこにしようか?」


 宙に浮かんだ石輪さんが、ぼくの手を引く。

 彼女に導かれるがまま、ぼくたちは裏山の方に飛んでいった。


「ここでいっか」


 石輪さんが翼を休める小鳥のように、その先端に片足を置く。

 さっき見た小高い丘。

 その上に並んだ国旗と校旗の掲揚台。


 校旗の方の先っちょに、ぼくたち二人は乗っかっていた。

 足元で、鶯岬高校の校旗がたなびいている。


「見て、太郎」


 石輪さんが、校舎の向こう側を指さす。

 そこには――この町の風景が広がっていた。

 ぼくはこの町で生まれ、もう十年くらい住んでるけど、この角度から見るのは初めてだった。


「とても――素晴らしい町だ」


「うん……そうだね……」


「遠くには海がキラキラしてる。海から続く川。その川に沿って、家が建ち並んでる」


「うん」


「台風が来たら、たまに洪水になる。色んな大切な物が流されて、人々は悲しくなる。でも、また新しく家を建て直す」


「うん。だね……」


「想像してみて、太郎。昔、ここには――何も無かったんだ」


「ここには、何も無かった……」


「道路も、家も、何も無かった。見渡す限り、何も無かったんだよ」


「すごく、昔だよね?」


「そう。めちゃくちゃ遠い昔」


「でも何も無かったけど……人は、いたんじゃないかな?」


「うん。人は、いた」


 石輪さんが、ぼくの体をギュッと抱きしめてくる。

 ボクは校旗のポールの先で、フリーズするしかない。


「ねぇ、太郎。この地球には、これからも色んなことが起こると思うんだ」


「う、うん」


「でも――忘れないでほしい。きみたち地球人は、何もなかった場所に、家を建て、こんなに美しい町を作りあげた。そしてその中で、今も生きている」


「そ、そうだね」


「田んぼを作り、畑を作り、文明を築き、そして今――若者たちが、とても小さいけれど、文化をつないでいる」


「うん」


「私たち金星人は、そんな地球人をとても素晴らしいと思うよ」


「あ、ありがとう」


「じゃあ、そろそろ体に戻ろっか」


 ぼくと石輪さんは、手をつないだまま、ゆっくりと校旗のポールから下りていく。

 宙に浮かんだぼくたちが、畑の端に立つ自分たちの体に重なると、ぼくはいつもの自分の感覚を取り戻した。

 手のひらをジッと見つめ、何度か開いたり閉じたりを繰り返す。


 ぼくの体だ。

 ぼくは、生きていた。


       〇


 そしてぼくたちは、校舎の野菜ブースで買い物をし、体育館に行った。

 体育館に入ると同時に、水島さんたちのバンド演奏が始まる。


 ステージでは、悪魔みたいなメイクをした水島さんがギターを弾いていた。

 水島さんはなぜかベロを出しながらギターを掻きむしっていたが、ぼくにはあまりよくわからない。


 だけど石輪さんは、目をキラキラと輝かせていた。

 だから、まぁ、見に来て良かったと思う。

 きっとこれも、地球の文化のひとつだ。


 帰り道、ぼくと石輪さんは、それぞれに野菜の入った袋を持って歩いた。

 その時、ぼくはずっと不安に思っていたことを、石輪さんに聞いてみる。


「ねぇ、石輪さん」


「ん?」


「ぼくね、ずっと不安に思ってたことがあるんだ……」


「不安? 何?」


「石輪さんは……いつまでこの地球にいられるの? ひょっとして、いつかフッといなくなったりするの?」


「私がいなくなったら――太郎は、悲しい?」


「そりゃあ、悲しいよ……石輪さんがぼくの前からいなくなるとか……そんなの、考えただけで……」


 ぼくが言うと、いきなり石輪さんが足元に野菜の袋を置いた。

 強く強く、ぼくに抱きついてくる。


「大丈夫だよ。私はどこにも行かない。ずっと太郎といっしょにいるよ」


「ず、ずっと? ホントに?」


「ずっと。ホントに。太郎が死ぬまで。私はずっと、きみのそばにいる」


「ずっと、そばに……」


「太郎が死ぬまで、私はきみに付き合うよ。私もいっしょに大人になって、おばあちゃんになってあげる」


「金星人は……死ぬの?」


「さぁ、どうだろ? 私はただ、太郎が死んだら、金星に帰るだけ」


「ぼくが死んだら、金星に帰るんだ……」


「だってきみが死んだら――私、この地球に用なんか無くなるし」


 そう言って、石輪さんがぼくのホホに自分のホホをくっつけてくる。

 ぼくはどうしたらいいのかわからずに、そのままそこに突っ立っていた。


 するとぼくたちのすぐそばで、ドサッと何かが落ちる音がする。

 野菜がたくさん入った袋が、落ちているのが見えた。

 わなわなと震える口をようやく開き、その袋の持ち主の水島さんがぼくに向かってこう言う。


「た、太郎……お前はすでに……おれを超えている……」

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