まどろみバードウォッチング
放課後、日直だったぼく・原田太郎と、ぼくの彼女・
先生の話だと、ぼくたちが世話してるのは秋まき一年草。
花が開くのは、来年の3月くらいになる。
ちょうどぼくたちが、5年生を終える頃だ。
「ねぇ、太郎。帰りにジュースでも飲まない?」
教室に戻りながら、石輪さんが言う。
石輪さんは、いつもの地雷系? 病み闇系なファッション。
ぼくの彼女は、今日も美人だ。
「いいね。じゃあ、今日はぼくが奢ろう」
「え、なんで? お金のことは気にしないでよ。私が出すから」
「そんなわけにはいかないよ。だって昨日も、お菓子を奢ってもらったし」
「いいから、いいから。子どもは遠慮しないの」
「きみだって子どもじゃないか」
「そりゃあ私も子どもだけど、ほら、私、金星人だから」
そう。
ぼくの彼女は――地球人ではなく金星人だ。
少なくとも、彼女自身はそう言っている。
今、この地球にいるのは、ちょっとした調査のため。
フツーに聞いたら、それは単なるウソだ。
だけど彼女は、ぼくの目の前で、色々と不思議なものを見せてくれる。
たとえば、この間のタマゴの月のようなもの。
だからぼくにとって、彼女は、「もしかしたらマジで金星人かもしれない人」だった。
誰もいなくなった廊下を、二人で歩く。
そして教室に入った瞬間――ぼくたちは、「え?」と立ち止まった。
教室に、一人の女の子が倒れていたのだ。
「ちょ、ちょっとぉ!」
思わず声をあげ、ぼくはあわててその子に駆け寄る。
同じクラスの
どうしたらいいのかわからないぼくのとなりから、石輪さんが手を伸ばしてくる。
まるで医者のように、彼女の体のアチコチを確認した。
「貧血だね、これ」
「石輪さん、わかるの?」
「そりゃあ、わかるよ。太郎は私を、一体誰だと思ってるの?」
「き、金星人?」
「わかってるんなら、ほら、倉橋さんを保健室に運んで」
「は、運ぶって? ぼくが? 一人で? 保健室まで?」
「そりゃそうだよ。だって私、力弱いし」
「金星人って、力弱いの?」
「弱いの」
仕方なく、ぼくは倉橋さんをかかえ、石輪さんといっしょに教室を出る。
5年生の教室は、3階。
保健室は、1階。
ケッコー、距離があります……。
〇
保健室には、誰もいなかった。
奥に入ると、ベッドが二つ並んでいる。
その片方に、ぼくはなんとか倉橋さんを横たえた。
石輪さんが、彼女に布団をかけてあげる。
ベッドの中の倉橋さんは、なぜかスゥーッと寝息をたてていた。
ひょっとして、マジ寝?
貧血で倒れてそのまま寝るって、彼女は一体どんな状態なんだ?
「彼女は――森だね」
倉橋さんを見つめながら、石輪さんが言った。
「森? 森って?」
「倉橋さんの心の風景だよ」
「心の、風景?」
「地球人の心の風景はね、ザックリ分けて、3つあるんだ」
「3つ……」
「森、海、空。それが地球人の心の風景。もちろん、その3つのどれも持たない者もいる」
「3つとも持ってる人は?」
「そんな人はいない。地球人の心は、それだけの風景を維持できるキャパシティを持たない」
「キャ、キャパス……」
「倉橋さんの心の風景は、森。そしてこの顔色。金星人として、これはちょっと興味あるなぁ」
そう言うと、石輪さんが、倉橋さんのとなりのもう一つのベッドに座った。
そのまま、ゆっくりと横になる。
「な、何やってんの、石輪さん?」
「ほら、太郎。こっちに来て」
布団をめくり、石輪さんがぼくにほほ笑む。
「え……えっと」
「いいから」
「ダ、ダメだろ、そういうのは……って言うか、な、なんで?」
「きみ、私の彼氏だよね? 金星人の調査に付き合ってくれるって、言ったよね?」
「言った。そりゃあ、言いましたけど……」
「だったらこっちに来て。倉橋さんが目を覚ます前に」
「マ、マジか……」
横になった石輪さんのとなりに、ぼくはしぶしぶ入っていく。
すると二人の体が全部隠れるように、彼女が深く布団をかぶった。
石輪さんの良い匂いが、真っ暗になった布団の世界に広がっていく。
石輪さんが、ぼくの体を抱きしめてきた。
彼女の体は、まるで羽毛のようにあたたかい。
そして――ぼくがその暗闇の中で眠るまで、たぶん一分もかからなかった。
〇
どこからか、たくさんの音が聞こえてくる。
おだやかな風。
こすれ合う木々。
小鳥たちのさえずり。
ここは――どこだ?
体を起こし、ぼくは周囲を見回す。
ここは……森?
森の中?
横を見ると、石輪さんが立っているのが見えた。
何か黒い物を目に当て、まっすぐに前を観察している。
あれは、双眼鏡?
いつの間に……。
「気がついた?」
双眼鏡から目を離し、石輪さんがこちらを見下ろす。
立ち上がり、ぼくは彼女のとなりに並んだ。
それを確認して、彼女はふたたび双眼鏡を覗き込む。
「こ、ここは?」
「さっきも言ったでしょ? 倉橋さんの、心の風景の中だよ」
「心の風景の……中……」
「今、倉橋さんを探してる。私の勘では、たぶんこのあたりにいるはずなんだけど」
「見つけて、どうするの?」
「調べてみるんだよ。彼女が倒れた原因をね」
次の瞬間、すぐそばの木から、何羽もの鳥たちがバサバサと飛び立っていく。
50羽くらいいたんじゃないだろうか?
なんか、こぉ、ちょっと美しい群れだった。
「今の鳥たちの中に、いたんじゃない?」
「ううん。私の予想では、倉橋さんはあんな地味な鳥じゃない」
「地味な鳥じゃない……でも倉橋さんは、クラスでもおとなしめって言うか……」
「ここは心の風景なんだ。現実の彼女とは、まったく別な――あっ! いた! 倉橋さんだ!」
双眼鏡から目を離し、石輪さんが歩きはじめる。
ぼくは、それについていくしかなかった。
少し歩くと、ぼくたちは大きな木の前に出る。
その下で、石輪さんが人差し指を立てた。
それを横向きにして、口笛を吹く。
すると一羽の鳥が木の上から飛んできて、石輪さんの指に止まった。
それは……とても派手な鳥だった。
黒、白、赤、青、緑、黄色――どこにいても、絶対に目立つ
こ、これが……倉橋さん?
でもなぜだろう?
その鳥の全身をおおう毛は、ところどころが引き抜かれたようになっていた。
地肌が見える。
「これは……食べてないね」
「食べて、ない?」
「うん。ダイエットだ。しかも
「ダイエットって……と、鳥が?」
「鳥じゃない。これは倉橋さん。心の風景の中では、人はカタチが変わるんだ」
そう言いながら、石輪さんが自分のポケットに手を入れる。
中から、何かビスケットのような物を取り出した。
それを鳥の前にかざす。
少しの間、鳥はビスケットを見つめながら首をかしげていた。
だが突然、ハッと何かに気づいたように、くちばしでビスケットをつつきはじめる。
あっという間に、ビスケットを一枚、たいらげた。
「お腹が……すいてたのかな?」
「みたいだね。ねぇ、倉橋さん。もう一枚、食べる?」
今度は地面に鳥を下ろし、石輪さんがビスケットを置く。
鳥はさっきより素早いくちばしで、コツコツとそれをつついた。
「ダイエットってことは、この鳥――って言うか、倉橋さんは――自分の意志で食べ物を食べてなかったのかな?」
「だろうね」
「どうしてそんなことを?」
「鳥にはね、大きく分けて、2種類あるんだ」
「2種類」
「派手な鳥と、地味な鳥。
「モテる……」
「現実の倉橋さんは地味な感じだけど……本当はモテたいんだよ。だから心の風景では、彼女はこんなにド派手な鳥なんだ」
「倉橋さんは……モテたいのか……」
「モテるために、痩せたい。おそらく彼女は、ここ最近、無理なダイエットをしてきたんだ。だから放課後の教室で倒れた」
地面にいる倉橋さんを両手でかかえ、石輪さんがぼくの前にさし出す。
今のビスケットの効果だろうか?
さっきまで傷ついていた鳥の肌が、見る見るうちに治っていき、美しい羽毛におおわれていく。
「これでもう大丈夫。目を覚ましたら、倉橋さんはめちゃくちゃ何かを食べたくなる。心の健康は取り戻せた」
「倉橋さんは、その、どうしてそんなにモテたいんだろう? 貧血になってまで、無理に痩せようとするなんて」
「今の地球の女性は、モテたいんだよ。基本的にさびしいから、誰かに必要とされたいんだ」
「必要と、されたい……」
「さぁ、倉橋さん。もう余計なことは考えないで。たくさん食べて、たくさん飛んで。あなたは生きているだけで美しいんだよ」
そう言って、石輪さんは倉橋さんを宙に放した。
鳥の倉橋さんは、元気よく空に舞い上がり、しばらくの間、お礼を言うように宙に円を描いていた。
彼女の心の森の中に、さっきよりあたたかな光が射し込んでくる。
まるで雨が上がったあとのように。
「さぁ、私たちも帰ろう」
石輪さんがその場に座った。
木の幹に、背中をもたれかける。
やさしい瞳。
両手を、ぼくに向かって広げた。
戸惑いながらも、ぼくは石輪さんのとなりに座り、少し緊張する。
ぼくの肩を包み込むように、彼女が腕を回してきた。
彼女の頬が近づいてきて、ぼくの頬と触れ合う。
「ねぇ、太郎」
「な、何?」
「太郎は、モテたい?」
「モテ、モテたい、かなぁ? どうだろう? 考えたこともない」
「それはね、たぶん太郎がまだ子どもだからだよ」
「モテたい気持ちに、子どもとか大人とか関係あるの?」
「あるよ。体がね、モテたくなってくるんだ」
「体が、モテたくなってくる……」
「たぶん倉橋さんは、体が大人になったんだろうね。だから、モテたくなった」
「そうなんだ……」
「でも忘れないでね、太郎」
「何を?」
「太郎はね、ずっと私にモテてるよ」
「あ、うん……うん……」
「ずっと私にモテてる。ずっとずっとモテてる」
ぼくは、なんだか眠くなってくる。
さっきと同じだ。
石輪さんに抱きしめられながら、ぼくは眠りの世界へ沈みこんでいく。
意識がなくなる寸前、ぼくはもう一度、目の前の倉橋さんの心の風景を見つめた。
とても美しい森だった。
人は誰でも、心の中にこんな美しい風景を持っているのだろうか?
だったら、ぼくの心の風景は、一体どんな感じなんだろう?
〇
「たしかに私、ちょっと無理なダイエットをしてたかも……」
目を覚ました倉橋さんを、ぼくと石輪さんは送っていた。
彼女は「大丈夫」と言ったけれど、なんだか心配だったのだ。
3人で、倉橋さんの家までの道を歩く。
「でもどうして石輪さんは、私がダイエット中だってわかったの?」
「それは……女の子の勘だよ」
まさか「あなたの心の風景を覗いてきたの」とは言えない。
石輪さんは、なんとかそう答えた。
幸運なことに、倉橋さんはそれを信じてくれる。
「でも石輪さんは素敵だよね。すごくスタイル良いもの。それ、何かしてるの?」
「う、うん。まぁ、その……ごはんをたくさん食べてる」
「たくさん食べてるの? それでそのスタイル、キープできる? 体質?」
「努力だよ。たくさん食べて、たくさん歩く。走ったら続かないでしょ? だから歩く」
「そっかぁ。ウォーキングかぁ。そうだね。無理なダイエットをするより、そっちの方が健康的かも」
ものすごく納得した倉橋さんの家の前で、ぼくたちは別れた。
倉橋さんの家から離れると、石輪さんがぼくの腕にしがみついてくる。
いつもと同じだ。
「でも石輪さん、やっぱウォーキングしてるんだね。だからそんなにスタイルが良いんだ」
「ん? 私、ウォーキングなんかしてないよ?」
「え?」
「さっきは倉橋さんに食べてもらおうと思って、あんなウソをついたんだ」
「そうなのか……」
「私のダイエットはね、太郎だよ」
「ぼ、ぼく?」
「太郎の前では、可愛い女の子でいたいでしょ? だから私が太郎を愛すれば愛するほど、私のスタイルは良くなっていくの」
「ちょっと、よくわかりませんけど……」
「ねぇ、太郎」
「ん?」
「今日はひとつの布団で、いっしょに寝たね。私たちの、はじめてだ」
石輪さんが、ぼくの顔を覗き込んでくる。
ぼくは、耳まで真っ赤になっていく自分を感じた。
「ちょ、ちょっと、石輪さん! 絶対、クラスのヤツらに言っちゃダメだからね、それ!」
「言わないよぉ。私と太郎の秘密だよぉ」
「絶対に、ダメだから!」
「いつか私、太郎の心の風景も覗いてみたいなぁ」
少し暗くなった道を、ぼくと石輪さんは歩いていく。
ぼくの彼女は、金星人だ。
だからダイエットなんかしなくても、スタイルをキープできる。
ぼくの顔を見て、石輪さんが笑う。
そんな彼女に、ぼくも笑い返す。
ぼくたちは――これで良いんじゃないかと思う。
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