二.新たなる能力(ちから)

 秘剣・鯉落としをまったく無自覚のうちに体得してしまったピーチ少年は、その食いしん坊ぶりによってその技を会得したわけであるが、そういった点においては、ある種の天才をも感じさせる出来事であった。


 それは時間に対する感覚にも言えることで、食事が近づくころになると、特に夕飯には決まって必ず間に合う時刻に帰るという、これまたある種の才を発揮するのである。


 それは例えば、遠出して海岸まで行ってしまったときでもそうで、だからたとえ、ピーチ少年が傷を負って帰ってきても、その点ではお母は安心して笑顔で迎えられる。


 しかし笑っていられないときがあるのだ。


 ピーチ少年が朝食に出た〝メニュー〟を見て大喜びして食べる朝には、必ず何かが起こる日だと知っている。帰らない日だってあるのだ。そんな夜は、また、兄のようにもう帰らないで、二度と帰ってこないで姿を消してしまうのでは? という不安で、たまらなくなってしまう。


 そのような母の心も知らないピーチ少年は、魚になる実験をした日以来「人が水中で生活する」ことを、もっと究めたいなどと思っていた。そしてあるときなどは連日のように地主さんの池に潜り、そのたびごとに錦鯉を仕留め、食していたのである。それが高い代金となって家庭の懐事情を悪くする、というようなことが、ピーチ少年の探究心によって引き起こされていたというわけであった。


 あげく、ついにはこんなことを考えるピーチ少年であった。


「池などでは物足りないなー。よし、海に潜ろう!」


 これまで何度も池に潜り、その都度繰り出してきた通称「秘剣・鯉落とし」も板についてきたし、錦鯉は食べ飽きた。何よりも、海に行けば美味い魚でいっぱいだ。ピーチ少年は早速、竹筒を新調すると、その朝も縁起よく魚が出たので、笑いが止まらない。


 お母もさすがにその尋常でない様子に、竹筒を奪い取って、足止めしようとする。


 が、そのとき!


 ピーチ少年が驚異的な跳躍力を見せたかと思うと、まったく瞬間的に竹筒を、両手両足を使い奪い返し、なにがしかの力学的原理を働かせた。


「パコンッ!」


 剣道でいう〝面〟が決まり、ここにまた未知なる荒技を、その天賦の才によって成し遂げたのである。


(!……これは秘技・敵刀転寿てきとうてんじゅ!……やはりこの子こそ!)


 今まで幾度となく、川上ピーチを陰ながら見守り続けてきた、その視線の主は、ある予言とその宿命を背負うべきピーチ少年に、震えの止まらない熱い思いを感じていた。


 ところがそんな視線などかまうこともなく、竹筒を握りしめて海岸まで走ろうというピーチ少年。


 ……ここで一つ、注意してもらいたいのは、ピーチ少年は視線に気づかなかったのではなく、その視線にかまわなかった、という点だ。つまりピーチ少年は何者かの視線が自分に投げかけられていることに、無意識的にも気づいており、その結果が次なる能力の覚醒に結びついてゆくとも考えられるのだ。


 次なる能力……それは直後に訪れた。ピーチ少年が海岸まで走ろうと叫んだのだ。


「海へ行ってくるよー!」


 その声を聞いたとき、視線の主もまた思わず叫んだのである。


「海へ行っちゃ駄目だ!!」


 それまでいくたびか秘技・秘剣を成し得たピーチ少年の本能は、直感的にその体を止めた。一瞬ではあったが、その場に釘付けにされたような格好である。その姿勢のまま家を振り向けば、お母が……あのお母が〝面〟を受けたときにも見せなかったような顔で、目から涙をポロポロ流しているじゃないか!


 そのお母の見る方、声の聞こえた方向へ、素早く目を向けるピーチ少年。するとまるで正体を隠すかのように、気配さえも見事に消えていた。


〝気配さえも〟……そう、このたった一度の出来事が、視線を感じ取る術すらも超えて、また新たに、気配を察知する能力をピーチ少年に与えたのである。


 そんな中、お母は言う。


「あの子だよ……、あの子だよ……。あの子に違いないよ」


 お母が流す涙の意味。川上ピーチはまだ知らない。


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