三.再会、そして……

 お母がなぜ泣いていたのか、ピーチ少年に人の心を読む術が備わっていたのなら、この川上家にまつわる何事かも、瞬時に理解できていただろう。しかし今、ピーチ少年にそこまでの能力はなく、それゆえ、お母の様子にも気にはなれど、それほど構わずに、叫んだとおりの行動、すなわち海岸へ向かって走り出すという挙に出るのだった。


(あいつはまだ海の厳しさを知らない。何とかしなければ!)


 誰かがついてくることにピーチ少年は気づいていた。いまや、ピーチ少年は気配を察知することができるのだ。彼に気づかれないようにそのあとを追うことなど困難な話なのである。


 と、ピーチ少年はさらに加速すると、みるみる何者かの追跡を引き離していくではないか。それはもはや、人間のレベルではなかった。


 あえてたとえるなら風だ。それもつむじ風か台風の風のような、すさまじい速さの風だ。もしも当時、速度計があったのなら、人はピーチ少年の名前を永久に人類史上にとどめ、その大記録を不滅のものとしてたたえ続けたことだろう。


 ……そのころ家では、お母とピーチ少年の兄が再会を果たしていた。その兄の名は川上桃太郎。そう、今までピーチ少年を陰ながら見守り続けてきたのは、他ならぬ兄・桃太郎であったのだ。お母が、


「大きくなって……」


 と感慨深げに口にすれば、兄・桃太郎はそれに付け足すように、


「いや、じつはそれだけじゃないんだ」


 その言葉と同時、物陰から、なんともう三人、桃太郎とまったくそっくりな人物が姿を現した。


 これには思わず、お母も目を丸くして驚いた。桃太郎は語り始めた。


 たしかにたった一人の兄がいた。


 彼は川上家に代々言い伝えられてきた予言と、家系図の宿命を背負い、先代である父に日々、厳しい修練を受けていた。


 そんなある日、それは桃太郎が十代も半ばを過ぎたころであったが、弟の誕生まであと数ヵ月というとき、父は突然、病に倒れた。


 最大の荒秘術「分け身の術」の伝授を残して。


「これを伝えなければ……、この川上家は生き残れん!」


 父は最後の力を振るって、その術のすべてを兄に見せて絶命したのだ。兄は涙もぬぐわずに、父のすべてを、その壮絶なまでの死にざまを、その目に焼きつけたのだった。


 そしていよいよ、弟の誕生もあと一ヵ月となったころ、兄の身に事件が起きることとなる。


 兄・桃太郎は一日でも早く「分け身の術」を会得しようと、熱心に修練を重ねていた。ところがその修行の最中に、突然、どこからやってきたのか、野生のツキノワグマが目の前に現れたのである。ツキノワグマは兄に向かってきた。そこで兄・桃太郎は「分け身の術」を繰り出し、なんと五人に分身したのである。通常「分け身の術」は分身して二人になるのが常であるから、このときの桃太郎がいかにすさまじい術を繰り出したかがわかると言えよう。


 五対一となった兄・桃太郎は見事、ツキノワグマを倒したのであるが、ここで問題が生じた。なぜか闘い終わっても、一人に戻れなくなってしまったのである。


 じつは「分け身の術」には、それと対を成す技「合わせ身の術」があったのだ。桃太郎の父はその技を伝授することなく、この世を去ってしまったのであった。さらには、桃太郎が修練の最中に「分け身の術」を会得できていなかったことが、この結果をもたらした形である。


 結局、このツキノワグマとの闘いのあとは次のような流れで事が運んだ。


 まず第一に、五人になってしまった兄の内の一人が、母の元へ赴き、弟の誕生を見届けた。


 第二に、桃太郎の名を弟に託すこと、兄はその存在を秘して消息を絶つことを知らせ、その足で残る四人の兄たちとともに、行方をくらませた、というわけである。


 と、ここでお母が言った。


「きっとお前さんは帰ってくると思って、あの子の名は、弟の名はピーチと名づけたんだよ。桃太郎」


「なんだって!?」


     *


 そのころ、ピーチ少年はというと……


 海に潜ってはいたが、竹筒が短いために、思うように魚を捕らえるどころか、荒波に悪戦苦闘していた。


(言わんこっちゃない。助けようか)


 兄の内の一人が思ったのは無理もないことだった。端から見ればピーチ少年は、海を泳ぐとか、海上に漂うとか言うよりも、溺れていると言ったほうがずっと正確に言い得ているような状態だったからだ。


(見ちゃいられない。よし、助けよう)


 兄が決心したとき、いつしか時刻は昼飯どきとなっていた。そのことがピーチ少年の食いしん坊ぶりを呼び覚まし、新たな奇跡を引き起こすのだ。


「うーん、腹が減ったなあ」


 そんなことを考えていたからだろうか。荒波にもまれたピーチ少年は竹筒を手放してしまう。


「あーっ、竹筒がー!」


 海水を飲みながらも思わずそう叫んだとき、今までにない大波がピーチ少年を海中へと飲み込んだ。すでに竹筒は見失っている。


「うわー、おぼれるー!」


 と、そのときだった。目の前に巨大な魚が現れたのである。それを見たピーチ少年、幻の荒技を繰り出した。


「でやぁーっ!」


 ザバババーッ!


(……こっ、これはー! 幻と言われた荒技・海割りの術ー!!)


 その技の名のとおり、ピーチ少年の周囲から海水が吹き飛ばされると、海が割れたのである。少年は難なく大魚を捕らえて、浜へと上がってくる。ピーチ少年が海岸へ上がるのと同時に、割れていた海はふたたび元の姿を取り戻した。


 それは信じられない光景であった。海水が真っ二つに割れ、海底が真昼の太陽を浴びるように、一望のもとに現出したのである。ほんの少しの時間であったとはいえ、それは壮観であったと言えよう。ピーチ少年の急成長ぶりには目を見張るべきものがある。


「えへへ、大物を捕まえたぞ」


 さすがに、己を見つめる気配に感づく余裕はなかったらしい。兄の驚きの視線に気づくこともなく、少年はまだピチピチ動く大魚を両手で抱えると、家へと帰っていくのであった。


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