第24話 さぼりたい症候群

6月も10日ほどが経ったが、何かが変わったわけでもなく、ただただ平穏な日々として時間が過ぎ去っていくだけだった。


6月には目立ったイベントがなく祝日もないため、退屈な月であると多くの人は思っているのではないだろうか。


高校生も例外でなく、1学期に残っている大きなイベントと言えば7月の期末テストぐらいなもので、憂鬱な気持ちが膨れ上がっていくばかりだった。


そう思いながら玄関の扉を開く。


外は室内と比べて眩しすぎるほどの太陽の光を遮るものが極端に減っていた。


日課のランニング帰りなのか、額の汗を拭きながら自室に戻ろうとしていた隣人の十七夜かのうとあいさつを交わし、連日の蒸し暑さから半袖に変えた制服により、腕にヒリヒリとした痛みを感じながらも自転車をこいで学校に向かう。


そんな日常。何も変わらない平日の風景。


しかしそこに変化が起きる、いや、起こしたというべきか。


「さぼるか。」


通学路の坂を頂上まで登りきったところで、俺はそう呟いた。


学校の人間関係や勉強面で不安があるわけではない。


何かきっかけがあったわけではない。


それは突然、されど当然のように俺の心に中に生まれたのだ。


もはや病気ともいえるようなこの症状を名付けるとするならば『さぼりたい症候群』


しかもやっかいなことに、家に帰りたいわけでもないらしい。


単純に学校をさぼることに意味があるような、そんな感覚である。


先程上り終えたばかりの坂を勢いよく引き返し、行き先を変更する。


とはいっても、どこに行くかは決まっていない。


学校から離れたどこか知らない場所の知らない景色を見たい、そう思っただけだ。


自転車のペダルを学校に向かっていた時よりもはるかに力強く踏み込み、さわやかな気持ちであてもなく進んでいった。




あれから何時間が経っただろうか。


何kmを走り続けただろうか。


それを確認するような野暮なことはしない、というよりそれが気にならないほど今は気分がいい。


土手の上を自転車で走る。


右側を見れば名前も知らない河川が日光を反射し、宝石のように輝いていた。


河川の近くには、これもまた名前のわからない白い鳥が数羽止まっている。


周りに人の気配を感じない。


知らない場所に一人迷い込んだような感覚になっている。


非日常、俺はそれを求めていたのかもしれない。


背負っているリュックの振動が伝わってくる。


風が頬を撫で、波の音が耳を揺らす。


河川の近くに屋根のついたベンチが見えた。


今日はあそこで昼食を食べよう、そう考えた俺は自転車を降り、近くの階段から自

転車を押しながら下っていく。


辺りが植物に囲まれている中、人工物として異様なほど目立つベンチ。


そのベンチは木で作られているらしく、必死に自然に溶け込もうとしているさまが、面白くて笑みがこぼれてくる。


近くに自転車を止め、ベンチに腰を掛けてから俺は鞄から弁当袋を取り出した。


前は学食として売られていた弁当を買っていたが、最近になってますます料理にはまったため、朝早く起きて自分で弁当を作るようになった。


弁当袋から弁当を取り出し、包んでいる風呂敷をほどく。


その上に弁当のふたを置き、左手で弁当を右手で箸を持って食べ始める。


殺風景な学校とは違い豊かな景色が見えるこの場所では、今までで一番弁当をおいしく感じた。


そうして、気分が絶好調になった俺のそばに一人の女が近づいてくる。


「学校を抜け出してきたのか?少年。」


描き終わった絵に、絵の具がたっぷりとついた筆を押し当てられたような感覚と共に、気分が下がっていくのがわかる。


「抜け出してねぇよ。」


ぶっきらぼうにそう言いながら声のした方を向く。


女はすぐ近くまで来ており、からかうように笑いながら俺を見下ろしていた。


でかい、そしてこの顔。


俺は記憶の中から似たような奴を見つけ出した。


「あんた、1ヵ月前に映画館で会っただろ。」


5月中旬に行われた中間テスト。


4日間あったがどれも午前中には終了したため、午後から月見里(つきなし)と映画館に行ったことがあった。


映画は面白くなかったが、そのときにこいつと一度会っていたはずだ。


俺の言葉を受けた女はまじまじと俺の顔を見つめ、思い出したのか声を上げた。


「あぁ!あの時の映画ポップコーンアンチか!!」


ひどすぎる覚え方をされていたようだが、俺が傷ついただけなので問題はない…。


「それで、なんでここにいるんだ?学生だろ、授業はどうした。」


女は俺の隣に座りながらそう聞いてきた。


鞄が揺れたような気がしたが気にせず答えていく。


「授業はない。午前中に終わったんだ。」


てきとうな嘘をついてさっさとどこかに行ってもらおうと思ったが、女は笑みを浮かべて言葉を発した。


「今の時期に午前中で終わることなんて、私の時はなかったんだがなぁ。時代が変わったのか?6年も経てば。」


「変わったんだろ。」


面倒だな、早くどこかに行ってくれ。


そう思いながら箸を進めるが、気づけば弁当箱の中には何も残っていなかった。


それならばと、俺は立ち上がり自転車の方に向かう。


「ゆっくりしていかないのか?」


女が話しかけてくるが無視を決め込む。


すぐにこの場を離れて別の場所に向かおう、そう思ったのに女がまた近づいてきた。


その態度に対して俺は、不快感を隠そうともせずに女の方を振り向く。


「なんか用か?」


苛立ちを一切隠していない俺の態度を見ても、女はニヤニヤとした笑顔を浮かべたままだった。


「気になるだろ。学校を抜け出したくせに家にも帰らずこんなところで飯食ってるやつは。」


この女の中では、すでに俺が学校を抜け出したことは確定しているらしい。


実際には違うのだが似たようなものであり、この手のタイプを納得させることは面倒なので言い訳をすることをやめた。


「そういうお前は、なんでこんなところにいるんだよ。」


先程の話から、年齢は21歳から24歳だろう。


大学生か、社会人か。


どちらにせよ、平日の昼に一人で河川敷に来ているのには違和感がある。


俺が言えた話ではないが。


「抜け出したことは認めるのか?まぁいいや、お前の質問に答えてやろう。

私は自由なんだ。だからいつどこにいてもいいんだよ。」


自信満々に宣言する女。


「そうか。」


正直言っている意味が分からないが、関わりたいとも思えないため、てきとうに相槌を打つ。


「まぁ詳しく言えば、奥にいるホームレスの様子を見に来たんだ。」


そう言うと女は、奥の方に小さく見える橋を支える柱の下を指さした。


俺はあそこまで行っていないから詳しくは知らないが、確かに汚れたテントのようなものが見えた。


「なんで?」


女は動きやすそうな服装をしている。


しかし身にまとっているすべてが、素人の俺にもわかるほど高級そうなものばかりだ。


とてもホームレスと関わりを持っている人間には見えない。


「別にあの人たちと関わりがあるわけじゃない。ただ、個人的に気になることがあっただけだ。」


気になることか、それを聞いたときに俺はあることを思い出す。


「そういえば、一ヵ月前にホームレスが一人殺されていたらしいな。」


この女が気になっていることと関係があるかは知らない。


だが、俺の言葉を聞いた女は大きく頷いた。


「それだよ、私が気になっていたことは。」


どうやら当たっていたらしい。


とはいえ、疑問は膨らんでくる。


「殺されたのはここじゃないだろ。確か隣の市だったはずだ。」


「その隣だな。だけど確かにここじゃない。」


隣の隣?


疑問に思った俺はスマホを取り出す。


何件かの通知が来ていたが、それらには気を止めず地図アプリを開く。


そこに表示されていたのは、俺が住んでいる市とは別の名前だった。


そんなに遠くに来ていたのか。


あまり疲れを感じていないのは気分が良かったからだろうか。


これは帰るのが大変だな。


そう思いながらスマホを鞄にしまい、自転車にまたがる。


「いやまてまて、なにナチュラルに帰ろうとしてるんだよ。」


ペダルを踏み出す…、前に女に呼び止められた。


とくに興味のない話だったからつい存在を忘れてしまっていた。


「あんたは勝手にホームレスのこと調べとけばいいだろ。俺は帰るから。」


そう言い残してこの場を去ろうとするが、女は俺の左腕を掴んで放そうとしない。


「なんだよ、まだ用があるのか?」


「びっくりするぐらい自己中だな…。」


俺の言葉に対して呆れたように女は呟く。


お前も人のこと言えないだろ。


そう思いつつ、俺自己中であることは事実なので否定もしなかった。


「つまらない話だったか?だったら話題を変えよう。お前の彼女可愛いな。」


「どうした急に。」


俺が興味を持っていないことを看破したのか、突然話題を変えてくる。


だからと言って変わりすぎだろ。


俺は一度自転車から降りる。


こいつが彼女だと思っているのは月見里のことだろう。


どうせ今後会うこともないし否定しない。


「フリーだったら猛アプローチしていたんだがな。残念だ。」


こいつレズか。


否定しなくてよかった、月見里が狙われるところだった。


「今日もメイドを口説いていたんだがな、なかなかうまくいかないものだよ。」


なんだこいつ、そう思いながら改めて女を見る。


顔が整っていて、体がでかい。身長は180ほどあるだろうか。


立っている俺よりも高い。そして胸も尻もでかい。


見た目はいい、だけど中身はいいようには思えないな。


「誰かいい女はいないか?私に紹介してくれよ。」


「俺が仮に知ってても学生だろ、だいぶアウトじゃないか?」


「6~9歳差だろ?別にいいって。」


こいつ学生だろうとお構いなしかよ。


ついでに24歳であることが分かった。


自転車のかごが傾く。


そこに置いていた鞄が不自然に揺れた。


「さっきメイドと言っていたが、メイドカフェにでも行っているのか?」


「いや?確かにいつか行ってみたいとは思っているが、私が言っていたのは家で働い

ているメイドのことだ。」


メイドが働いている?


日常ではまず聞くことのない言葉だ。


こいつの家は金持ちなのだろう。


とはいえ、自分は自由だとか言っている奴が稼いでいるとも思えない。


親が金持ちで今もそこに住んでいるのか?


いや、そんなことはどうでもいいか。


「それだと最悪パワハラかセクハラになるだろ、大丈夫なのか?」


いちおう話は続けておくが、こいつとの会話はいまいち盛り上がりに欠ける。


てきとうに話を合わせておいて、きりのいいところで逃げるか。


「別にならない、断ってもいいしな。…一回も受け入れられたことないんだが。」


なんか、かわいそう。


俺が女に同情していたら、また鞄が揺れた。


先程から定期的に揺れている。


流石に不自然に感じた俺は鞄の中を調べていく。


すると、スマホの画面に新しい通知が来ていた。


通知が来て揺れていただけか。


しかし俺はアプリの通知をほとんど切っているはずだが。


そう思いながらスマホの画面を見る。


女も気になったのか、覗き込んできた。


画面には【2分前】と書かれた電話の不在着信の通知があった。


誰からだ?


そう思い番号を見る。


あ、これ学校からだわ。


「休む連絡入れ忘れてた。」


「お前、抜け出したんじゃなくて朝からさぼってたのかよ…。」




次の日、早乙女先生にめちゃくちゃ怒られた。

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