第9話 訪問終
人工的な光だけがこの部屋を照らしている。
孤独で寂しい空間であたしはシャープペンシルを握りノートに書きこんでいく。
学校に行きたい、青春を過ごしたい、そんな思いを嘲り笑う様に、
それでも、いつか解放されることを願って今日も一人で勉強していく。
時間はすでに14時になっていた。部屋の外からおいしそうな匂いが漂っていることに気づく。
あたしは、お母さんに合わないことを祈りつつ、慎重に部屋を出て扉の前に置かれていたご飯を部屋の中に入れる。
既に冷めてしまっていたがお母さんの温かさだけはヒシヒシと感じられた。
このままではいけない、いつもそんな思いに駆られる。
だけど結局、
惨めな人生だ。ずっとこのままなのだろうか。
そんな恐怖を覚えたら、涙が流れてきた。
私は弱い。
17時ごろになった。
先週の木曜、金曜には
如月は私の心に土足で踏み込んで、せっかく平穏に保たれていた私の心をぐちゃぐちゃに荒らしていった。
そのときあたしは……………………。
家の外で自転車が止まる音がした。先週の二日間にも同じような音が聞こえてきた。
まさか、あれほど拒絶したのに?ありえないと、あたしは自分に言い聞かせる。
だけど玄関の扉が開く音が聞こえ、二階のこの部屋まで足音が近づいてくるのを感じてあたしは確信した。
如月だ。性懲りもなくまた来たんだ。
「木霊、また来たぞ。」
空波の言葉を無視する。
来ないで、来ないで、…ハヤクコイ。
「昨日は直接会って話したんだから、今日もそうするぞ。」
無遠慮にそういうと、空波は引き戸を開く。
目が合った、空波と誰かが。
その誰かは、いつの間にか机に置かれていたものを慣れたようにして手に取る。
如月は驚いたように声を上げているみたいだが、聞こえてこない。
気が付けばあたしは空波の心臓を包丁で刺していた。
あたしの方へ倒れこむ空波の体が重い。
包丁がどんどん空波の体の中に入っていく。
重たい感触はどんどん強まっていく。
刺さった包丁はなかなか抜けなかった。
鉄のような匂いが部屋全体を満たす。
包丁を伝ってあたしの手に赤いものが流れてくる。
如月の口から同じものがあたしの頬へ垂れた時、あたしは、
映画の悪役みたいに邪悪な笑みを浮かべていた。
「…………あああ!!」
あたしはベッドから起き上がる。
周りを見渡しても普段と変わらない、閉め切られて埃っぽい部屋の風景が広がっているだけだった。
時計を見る。今は月曜日の4時。
夢だった。夢だった。良かった。良かった。…本当に良かった。
安堵するあたしを
今日も如月は来るのだろうか、だとすればあたしは…。
あれは予知夢だったのかもしれない、そんな思いに駆られ自分に対する恐怖が一気に強まっていく。
「…………もう、いやだ。」
弱弱しく呟く、今のあたしにはこれしかできなかった。
土日を挟んで月曜日が来る。
今日からまた5日間も学校かと思うと、憂鬱な気持ちにもなったが、気が付けばもう放課後になっていた。
今日も
家に着いたときに俺はある衝撃的な事実を思い返す。
この事実があるのだからここに来るのは今日が最後になるだろう、そう思うとテンションが上がってくる。
インターホンを鳴らす。
玄関に足音が近づき、開いた扉の向こうから出てきた木霊母との会話を早々に終わらせて、木霊夢の部屋へと向かう。
「木霊、また来たぞ。」
小さくだが驚くような声が聞こえてきた。今日は最初から反応がいいな。
「昨日は直接会って話したんだから、今日もそうするぞ。」
そういって引き戸を開けようとするが、数センチだけ動いただけで止まった。
何かに引っかかってる?俺が開けることを想定して準備していたらしい。
「こないで!」
怒気を荒げて木霊が言う。
確かに金曜にはかなり拒絶されたが、ここまでだったか?
いや、もしかすると。
「何かあったのか?拒絶する理由に納得できないと帰らないぞ。」
俺の言葉に沈黙が流れる。
強引ではあるが、木霊が話すまでずっとここにいることを意思表示しておく。
数分が経ってから、ぽとぽつと木霊が呟く出した。
「今日の朝、夢を見たの。…………あなたを刺し殺した夢を。」
衝撃的なことを言ってくるが、俺は納得する。
金曜日に木霊が、一瞬なにかに驚いたように見えた。
それはきっと、俺に対して生まれた小さな嫌悪や憎悪、悪感情だろう。
そんな悪感情が原因で人を刺し殺す夢を見てしまった木霊は、もしかしたら俺に対しても同じような夢を見るのではないか、俺はそう予測していた。
まだ、2日しか話してない。
それも、原因を言い当てただけ。ちょっと言葉遣いが悪かったかもしれないが、殺されるようなものではない。
慣れというものがある。
連続殺人犯は殺人に慣れてくるらしい。歯止めを壊し、自分の欲望のまま犯行を続けていく。
嫌いなやつだ、うざいやつだ、それだけで殺してしまう。
木霊は夢の中では連続殺人犯なのだろう。
だから俺を夢の中で殺した。夢の中ではとっくに歯止めは壊れているのだろう。
金曜にあった時には、目の下にクマがあった。
限界まで寝ていないのだろう。もしかしたら寝るたびに人を殺しているのかもしれない。
睡眠防止剤は部屋にはなかった。木霊母は娘が悪夢を見ていることを知らなかった。
誰にも言っていないのだろう。だから自力で限界まで起きている。
限界がきて寝てしまったら悪夢を見る。
その悪夢のせいで、自分は人を殺してしまうのでは、という恐怖から人に会えない。
負のループが出来上がる。
自分に縛られ、誰にも相談できず、負の感情だけが膨れ上がってくる。
だが、だとしても。
俺は金曜の段階で、木霊の姿を見てから思っていたことがあった。
「入るぞ。」
一言断ってから、数センチの隙間に左手を入れ、曇りガラスが付いている影響で他の部分より凹んでいるところに右手の指をかけ、上に持ち上げる。
下に隙間ができたのを確認すると、部屋の中に押しこみ、引き戸を外し中に入る。
「は!?」
木霊は驚きながら距離を取る。
ベッドの上でこちらを見ながら、毛布にくるまり怯えるように体を小さくしている。
部屋は暗く、電気もついていない。
締め切ったカーテンの隙間と、今開けた扉から入ってくる光だけが部屋の中を照らす。
「なんで入ってきたの!近づかないで!」
叫びながら体を震わす木霊。それを見て、俺はあることを思いつく。
ゆっくりと歩きながら木霊のそばに近づいていき、あることを呟く。
「弱った女の部屋に男が入り込む、この後の展開は想像つくんじゃないのか?」
不敵に笑う俺を見て、木霊は青ざめる。
「おかぁ…!」
母親を呼ぼうとする木霊の口を左手で押さえつけ、右手で木霊の左腕をつかむと、強引に引き寄せる。
顔が残り10センチほど近さまで寄せると、木霊は怯えた表情で暴れだす。
しかし、弱り切った体、そうでなくとも俺に力で勝てるわけがない。
抵抗してきても俺は微動だにしない。
しばらくして、何をやっても無駄だと諦めたように動きを止め、涙を流す。
「お前のどこに狂気性があるんだ?」
俺はそう言うと左手を離す。
涙声で木霊は言った。
「だって、夢で、あたしは人を…。」
「だから?今の一連の動きを見ても俺はお前から狂気なんて感じなかった。
見えるのは、ごくごく普通の女の子だけだ。」
人に襲われた、だから抵抗するし、怯えたように泣き出す。
そこには男も女も関係ない。当たり前のことだ。
「お前の中の狂気おまえはこんなときどうするんだ?殺そうとするんだろ?
だけどお前からは、殺意なんて感じない。怖い、逃げ出したい、そんな気持ちしか感じない。」
「それは、夢とは状況が違うから…。」
「部屋に入ったときのお前の反応を見る限り、その夢の中では俺に出会った瞬間に襲い掛かったんじゃないのか?」
木霊は小さくうなずく。
「だが実際には襲い掛かってこなかった。俺が襲い掛かっても殺そうなんて考えが浮かばなかった。そう
だろ?」
木霊はただただうなずく。
「過大評価だったんじゃないか?狂気に対してお前は。
現実との区別がつかない?ついているから殺人をしたんだ。ついていないんだったらお前はしない。
高揚した?本当に?殺人鬼を演じていただけだろ。」
木霊の夢について否定していく。実際はどうなのかは知らない。
本当に現実でも人を殺してしまうほどの狂気性があるのかもしれない。
本当に人殺しをしたことに高揚したのかもしれない。
だけど、今木霊の目の前に俺が並べたは事実は、自分は現実では人を殺そうとしない、
高揚感も夢の中で演じていただけ、というものだ。
真実なんて今は必要ない。木霊はまた外に出たいと思っている。
ならば、縋りつこうとするはずだ。この甘い事実に。
「そう、なのかも。」
木霊は弱弱しく、だけどはっきりと呟いた。
「そうだ。」
俺はただ一言、肯定だけを残す。
俺が手を離すと、気持ちが楽になったのか崩れるようにして泣き出した。
泣き止んだ木霊は俺と一緒に、一階まで下りる。
そこで母親と目が合った。二人は何も言わずに、ただ抱き合い、共に涙を流す。
よかった、心配した、力になれなくてごめん、と木霊母は言葉を漏らす。
ごめん、心配かけた、ありがとう、木霊も母親に謝罪と感謝を伝える。
この二人の状態を見続けなければならない俺はこの三日間で一番つらい思いをした。
だって、長いもん。さすがにこのまま帰るわけにもいかないし。
二人が泣き終わると、木霊母はこちらの方を向き、深く頭を下げると、言葉を絞り出した。
「お見苦しいところを見せて申し訳ありません。そして、そして、本当にありがとうございました…。」
そう言うと、また涙を流しだす。勘弁してくれ…。
そう思っていたら、木霊夢が話しかけてきた。
「その…、ありがとね。あんたのおかげで外に出られたし、気持ちも楽になった。」
恥ずかしそうに感謝を伝える。
「別に、大したことはしていない。俺はただ、俺のためにお前に学校に来てほしかっただけだ。」
「それって。」
俺の言葉になぜか顔を赤くする木霊。
もしかして、俺が木霊のことを好きだと勘違いしたのか?
会ったことのない奴好きになるわけないだろ、馬鹿かよ。
「俺の隣がお前なんだが、席の周りの奴だけ俺のことが嫌いらしくて、ペアワークの度に先生がうるさいんだよな、ちゃんと話し合いに参加しろ!って。めんどくさいからお前を学校に連れてきたら解決すると思ったんだ。」
まぁ、席替えって本当はテストの度に帰るらしいから、あと2,3週間耐えればいいだけだと今日知ったんだけど。
それに先生も俺に何言っても無駄だと思ったのか、もう言ってこなくなったから、今日無理だったら諦めようと思ってたんだけどな。
誤解を解くために俺がそう口にすると、木霊はジト目になり怒ってそっぽを向いた。
「空波君が隣なの?それはよかったじゃない、夢!頼りになるわよ。」
さっきの話を聞いたのかいなかったのか、嬉しそうにそう言う木霊母。
「こいつが隣だったら、襲われるかもしれないけどね。」
「襲、え?」
さっきのことを思い出したのか余計なことを言う木霊の言葉に、木霊母が驚く。
さらに言葉を続けようとする木霊を黙らせて。俺は家を出て行った。
ともかく、一件落着だな。多少強引なところがあったかもしれないが。
俺が帰ろうとすると、走って誰かが近づいてくる。
「空波さん!情報を集めてきましたよ!木霊先輩は中3の10月8日午後3時18分にあいつらと口論になっていたようです。それから10月9日の午前10時32分には・・・・・・・・」
気持ち悪いことを言い始めた林町はやしまち美み央おに一言、
「解決した。」
とだけ伝えて、俺は家に帰った。
後ろから何か聞こえてくるが無視無視。
自転車を飛ばす俺を、暑い日差しが照らしてくれた。
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