第2話 凡人男の悩み

朝の7時30分、4月だというのに肌寒さを感じながら俺は目を覚ました。




どうしてこんなに寒いのだろうか。元凶の方に目を向けると、窓が開いていた。




そうだった。昨日は窓を開けたままにしていたんだった。




窓を閉めてから、まず顔を洗い、簡単な朝食をつくり、食べる。




歯を磨き、制服に着替える。




これからは毎日このような朝になるのだという実感がわいてくる。


 


余裕をもって行動できている、理想的な高校生と言えるだろう。




確か一時間目は8時40分から始まるはずだと、昨日もらった資料を見ながら確認を行う。




この部屋から学校までは自転車でおよそ20分。昨日「通学で自転車一時間」なんてことを言っていたが、20分だ。一人暮らしでそんな離れたところに住むわけがない。




まだ慣れていないことを加味すれば、8時10分頃に家を出るべきだろう。




そう思いながら時計を見ると、短い針が2を過ぎていた。




俺は先ほどまでの余裕ぶっていた自分を殴りたいと思いつつ、慌てて家を飛び出る。




「こんにちは~。もう学校に行くの?」




外にでると隣人である大学一年生の十七夜かのうももが挨拶をしてきた。




「こんにちは。十七夜さんはジョギング帰りですか?」




彼女は健康意識が高いのか、毎朝走っているらしい。




「そうだよ~。空波君も明日から走らない?」




彼女は頬を伝う汗を首にかけたタオルで拭き、俺の顔を見上げながら提案をしてくる。




桃色の髪。優しそうな雰囲気。美しいとかわいいの中間のような顔立ち。




だけどそれよりも重要なことは、身長だ。おそらく140あるかないかぐらいだろう。




正直、ちいさくてかわいい。いや、すごく。




そんな彼女からの提案は魅力的ではあるんだが、




「すみませんが、朝に弱いんで無理です。」




今日もぎりぎりだし、…………あ!時間が!




「すいません。遅刻しそうなんで行きますね。」




「あ、ごめんね。呼び止めちゃって。」




「いえいえ、気にしないで下さい。それじゃあ、行ってきます。」




十七夜との会話を切り上げて、俺は急いで学校に向かう。












8時35分、俺は今、教室の自分の席に座っている。全然余裕だった。




安全運転を意識してもこの時間。まだ慣れてないというのにこの時間。




マップアプリの時間予測なんてものは、あてにならないと今知った。




十七夜、急いで会話切り上げてごめん。余裕ぶってた俺、殴ろうとしてごめん。




心の中で謝罪の気持ちを述べる。




というか、「十七夜かのう」なんて読めるわけないだろ。




お互いに引っ越すタイミングが同じだったこともあって、ある程度話しをする仲にはなった相手だが、名前を聞いたときに、おもむろに自分の名前を紙に書きだして、「なんて読むと思う?」って問題をだされても、こたえられるわけないだろ。あの時のドヤ顔はイラっときた。




逆に俺の名前で仕返ししてやった。「空波からなみ」が読めないとはまだまだだぜ。




そんなことを考えていたら、トボトボと見るからに元気がなさそうな黒本が教室に入ってきた。




それとほぼ同時に授業開始のチャイムがなる。




「今日は、事前にお前たちに買ってもらった、タブレット端末の配布と説明を行う。」




学校用タブレット。ICT化が進んでいる現代、学校教育においてもアナログから、タブレットなどの電子機器を用いた授業に切り替わってきている。




この学校では、生徒一人一人が学校指定のタブレットを購入して授業に使っていくらしい。




タブレットを配り終えると、先生の話が再開する。




「まずは初期設定からだな。今から方法を説明するから、わからないことがあったら遠慮なく聞いてくれ。」




クラスメイト全員ができるようにゆっくりと説明していき、生徒は説明を聞きながら初期設定を行う。




わからないところがあったけど全体の前では聞きにくい、そんな風に思っている生徒を、早乙女先生はすぐに見つけフォローに向かう。




直接教えてもらった生徒は、すぐに理解したのか嬉しそうに笑う。




すごい。素直に感心する。優しく、全体を見ていて、観察眼も鋭く、教えるのがうまい。理想的な先生だ。




理想的すぎるのには少し違和感を覚えるが。




そんなことを思っているうちに初期設定は終わった。




「少し早いが、ここで一度休憩をとる。9時40分には帰ってきてくれ。


ただし、他のクラスはまだ授業中だから9時30分までは教室の中で静かに過ごすように。」




高校は50分授業だから、本来の終了時間は9時30分だ。今時計を見ると短い針が4を指している。




タブレットの初期設定でここまでかかるのか、とも思ったが、家にタブレットがあったとしても、設定をしたのは親であると考えれば、生徒自身は慣れていないため時間がかかるのも当然か。




むしろ、40分程度で終わったのは早いとすら言えるだろう。




現に、他のクラスはまだ終わっていない。




空いた時間を使い、先ほどから少しだけ気になっていた黒本に話しかける。




「どうした?教室に入ってからずっと元気ないな。よかったら相談に乗るぞ?」




暇だし。




俺の言葉に黒本は暗い顔をしながら話しかけてくる。




「彼女が昨日から怒ってるんだよ。理由を聞いても答えてくれないし。」




……聞くんじゃなかった。あきらかにめんどくさそうなことを黒本が言ってくる。




俺は、先ほど言った言葉を撤回しようとしたが、それよりも早く、




「何とかして、怒りを鎮めたいんだ。どうやったらいいかな?」




黒本がそうつぶやく。相談するなんて言うべきではなかったか。




しかし、休み時間はまだあと15分ある。それぐらいなら相談に答えてもいいだろう。




「まずは、怒らす前の自分の言動を思い出してみてくれ。そこからヒントが得られるはずだ。」




俺がそう言うと、黒本は腕を組み目をつぶって、昨日の彼女との会話を必死に思い出す。




「確か、…………空波と別れた後にすぐ環たまきのところに行って、入学式緊張したとか、クラスメイトと仲良くなれるか心配だ、みたいなことを話しながら二人で家まで帰ったはずだ。」




黒本の話を聞きて俺は考えを巡らせる。




一見、怒るところなんてないようにも思えるが、可能性があるならば……、




「俺のことは話したのか?」




そう聞くと、不思議そうにしながら黒本は答える。




「話したよ。空波雫ってやつがすごく面白くて仲良くなれそうだ!、って感じで。


でも、関係あるのか?友達ができそうって言うのは普通だろ?」




それを聞いて、俺はさらに黒本に聞く。




「彼女、環って言うのか?が、不機嫌になったタイミングは?」




「あぁそういえば、お前の話をした後ぐらいだったかも。」




ここで俺は答えを思いつく。それは馬鹿馬鹿しいものだったが、話を聞く限りでは一番可能性が高いだろう。




時計の短い針が6を指す。




待ちわびていたかのように、教室を飛び出す生徒を見ながら、俺は黒本を立たせて、




「じゃあ、その環ってやつのところに行くか。どのクラスなんだ?案にしてくれ。」




俺の言葉に黒本は驚きながら、声を出す。




「理由がわかったのか!?じゃあじゃあ、すぐに行こう!ついてきてくれ!」




よほど悩んでいたのか、黒本は急いで彼女のもとへ向かうため廊下に出る。




太陽が雲に隠されており、日光が遮られたためか廊下は少し冷えていた。




黒本について行き、「1年4組」の教室の中に入る。




タブレットの初期設定の説明が今終わったばかりなのか、生徒たちはまだ席に座っているままだった。




教室に入ってきた黒本を見てあからさまに不機嫌になった女がいた。きっと彼女が「環」なのだろう。




黒本とともに、そんな彼女に近づいた俺は彼女に声をかける。




「お前が環だな。苗字はなんていうんだ?」




俺の問いに対して怪訝な顔をしながら彼女は答える。




「丸山だけど、丸山環。あなたはなんていうの?」




彼女の問いを聞き、ニヤリと口角をあげながら俺は答える。




「俺の名前は、空波雫だ。」




それを聞いた丸山は目を見開き驚いた表情で黒本の方を向く。




そんな彼女の様子を不思議そうに見ている黒本。




そろそろ気づけよ。察しが悪いな。




そう思いながら、俺は言葉を発する。




「丸山は『雫』と聞いて俺が女だと思ったんだろう。」




俺の言葉に、図星を突かれたからか、顔を赤くして下を向く丸山。




丸山の様子を見ていた黒本はようやくわかったのか。ホッと安心したように息を吐く。




雫は男女両方の名前で使われるが、どちらかと言えば女性の名前に聞こえるため、勘違いしたのだろう。




誤解が解けたからか、仲良さそうに丸山のことをからかう黒本。




その様子を見ていた俺は、ふと疑問に思った。




距離が近すぎる。




恋人同士の距離感とはまた違った、それよりも一段階ほど近しい存在のように思う。




だとすれば……、俺はじゃれ合っている二人に声をかける。




「お前らってもしかして幼馴染なのか?」




俺の言葉に二人はじゃれ合うのをやめて、同時に俺の方を向く。




「なんでわかったの?私たちが幼馴染だって。」




丸山は俺の疑問に対しての答え合わせえをしてくれた。




「雰囲気というか、距離感からかな。まぁ、一番は俺の勘なんだけど。」




「勘…。」




俺の言葉に驚いたように呟く黒本。




今までも俺は自分の勘を疑ったことがない。そしてそれはいつも当たっていた。




時計の短い針が7と8の間を指していた。




「俺たちそろそろ戻らないと!環、また放課後な。」




黒本とともに廊下を小走りになりながら教室に戻る。




いつの間にか雲から出ていた太陽に照らされ、廊下は温かかくなっていた。




「さっきはありがとう。如月は頼りになるな。お前が困ったら俺が力になるから何でも言ってくれ。」




教室に入る前に黒本がそう話しかけてきた。




教室に入ると同時にチャイムが鳴る。




慌てて自分たちの席に向かう。




座ろうとしたときに目に入った黒本の後ろの席は、今日も誰もいなかった。










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