第118話 先輩落ち人
日本語を理解する女性に導かれ住宅街にある小さな一軒家にやって来たアカとヒイロ。彼女はポケットからカギを出すとガチャリと扉を開く。
「まあ散らかってるが、適当に寛いでくれ」
そういうと奥のキッチンへ向かう。目の前のこじんまりとしたテーブルになんとなく腰掛けたアカとヒイロは、ぐるりと部屋を見回した。
ここがリビングダイニングだろうか。二人が座る丸いテーブルが中央にあり隣にキッチンと、向こう側には寝室がある。またその横にもう一部屋あって、そこに所狭しと並んでいる本の数々がアカとヒイロの目を引いた。
この世界では本はかなりの高級品である。一応木から紙を作る技術は確立されているらしく、紙の質こそ日本のそれには及ばないがか十分に読めるレベルの本は作られている。とはいえ、日本より製紙も製本も手間がかかっているうえに基本的には貴族階級が取り扱うものなので、その価格は本一冊で
それが何十冊も無造作に置いてあるというわけで、この部屋の凄さがわかるというものだ。というか、価値を考えればこんな街の住宅街にあっていい家では無い。
「さて、お茶が入ったよ」
「あ、ありがとうございます」
当たり前に行われた「客人を招いて茶を振る舞う」という行為も、この世界の基準で考えてみれば庶民の間ではまず行われない。
これらから判断するに、目の前の女性は、かなり高貴な身分なのだろうか? そう考えながらお茶を口にする。
「……あ、美味しい……」
それはこの世界では飲んだことのない懐かしい味。
「これ、緑茶ですか?」
「まあ似たようなものだね。珍しいだろ」
アカは頷く。そもそもお茶自体、しばらく飲んでいない事を思い出した。
「まあ道のど真ん中で盗賊の追い剥ぎをしようって相談するような子たちはそもそもお茶を飲む機会が無いかもしれんがね」
しっかり見抜かれていた。
……。
…………。
「アタシは
「朱井アカです」
「茜坂ヒイロです」
お互いに自己紹介する。そういえば苗字を名乗るのは久しぶりだ。
「ふーん、やっぱり日本人なんだね」
「ナナミさんもですか?」
「ああ。この世界に来てもう五十年以上にはなる」
「そんなに!?」
「まあね。この世界ではアンタたちの大先輩ってことさね」
いや、この世界に限らずである。こっちに来て五十年ということは、プラスこの世界に来た時の年齢が、どう見ても四十歳前後にしか見えないこの方のお年というわけで……。
「え、ナナミさんって何歳なんですか?」
ヒイロが遠慮無しのストレートに聞いてくれる。
「まあアタシがこの世界に来たのはアンタたちぐらいの歳の頃だったからね。そこから適当に想像するといいさ」
「えーっと……、え、でもその、少なくとも七十歳近のわりにその、お若いですね」
「はっはっは! こんなババアをつかまえて若いだなんて、嬉しいねえ」
ナナミは笑ったが、アカの言葉は決してお世辞ではなくて本当に若いのだ。そりゃあハタチ前のアカやヒイロとは比べるべくも無いが、七十歳以上にはとても見えない。
「冗談はさておき、確かに老化は人よりゆっくりだね」
「若さを保てる理由があるんですか?」
「当然あるが、先ずはアンタたちの話だね。見たところある程度この世界には馴染んではいるみたいだけど、こっちに来て二、三年ってところかい?」
「そうですね。ちょうど二年ぐらいです」
気が付けば二度目の秋の双月はいつの間にか過ぎていたので、この世界に来て丸二年ちょっとである。
「そういうのって分かるんですか?」
「まあ、自分以外の元日本人……つまり落ち人を見るのは初めてじゃ無いしね。前に出会った子は言葉も分からない地で右も左もわからずにオロオロしていたよ。それに比べればアンタ達は足取りもしっかりしている」
ナナミはお茶を飲み干すと、アカとヒイロにもおかわりを淹れてくれる。
「落ち人って結構頻繁にいるんですか?」
「うーん、アタシが自分以外で見るのはアンタ達で三回目だ。だいたい三十年前、二十年前、そして今回だね。まあアタシの知らないところでこの世界に落ちて来てるやつだって居るだろうから、年に一回ぐらいは落ちて来てるってことじゃないかい?」
「そうなんですね」
「ところで日本ではいま平成何年だい?」
「はい?」
「何、久しぶりの同郷だ。この二十年で何か面白い事は無かったか聞きたくてね」
「あー……、そうですね。とりあえず平成は終わって、いまの元号は令和になってます」
「なんだって!?」
ナナミは身を乗り出して驚くと腹を叩いて笑い出した。
「あっはっは! こりゃ傑作だ! また元号が変わったかい!」
「あ、あの……?」
「アタシが日本にいた頃は昭和だったからね。そこから平成に変わって、今は令和かい!」
「は、はぁ……」
「アンタたちにとってはピンとこないだろうけどね、やっぱりそういうのは楽しいもんさ。自分の知らないところで歴史ってやつが積み重なっていくのはね」
上機嫌に話すナナミ。
「まあアタシはただの町娘だったから当時の日本について知ってることなんて多くはないよ。ある日急にこの世界にやって来て……。そうだね、アンタたちの話を聞く前に、先に年寄りの話をしようか。ちょっと長くなるけど付き合ってもらうよ」
ナナミはマイペースに話を進めるが、アカとヒイロとしては落ち人の先輩から話を聞けるのは貴重なチャンスである。ありがたく拝聴することにした。
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