第108話 双焔の同士討ち
「ヒイロっ! 目を覚ましてっ!」
メイスとナイフ、さらに格闘術によるコンビネーション攻撃を紙一重で避けながら、アカは必死で声をかける。
目の前にいるのは魔物にされてしまったとはいえ、ヒイロその人である。武器を持って攻撃するなど出来るわけがない。
「があああっっっ!!!!」
しかしヒイロにアカの声は届かない。理性を失った獣のように真っ直ぐにアカに向かってくるだけだ。――そのくせ戦闘技術は普段と変わりないか、それより強いぐらいなのが尚更
それどころか一歩間違えたら普通に殺される。ヒイロの一撃一撃が、アカに死を予感させる。
「ヒイロ、お願い!」
「無駄だ無駄無駄無駄無駄っ! 我の魔物化は吸血鬼族の王族にのみ伝わる秘伝の術、それを受けて抗ったものなど……ましてや一度魔物になってからこの術から逃れたものなど一人として存在しないのだからなっ!
ラキラスが得意気に笑う声が聞こえる。
それでもヒイロなら、自分の声によって戻ってきてくれないか。そんな一縷の望みを持って必死に声をかけ続ける。アカにはそれしか出来ない。
「きしゃぁぁぁああっ!!」
ヒイロのコンビネーションによる体術がアカにクリーンヒットする。後ろ回し蹴りをこめかみにモロに受けてしまい、アカの視界がぐらりと揺らいだ。
「かあっっ!!」
ゴスッ! という音が聞こえて、気がつくとアカの目の前に地面があった。続いて頭頂部に熱さと鈍い痛みが襲ってくる。
ああ、踵落としを喰らったのか。理解した瞬間、背中を砕かれた。
「ゴフッッ!!」
口から信じられない量の血が噴き出る。ヒイロが背中にメイスを叩きつけ、それが肺を潰したのだ。
「か、かひゅ……」
ひゅーひゅーと声にならない吐息が漏れる。致命傷だ。既にアカの意識は定かでないが、痛みが気絶する事を許さない。
「しゃっっ!!」
ヒイロがアカの首を掴み持ち上げる。
「
声にならない声で、なおヒイロに呼びかけるアカ。このままでは殺される……だけど、ヒイロに攻撃することなんて出来るわけがない。そんな事をするくらいなら、このままヒイロに殺された方がマシだとすら思った。
「もう終わりか。思った以上に一方的であったがその分貴様の絶望が心地よい音だったな。褒美に貴様ら二人の頭にはそこのドワーフどもの糞でも詰めて転がしておいてやろう」
ラキラスの言葉が耳に入る。どうやらアカが死んだらヒイロまで殺されてしまうらしい。それは困る。自分が死んだとしても、ヒイロだけには生きていてほしい……例えどんな姿になったとしても。
グッとアカの首を掴むヒイロの首に力が入ったのを感じる。ああ、もうダメだ。
「
最後に、ヒイロの顔を見ようと無理やり目を開けてヒイロを見る。紫に染まり、光を失ったヒイロの瞳。アカはその奥に深い哀しみを見た。
その時、ヒイロの言葉がアカに聞こえた――気がした。だが、幻聴かもしれないそれは、慣れ親しんだヒイロの悲しい願いだった。
― もしも私がああなったら、その時はアカが私を殺してね。
いやだ。
― 私、あんな風に意識も理性も失った魔物になるのは……それでアカを傷付ける事になるのは絶対にイヤ。
私だってイヤだ。
― 自分が死ぬことより、自分が訳も分からずアカを傷付ける事になるのが、一番怖いの。
私も、ヒイロを傷付けるのが一番怖い。
― だから、もしそうなったら、お願いね。
聞きたくない。
だけど、ここで彼女の願いを叶えなかったら、ヒイロは最後の最後に自分に裏切られた事になってしまう。
だったら――すごく、すごくイヤだけど――ヒイロの願いを叶えることが、彼女にとって一番なんじゃないのかしら。
ヒイロを殺す。なんてイヤな響きだろう。文を頭の中で反芻しただけで堪えきれない吐き気が襲ってくる。だけどそれはきっとヒイロにとっても同じ事で、だからヒイロは予めアカに願いを告げた。
――だったらそれは叶えてあげないと――
アカはかっと目を見開くと、首を掴まれた状態から強引に足を上げてサマーソルトを放つ。
「ぐぅっ!?」
顎に不意の一発を貰い、ヒイロの力が緩む。そのまま首を軸に回し蹴りを追加でお見舞いすると、アカは地面に投げ出された。
治れ治れ治れ治れ治れ治れ治れ治れっ!
背骨が砕けていたら立ち上がれない。
肺がつぶていたら息ができない。
首が折れていたら前を向けない。
全ての魔力を注ぎ込んで、一瞬で動けるレベルまで怪我を治せっ!
体勢を持ち直したヒイロが再びメイスを振るう。
ガンッ!
一瞬で強引に
「ぐふっ!」
カウンターをもろに受けたヒイロは地面に倒れる。……しかし受けたダメージは明らかにアカの方が大きい。最低限動けるようにしただけの体で全力の蹴りを放った反動による激痛がアカを襲う。
「痛っ……」
全身の骨が折れているのかと思うほどの痛み。だけど今はそれを気にする暇なんて無い。ヒイロが再び飛び込んでくる。ヒイロってこんなに強かったのねと、なんだか感心してしまう。
繰り出される攻撃はどれも致命傷になるほどの勢いで、相変わらず遠慮のない殺意が絶え間なくアカに迫る。
だけどそれはもう届かないわ。
私はヒイロに、殺されてあげない。
私がヒイロを、殺してあげる。
それがあなたの、最後の望みだから。
「があっ!」
アカの頭を握りつぶそうかと言わんばかりに、広げた手を顔に向けて突き出してきた攻撃を、首を軽く捻る最小限の動きでかわす。するとヒイロの悲しい空虚な眼がアカの目の前に迫った。
密着した二人。アカの手にはいつの間にか愛用のナイフが握られている。アカはナイフを持った手に力を込めて、ヒイロの胸に思い切り突き刺した。
ヒイロに最後に伝える言葉は、さようなら? ありがとう? またね? どの言葉も正解じゃ無い気がする。
スローモーションのようにゆっくりとヒイロから命が消えてゆくのを感じる。自分の中の大切なものがこぼれ落ちてゆく感覚を覚えながら、アカの口からは自然にヒイロに対する思いが紡がれた。
「ヒイロ、愛してる……」
心臓にナイフを突き立てられたヒイロが崩れ落ちる直前、いつもの笑顔をアカに向けてくれたのは、そうであってほしいというアカの願望が見せた幻であったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます