第109話 絶望と怒り

 アカとヒイロの決着を見たラキラスはつまらなさそうにフン、と鼻を鳴らした。彼から見れば目の前の光景は魔物化した女がもう一方に負けた、それだけの事であった。


 視線を移すと、ドワーフの男も魔物化したドワーフと相討ちになり倒れている。


「所詮は穢らわしいヒトとドワーフか」


 ラキラスにとって吸血鬼こそが全種族の頂点に立つものであり、それ以外の亜人族――彼にとってはヒト族も亜人である――は、食料でしかない。


 吸血鬼族にとって亜人族達の血は唯一の食料だ。鋭い牙で噛み付いて血と共に魔力を吸う事で渇きを癒すための生き物である。闇魔法の一つである魔物化は、同じ餌から繰り返し魔力を吸う際に抵抗されないための呪縛である。とはいえ亜人族は大抵、仲間同士で戦わせると苦痛に満ちた表情を浮かべて魔物化した仲間に殺されていく。それを見るのが吸血鬼族にとっての娯楽であり、頂点に立つ種族としての特権であると本気で信じていた。


 そんな彼にとってロスとヒイロはその辺りにちょうど良く転がっていた食材を利用したに過ぎないのだ。


 事実、途中までヒト族の女は絶望に満ちた表情でただ声をかけ続けていた。これこそが自分の求めていた見世物であり、数百年前に吸血鬼族が国を牛耳っていた頃は国に闘技場を作り、貴族達が互いの餌を持ち寄りより同じ種族の亜人達を闘わせるのを観るのが恒例行事であった。あの頃の闘技場に比べればここはなんとも地味で飾り気の無い舞台であったが、女の絶望がラキラスを満足させていた。


 ……だがとどめを刺そうというその瞬間、開き直った女によってラキラスの手下はあっさりと殺された。


 だがラキラスに焦りは無いし、怒りも無い。所詮あれは落ちていた成り掛けに改めて魔物化を施しただけの出来損ないである。愛着も拘りも無い、拾った木の枝を振り回したら折れた程度の感覚である。ただ、生き残った女を自身の手で殺すのが億劫なだけである。


 ラキラスは吸血鬼に備わった眼でアカを「視る」。これは吸血前に餌の質を確認するため、対象の魔力の量や質を計ることが出来る吸血鬼族に備わった身体機能の一つである。彼の片方の視界はまるでサーモグラフィーのように切り替わる。質の良い魔力であれば対象の色はより青く、そして量が多ければより濃く視える言った具合だ。

  

 フム、魔力の量も質もたいした事ない。あれではろくに腹も膨れぬか。鳥の餌ほどの量の、あえて拙いものを口にする気も起きない。坑道にはまだ魔物化したドワーフ共がいるので腹はそれで満たせば良いだろう。


 ラキラスは立ち上がり、アカにとどめを刺すべくゆっくりと近付いていく。


◇ ◇ ◇


 一方でアカはヒイロを倒した状態から指一本動かせずにいた。

 砕かれた背骨や潰された肺は治ったわけではない。ヒイロの願いを叶えるために、動けるように強引に魔力を流してくっつけただけだった。それもその後の戦闘による反動でまた内側からズタズタに傷付いている。

 魔力を流し修理治療することでカタチを保ってはいるが、それだけだ。


 視界の端でラキラスが動き始めた事を認識するが、最早どうしようも無い。相手が強いとか弱いとか、怪我の痛みがとかそういう事ではなく、アカの心は折れてしまったのだ。


 目の前で倒れているヒイロを見る。


 胸にナイフが突き刺さり、その心臓は完全に止まっている。そのつもりで刺したのだから当たり前だ。そしてもうヒイロが居ないと改めて理解した瞬間に、何もかもがどうでも良くなってしまった。


 何のために旅をしてきたんだっけ? ああ、元の世界に帰るためだ。だけど、元の世界に帰って何をするんだっけ? 家族に会って、友達に会って。ああそうだ、そしてヒイロを紹介するんだ。大切な人ですって。


 いつの間にか、アカが想像する日本に帰った未来では隣にヒイロが居ることになっていた。こうして異世界で苦労して歩んだ道のりを共有できるパートナーとして、ずっと一緒に居られるんだと漠然と信じていた。

 だから、ヒイロの居ない未来なんて想像できないし、ヒイロと一緒じゃないのならもう元の世界に戻りたいなんて思えない。


 ああ、失って気付いた。私ってば、こんなにもヒイロの事が好きだったんだ。


 目から涙が溢れ出す。もう、いいや。ヒイロの最後の願いは叶える事が出来たんだし、やるべき事はやりきった。


 ヒイロが居なくなった世界で、やりたい事なんてもう何も無い。


 ― 本当ニ?


 不意に、誰かに訊ねられた気がした。


 ― 奪ワレタママデ、終ワッテイイノ?


 何を言っている?


 ― 半身ヲ、奪ワレタンダヨ?


 ヒイロを殺したのは、私だ。


 ― ソレハ結果論デショウ。本当ハ分カッテイルクセニ。原因ヲ作ッタ憎イ相手ヲ。


 それは……、


 ― 勝テナイカラ、自分ノセイニシテ諦メヨウトシテイル。アイツヲ憎ンダママ殺サレタラ、悔イガ残ルカラ。


 なんで……?


 ― 分カルノッテ? 私ハ貴女ダカラ。自分ノ心ハ欺ケナイ。


 だけど、もう体も動かないし、魔力だってほとんど残ってない。


 ― 動クヨ。魔力モアル。


 え? ……だめ、動けないよ。


 ― 貴女ハマダ人ノママダカラ。龍ニナレバ良イジャナイ。


 龍? どういうこと?


 ― 難シク考エナクテイイ。怒リニ身ヲ任セレバ、龍ニナレル。


 怒りに、身を、任せる……?


 ― ホラ、憎イデショウ、目ノ前ニイル男ガ。貴女ノ半身ヲ奪ッタ醜イ獣ガ。


 憎い。この男が憎い。ヒイロを殺したこの男が憎い。


 ― ソウ、ソノ感情ヲモット膨ラマセテ。


 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いっ!!!!


 ― アア、憎イ! 半身ヲ奪ッタコイツダケハ、


 こいつだけは、


 私がこの手で殺してやる!!

 ― 私ガコノ手デ殺シテヤル!!


 アカの視界が紅く染まった。


◇ ◇ ◇

 

 とどめを刺そうとラキラスが数歩、歩いたところで不意に視界に異常が生じる。ラキラスは自身の眼を疑って、思わず眉を寄せる。ほんの一瞬前まで搾りカス以下の魔力だった目の前の女は、全身に極上の魔力を滾らせていた。


 アカが顔を上げる。その瞳は真っ紅に輝き、視線がラキラスを射抜く。


 思わず足を止めるラキラス。アカはヒイロの胸からナイフを抜くと、それを真っ直ぐに突き出してラキラスに迫る。


「ちぃっ!」


 間一髪、ラキラスは横に避ける。ナイフを構えたアカの突進は、そのまま彼の後方に逸らされ――なかった。


 グサリ。


「ぐはっ……! な、んだと……!?」


 アカは空中で急旋回すると、突進の勢いを保ったままラキラスの脇腹に深くナイフを突き立てたのだ。


 有り得ない。ラキラスは今起きた事が信じられなかった。女は確かに勢いよく飛び出してきたが、それは床を蹴り出したからだ。その攻撃を自分は避けた。だったらそのまま真っ直ぐ後方へ進むしかない。


 一旦着地して向きを変えるにしても、こんな一瞬で向きを変える事なんて出来るはずはないし、何より突進の勢いを保ったまま突っ込んでくるなんて出来るはずが……。


 いや、考えるのは後だ! まずはこの女を殺す!


「ガアッ!!」


 ラキラスは懐のアカに爪を振るう。しかしアカは突進してきた時と同じ速度でラキラスの元を離れる。


 速すぎるっ! 焦るラキラスが改めてアカを見る。そしてその目に入ったものに驚愕した。


 アカの背中には、紅い炎で作られた二対の翼が生えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る