第73話 アカの葛藤
「アンさんと話したんだ? 怖くなかったの?」
リコルと共に夕食を食べながら昼間のことを話す。どうやらこの船に乗っている娼婦の中には明確な序列があり、最上級のアンに対して、最下級のリコルは気軽に話しかけることも躊躇われるのだとか。
「うん、色々と面白い話が聞けたよ」
ニヤニヤしながらアカを見るヒイロ。アカは今日は絶対にしないからねという意思を込めてヒイロを睨んだ。
「どんな話?」
「うーん、一言でいうなら一流の娼婦の心得みたいな感じかな。一応商売敵のリコルちゃんにどこまで話していいかは分からないんだけど」
「それ以前に周りにこんなに人がいる所であんな赤裸々な話、口が裂けても出来ないわよ」
いくら倫理観がこの世界に染まって来ているとはいえ、乙女の恥じらいは捨てていない。アカはヒイロがうっかり口を滑らせないように釘を刺す意味でも、ここでは詳細は話せないと告げる。
「そっかー、でもアカとヒイロには教えてくれたんだよね? 二人は才能を見込まれたってことかな」
「どうだろう。陸に着いたらアンさんの娼館においでとは言われたけど……」
「ええ!? それってすごいことだよ!?」
「あ、そうなの?」
「うん。自分の娼館に呼ぶって事は、後継者候補として認めたって事なんだから。普通初めてあった子にそんな事言ったりしないよ。私なんかこの船に乗る時にアンさんにじっと見られて「せいぜい死なないようにね」って言われたぐらいだし」
「死なないようにって、この船で?」
「過労死するぐらい身体を酷使するって意味かしら」
「どうだろう……確かに昨日は疲れたけど、死んじゃうほどじゃなかったけど」
そう言って腰をトントンと叩くリコル。彼女はこの後、また朝まで複数の男性客の相手をするらしい。リコルはほとんどチップが貰えていないと言っていたけれど、アンに習ったテクニックを少しでも伝えることが出来れば彼女のチップも増えるのだろうか? だけど数時間かけて教わった話をこの場で掻い摘んで伝えるのは難しいし、娼婦でもない自分達が聞きかじりの知識で偉そうに教えるのも良くないだろう。
結局「あまり無理はしないようにね」と伝えるだけに止めた。また、疲れていたら明日の朝は無理に来なくて大丈夫だと伝え、夕食を一緒に食べようと約束して解散したのであった。
◇ ◇ ◇
「リコルちゃん、大丈夫かな?」
「まあ朝までセックスし続けるんだから体力的にはキツいでしょうね」
「私達も朝まで続けるって出来ないもんね」
「今日はしないからね!」
「えー、アンさんから習った技を練習したくない?」
「したくないです。したいならお一人でどうぞ」
「むむ、今日のアカはお堅いモードだ。仕方ない、諦めるかぁ……」
「ヒイロは本当、隙あらばしたがるわね」
「アカがかわいいからだよ」
「……っ!」
不意にかわいいと言われ、アカは顔を赤くする。実はアカはかわいいと言われなれて居ない。日本に居た時に恋人は居なかったわけだし、仲の良い友達グループの中でもどちらかと言うとまとめ役だったので「かわいい」のポジションは別の子だったりした。そのためヒイロが真っ直ぐにかわいいと言ってくれるのは嬉しい反面、恥ずかしくてくすぐったいような気持ちになる。
「そんな事いっても、今日はしないからねっ!」
「はーい」
ヒイロは嫌だというアカに無理強いするつもりは無いので、今日は素直に寝ることにする。アンから教わったテクニックはまた今度試すとしよう。
「そういえば今日はお隣から声が響かないね」
「やっぱり昨日のってアンさんだったんじゃ無い? 今日はお休みするって言ってたし」
だとすれば明日はまた隣からの声が響く事になるのだろうか。うん、やっぱり今日はしっかりと寝ておくべきだな。
……。
…………。
………………。
明かりを消してベッドに入る二人。くっついて目を閉じ、暫くするとヒイロはスースーと気持ち良さそうな寝息を立て始めた。
そんな寝顔を見ながらアカはアンの言葉を思い出す。彼女が二人を娼館に誘ったのは、この世界では女性の冒険者は大抵まともに稼ぐことが出来ずに結局娼婦となることが多いからだろう。
冒険者自体、不安定極まりない職業である。ほとんどの者はBランクにすら成れずに生涯を終えるらしい。結局日銭を稼ぐことに終始して、どこかで大きな怪我や病気をして働けなくなり野垂れ死ぬ者のなんと多いことか。
二人がそんな最期を遂げるくらいならと言って声を掛けてくれたのは、アンにとって純粋な善意なんだろうとは思う。
だけど、とアカは思う。
自分はヒイロ以外に身体を許したくないし、ヒイロが自分以外の誰かに抱かれるのも、嫌だ。だからヒイロがアンの誘いを断ってくれてホッとしたし、アカも同じ気持ちである……もちろん、一緒に魔導国家を目指して日本に帰る方法を探すという目標がある以上はヒイロは断ってくれると思っていた。
しかし反面、アカには常に一定の割合で「ヒイロが日本に帰れなくてもいいと言って道を分つ日が来たらどうしよう」という不安がある。特に先日彼女の口から語られた幼馴染と家族を取り巻く関係からは、むしろこの世界に来てそのしがらみから解放された清々しさのようなものさえ感じた。
だとすれば、いつかこの世界の方が居心地が良いと思う日が来てしまうのではないか……。
「だけど、今は私の事を必要としてくれてるんだよね?」
その寝顔に問いかける。
今日もしたがっていたのがその証拠で、少なくともヒイロがアカの身体を求めてくれている内は、一緒に居てくれると安心できる。だからこそ、出来る限りヒイロの求めには応えたいという気持ちもあるが、飽きられたらどうしようという恐れもある。
身体だけの繋がりなんて、どちらかが飽きたら終わりである。
飽きられないために今日のように焦らしてみたり、昨夜のように受け入れてみたり、実はアカなりにヒイロを繋ぎ止めようと必死なのだ。
「いっそちゃんと付き合ったら楽になるのかな……」
そう考えると、昼間の会話はチャンスであった。
― この世界に来て初めての友達かも。
― 私は?
― ヒイロは……友達っていうか相棒っていうか、運命共同体みたいな感じ?
― ふーん、そんな風に見てたんだ。
― なにその不満そうな反応。
そこで「え、やることやってるし付き合ってるんでしょ?」とか言っておけばヒイロもそうだよねって頷いてくれて居た可能性があったんじゃなかろうか。
だけどまだお互いに好きって言ってないし、もしもそこで「何言ってるの、セックスしたぐらいで恋人面しないで」とか言われたら立ち直れないもんなぁ……。
結局今の関係が壊れるのが嫌で後一歩が踏み出せない。そもそも自分はヒイロが好きなのか? 離れるのが嫌で依存している自覚はあるけれど、これが恋かと言われると分からない。
「はぁ……」
何度目か分からないため息を吐いた。
ヒイロと身体を重ねた翌日はいつもこんな気持ちになる。
このままでいいの?
ヒイロはこれからも自分を必要としてくれる?
答えの出ない問いを振り払うように頭を振ると、眠るヒイロの唇に軽くキスをして、アカは無理やり目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます